肆
師匠は語る。淡々と。
「彼岸を過ぎると蛇は十数匹ほどの集団を作り、冬眠への準備をします。しかし、その集団に外れてしまった蛇も矢張りいます。そんな蛇は彼岸を過ぎても尚、山を彷徨い、自らを認めてくれる集団を探すのです。そのような蛇のことを『穴惑い』と呼びます」
師匠はざくざくと落ち葉を踏みしめてゆく。ナナキはその背中を追いかけながら、師匠の言葉を頭で辿る。
「『穴惑い』は『うろ』を求めてさ迷います」
冬を越すためのうろを。
孤独を紛らすためのうろを。
誰かが、なにかが在る、うろを。
「しかし、『穴惑い』となった蛇はそのままの意味のうろを探しているわけではないのです」
「……何を、探しているの」
師匠の歩みは速い。後ろを追うナナキのすっかり息は乱れてしまっている。しかし、それでもなお、ナナキは彼を追い、問うた。
ふと、師匠の歩みが止まる。がさりと足元の落ち葉が音をたてる。
振り返った師匠はつうと目を細める。
「心に空いたうろですよ。人はすべて、なにがしかの喪失を抱えています。そこに漬け込むんです。漬け込んで、仲間にするんです。
『穴惑い』は元は蛇でしたから、人とは相容れない。これに魅入られれば、人としての精神が蝕まれることもあるんです」
だから、彼岸の蛇に触ってはいけません。
分かりましたか? と、そうして漸く師匠は微笑んだ。
「どうして、そんな事、するの」
ぜえぜえと乱れた息を整えながら、ナナキはおずおず訊ねた。師匠は思いがけなく驚いた顔となり、
「それが穴惑いの存在理由ですから。
それに、一人ぼっちは寂しいでしょう?」
と、静かに答えた。
「さて、先に進みましょう。もうすぐ、人のいるところにでますから」
徐々に日の死んでゆく頃。
何処か悲しげな青年の笑顔はやけに痛切に少年の胸に響いたのだった。
ナナキが下山の途中でそのまま倒れるのは、その後、数刻も経たない内のことである。