渇望ーカツボウー

 ガターンッ!
「!?」
 音楽室へと足を踏み入れていた八雲は、突然響いた音に心臓が飛び出るほど驚いた。
「っはあ……びっくりしたぁ」



 音の出続ける音楽室に八雲が入ると、それまで聞こえていた音が、ピタリと鳴り止んだ。不審に思い、勇気を振り絞って音の出所と思われるピアノを見に行ったが、それは音の出せそうな電子ピアノでもなく、カセットテープも近くには無かった。そこにあるのは、音が出るのかも怪しい、古びたグランドピアノだけだった。
 誰かのいたずらかとも思い、音楽室中の人の隠れることが可能そうな場所を探したが、人を一人も見付けることは出来なかった。
「――はぁ、やっぱり気のせいだったのか?でも、この電気は……」
 この学校が廃校になってから随分、というかかなり経っている。ということは、電気は既に通っていないはずなのではないだろうか。
「………………どっか壊れたか?」
 壊れたんなら仕方ないよな……などと一人納得していた時だった。
 何かが倒れるような音が耳に届いたのは……。



「っはぁ…びっくりしたぁ――な、なんだぁ?」
 驚いて音のした方を振り返ると、どうやら廊下からのようだった。
「……」
 一度だけ大きく響いたその音は、それ以降、全く聞こえなくなった。
「……灯屋?」
 何か胸騒ぎを覚えた八雲は、牡丹を待たせている廊下へ足を急がせた。
「あいつ、待ってろって言ったの守れないで、何かしでかしたんじゃないだろうな」
 言葉ではそういってみたものの、八雲の頭の中には、先程二人から聞かされた話が思い返される。
 牡丹の身に何かが起こったのではないだろうか。そんな不安が頭によぎった。
「っ牡丹!」
 いつしか小走りになっていた足は、ついに大きく走り出し、教室の出入り口に差し掛かる。
 あと少しで廊下に出る。
 そう思い、一歩足を踏み出し、廊下へ出ようとした時だった。
「!」
 八雲は足を止めた。
「――――誰だ。お前」
 目の前には、5、6年生くらいの女の子が立っていた。
 その少女は、何を言うでもなく、まるで、八雲の行く手を阻むかのように、じっとその場に立っていた。――全身を赤に染めて。
「…………お前が、サクラコ、か?」
 ゴクリと自分が唾を呑み込んだのがわかった。
 心臓が早鐘を打っている。
 問われた少女は、やはり何も言わなかった。
 だが、その口角が、上がった。
「!やっぱり!……灯屋はどうした」
 サクラコは嗤ったまま、答えない。
「おい!答えろ!灯屋は――牡丹をどうした!」
 八雲は掴みかかる勢いで、サクラコを怒鳴った。
 だが、サクラコは嗤ったまま、何も言わない。
「おい!答えろ!」
 何度目かわからないほど聞いたときだった。
 僅かにサクラコの口元が動き、何かを話した。
「?…何?」
 あまりに小さすぎて聞こえなかった八雲は再び聞き返す。



『つ……たの………から』



 八雲が聞き取れたのは、これだけだった。
「何だって?」
 さらに八雲が聞き返すと、これまで少しも動かなかったサクラコの両手が、八雲の頭を凄まじい力で掴むと、その手を自分の方へと引き寄せた。

『つかまえたの、鬼ごっこ、だから』


 耳元で囁かれ、八雲はサクラコの体を廊下へ突き飛ばした。
「ハァ…ハァ…ッ」
 サクラコに掴まれた頭には激痛が残っていた。
「痛っ!」
 頭に痛みを感じ、その部分を触ってみると、ぬるっとしたものが指に触れた。
 掴まれた時に爪でも立てていたのだろうか。
 突き飛ばされたサクラコは、廊下にお尻をつく格好で座っていたが、ゆっくりと、緩慢な動作で立ち上がり、血塗れの顔で八雲を凝視した。
「――牡丹を返せ」
 自分の気持ちを落ち着けると、八雲は低い声で、先程から何度も繰り返している言葉を呟く。
「返せ」
 言葉の意味がわかっているのかいないのか、サクラコは、無表情のまま小さく首を傾げると、ぽつりと言った。
『あげない』
「なっ…」
『わたしが、つかまえたの。だから、だれにもあげない』
 妙にはっきりと、サクラコは宣言した。
「……んなの、納得できると思ってんのか?」
 するとサクラコは、初めて表情らしい表情を見せた。
 それは、不思議そうな顔。
『じゃあ、 あなたも、 くる?』
「……」
『にげないひとは、つかまえてもおもしろくない。
    だから、 いっしょに、 くる?』
 あまりに唐突なサクラコの発言に、八雲は戸惑う。
「……一緒に行けば、牡丹には、会えるのか?」
 サクラコが小さく頷く。
「じゃあ――行く」
『そう』
 そう言うと、サクラコは何処から出したのか、手に包丁を握り、その刃先を八雲へと向ける。
 それを見た八雲は思わず後ずさる。
「なんだよ、それ…。それでどうする気だよ。まさか、俺を刺すんじゃないだろうな?」
『?そう、だよ』
 そう言いながらも、サクラコは確実に八雲との距離を縮めていた。
「なんで刺されなきゃなんないんだよ!」
 八雲の体は、再び音楽室の中へと戻った。
『いっしょにいくなら、わたしとおなじじゃなきゃ、いけないから。
   だから、わたしとおなじ、真っ赤になるの。
  そうすれば、いっしょにいけるよ、 ?』
「だからってなん――!」
 八雲の背が、ピアノにぶつかる。
 もうこれ以上後ろへ行くことはできない。
『いっしょに、いこ』
 サクラコが腕を思い切り振り上げ、ソレをそのまま勢いをつけて降り下ろす。
「うわあああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」





 あたりに静寂が戻った。
 サクラコは鉄錆臭い赤い液体で真っ赤に染まった手を見つめ、口元を歪める。
『 これで、 いっしょに、 いけるね 。』







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