タクシーの中も、静かだった。過ぎる時間を睨んで恨む。そんなことしたってどうしようもないのだけれど。
重々しい雰囲気のまま駅に到着し、ホームへ。及川はしゃんと背筋を伸ばして歩く。あぁ、泣きそう。
「もう、行かなきゃじゃない?」
出発まであと数十分。これ以上言葉を交わしたらたくさん泣いてしまいそうで。最後までつれないねって及川は笑う。
「及川さん」
「ん?」
「あの時、声かけてくれてありがとう」
忙しい金曜日だった。苛立ちながら必死に笑顔をつくる私に声をかけたこの男。こんなに好きになる予定じゃなかった。こんなに、というか好きになるつもりもなかったのに。
うざったくなるような誘いに連絡。面倒で仕方なかったのに、いつの間にかドキドキしていた。好きになっていた。
「私、及川さん信じてるから」
笑顔で見送ろうって決めたから。涙を堪えて、精一杯笑って言う。
「待ってるね」
「岩ちゃんも言ってたんだけどさ、なまえちゃん無理して笑うよね」
「…え?」
「及川さんの前でくらい、無理しなくていいよ」
頬に触れる指先。じわ、と緩む涙腺。鼻の奥がピリピリする。
「ちゃんと甘えなよ」
「だって、嫌われちゃう、」
「何言ってんの。嫌いになんてならないよ」
わがままを言ったら、及川を困らせたら、嫌われてしまうんじゃないかって。それが怖くて。行かないでって彼に泣いてすがりたかったけれど、もちろんそれはできなかった。
「行かないでほしい」
「うん、」
「会えないのもいや」
「俺も嫌」
「及川さんのことすきすぎてバカみたい」
「俺も負けないくらいすきだよ」
もう、と彼の胸を叩いて、ちょっと笑って。
「俺も行きたくないし会えないのも嫌だけど、」
ちゃんと昇進してなまえちゃん安心させられるようにがんばるからって、彼はそう言う。そんなことまで考えていたんだって、ちょっと驚いた。今のままでも十分優秀だろうに。
アカウンスが駅構内に響き、新幹線が入ってきたことを知らせる。言葉はないが、目を見ればなんとなくわかる。じゃあね、って言ってる。
「変な男には気をつけてね」
「及川さんみたいな人いないよ」
「岩ちゃんに見張らせるから」
「迷惑だからやめなよ」
「連絡するね」
「…うん、待ってる」
「またね、なまえちゃん」
元気でね。
そう言って彼は私に背を向けて、振り返ることはなかった。私はずっと彼の大きな背中を見つめ、1人でボロボロと泣いた。またね、って言ってくれた。そんな些細なことが嬉しくて。
別れたばかりなのに、もう彼に会いたくて仕方がない。薬指に指輪があった感覚が、心臓をくすぐる。
及川徹はずるい。こんなに、こんなに夢中にさせるのだから。
2016/02/13