何が起こっているんだって、頭を冷静に保ちたかったがどう考えても無理だった。赤葦くんは啄むようなキスをぽつぽつと落としてくる。舌を絡めることはなく、唇と唇が触れ合うだけのもの。目の前の男は私の頬を手で包み込み、夢中で唇を落とす。
「…赤葦くん?」
「いや?」
「え、ちょっと待って。なんなの?」
「わからないんです、自分でも。でも、みょうじさんとしたいんです」
「…いや、そういうのは好きな人とするもんだからね」
この男は、本当にわからない。また一瞬考え込むと言う。
「だとしたら、俺はみょうじさんが好きだということですか?」
「いや知らねぇけどな」
「…その話し方、控えた方がいいですよ」
「赤葦くんが訳わかんないからだよ」
「キスしたらだめですか」
「…したいの?」
そう問うと彼はコクンと頷いて。
「すごくしたいです」
「もうしたけどね」
「こんなのじゃなくて」
言葉の後、また彼の顔が近付いてきて、彼の指が唇をつつつ、となぞる。背筋がびくん、と反応して、彼はそれを面白がるように笑った。
「だめ?」
「…だめ」
腕を振り払って、彼の為に探した洋服を押し付けると食事を用意するためにキッチンへ。身体が熱い。その熱を冷ます為に冷蔵庫から買い溜めておいたミネラルウォーターを取り出そうとした時だ。ぐい、と腕を引かれ、冷蔵庫にビタンと張り付けられる。背中がほんのり冷たくて。
「…も、なに、」
「すみません、我慢できない」
彼が、こんなことをしてくるはずがない。ただの後輩で、私たちの間に色っぽい空気なんて微塵もないのだから。
「これから俺がすることが気に入らないなら」
ぐい、と顔を近付けられて、彼に惹きつけられる。髪と同じ、真っ黒な瞳。ゆっくり、唇が近付いてきて、ぐじゅりと舌と舌が触れる。
「ぜんぶ忘れてください」
なんで悲しそうなの。私、あの日君に何したの。何もないって言ったじゃん。謝るから教えてよ。
そう言いたいのに、言葉が出てこない。もうこの空気に飲まれていた。触れて、離れて、触れて。熱を帯びていくキスを繰り返す。その後に彼は切なそうに俯くから。
「何も覚えていないんでしょう?」
「ん、っ、だから、なに」
「好きだって言ったことも、キスしたことも」
唖然としていると、彼は言葉を続ける。好きだって、言った?
「あの日、みょうじさん言ってくれたんです。俺のこと好きだって」
「いつ?」
「2件目出て、みょうじさん送ってる時」
「…なるほど、」
「嬉しかったんです」
顔を染め上げ、ちらちらこちらを伺う赤葦くんはいつもよりもずっと子どもっぽくて。顔も、身体つきも声のトーンも落ち着いているのに、やっていることはひどく幼くて可愛らしい。
「わかってます。みょうじさん酔ってたし、本意じゃないのも」
でも嬉しかったって、彼はもう一度そう呟いて。
「だけど覚えてないし、おまけに彼氏いるって職場の方から聞いて、からかわれてたんだなって、」
「…すみません」
「やっぱり、好きじゃない?」
「え?」
「俺のこと好きじゃない?」
もう、ドキドキさせないでほしい。背の高い彼はこちらを覗き込むように目を合わせてきて、息のかかるような距離。
「赤葦くん、近い」
「だってみょうじさん、かわいいんだもん」
「…からかわないでいただけます?」
「からかってないですよ」
赤葦くんはやわやわと私の頬を撫で、ちょっと笑って。
「かわいい」
「…私、忘れないよ」
「え?」
「いまの言葉も、キスも忘れないよ」
「…うん、いいよ」
そう言った後、吹っ切れたように荒っぽいキスを。彼の舌は熱くて、触れる指先は柔らかで、キッチンでどろどろと溶けていくのがわかった。若いくせに、結構やるな、こいつ。
2016/02/14