既婚者松川 | ナノ
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -
自分の家の湯船より、少しばかり熱いと、そう思った。松川は強引な女に戸惑っていた。2人とも同じくらい雨に濡れた訳で、もちろん彼女だって身体は冷えているだろう。なのに女はどうしても、と迫った。先に湯船に浸かって温まってくれと。いつまでも互いに譲り合い、結論が出ないまま体温が奪われていくので、仕方なしに湯に浸かっている。そんな状況だ。

「ごめんね、先に」

女は、喧しい心臓をひどく恨んでいた。松川は腰にタオルを巻いた、たったそれだけの装備でバスルームから出てきたのだ。

「いや、だってレディースでしょ、あれ。さすがに入んないよ」

ひゃ、と小さく声をあげ、頬を赤らめるなまえの心中を察したのか、松川は言い訳をするようにそう言った。松川の着ていたスーツはぐっしょり濡れていたので、消臭スプレーを吹きかけ、室内に干してある。下着とワイシャツは松川本人が軽く手で洗って乾燥機にぶち込んだが、もう少々乾きそうにない。一応、なまえは手持ちの洋服で比較的サイズが大きいものをバスルームに用意しておいたのだが、予想通り松川にはとてもじゃないが、サイズが合わないようだ。当たり前といえば当たり前である。

「湯冷めしますよ、」

背の高い松川は、それだけで絵になるというのに、なおかつしっかりと身体を鍛えているのでどう頑張ったって意識がそちらに向いてしまう。女のものとは明らかに違う腕や胸、腰に脹脛、首筋ー…全てが特別で、あぁ、いいなぁと思ってしまう。ずるい、とさえ思うから、この女は相当松川に惚れ込んでいた。それをいま、この状況になって再確認しているのだ。職場と違って他者からの視線もない。2人だけ、何をしたって2人が口を紡いでいれば誰にも気づかれない。今はそんな状況だ。それに気付いて、心の中でほくそ笑んでいるのだ。

「入っといで、みょうじちゃんも」
「はい、あの、松川さん毛布包まっててください。すみません、洋服のサイズなくて」
「いや、ありがとうね。気ぃ遣ってくれて」

女も少し寒さを感じていたので、間髪をいれずにバスルームへ。ゆっくりたっぷりと湯船に浸かり、メイクも落として髪も洗って、乾かして。そんなことをすればあっという間に1時間弱、時間が過ぎていた。脳内は松川のことでいっぱいである。乾燥機は既に動きを止めているが、中身が出された形跡はなく、白いワイシャツとブラックのボクサーパンツが水分を吹き飛ばされた状態でとどまっている。

「松川さ、ん…」

そおっと、声を出してみれば、小さなソファで眠る男。淡い色の毛布に包まり、長い足をおって、身を縮こめ眠っている。ちぇ、と思わず声に出してしまいそうだった。なんだ、やっぱり、私のことなんて眼中にないんだ。女として見ていないんだ。そんな風になまえは思った。飲み会の最中、奥さんの話題になるとちょっとうざったそうだった。2人の間には子どももいないし、妊娠したという話もきかない。松川は誰にだってわかることだが、比較的女に慣れていて、女が好きそうだった。もしかしたら今晩だけかもしれないけれど、抱いてくれるかもしれないと、そうなまえは思っていたから、心底がっかりする。寝てんじゃねぇよ、とも言いそうになるが、グッと耐えた。

「ん…」

もぞり、と寝返りを打とうとした松川だが、おそらく身体をひっくり返すことができなかったようで、狭いソファでもぞもぞと動くだけだった。ちらりちらりと松川の肌が毛布から覗き、寒くないのだろうかと心配にもなる。なまえはクローゼットからここぞというときの羽毛布団を取り出し、ばさりと松川の身体に掛けてやる。明日、休日出勤するというのに体調を崩されたらこちらの責任だ。
飲み会の最中に、確かいつも通りの時間に出社すると言っていた。送り出すには…と、だいたいの流れを頭に入れてもう眠ってしまおうかと、そう思ったが1つだけ。眠っているし、いいよね…と。そんな安易な考えだった。まだ、アルコールがほんのりと残っているせいもあったのかもしれない。

男に寄り添うと、なんだかいい香りがした。なんの香りなのか、どきりと胸を鳴らすなまえには判断ができない。男性にしてはつるりとした肌に、つつ、と指を滑らせる。松川は反応することはなく、声を出すこともない。ふう、と息を吐き出して、脳内に描いていた行動を実践する。松川の唇の脇に、そっと自分の唇を重ねた。なんで、こんなことをしたのかはわからない。でもなんとなく満足して、さぁ眠ろうと、そう思った時だ。

「…するんなら、ちゃんとしなよ」

ニヤリと笑った男は、女のまだ熱い腕を引いて自分の方に寄せた。ふふふ、と楽しそうで、その表情はなまえをどきりとさせる。なんで、と思うがもちろん声は出ない。

「本当に好きなんだ、俺のこと」

何も纏っていない松川の肌。幸福そうな松川の表情は、作りものなのか自然なものなのか。なまえにはそんなことはわからなかったが、とりあえずそんなことよりも。

「俺はいいけど、みょうじちゃんはいいの」
「…いい、んですか」
「上手にできる?」

まだ少し湿ったなまえの髪を撫で、そう問う。ゆっくり、こくんと、照れた表情で頷く女は、もうどっぷりと男に嵌っていた。

2016/10/16