既婚者松川 | ナノ
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シングルベッドは小さすぎる。そして篭った熱のあつさに、なまえはほとんど眠れずにいた。元々ものが散乱している部屋に、湯上りの自分が身に付けていた下着と部屋着が紛れ込んでいる。素肌のまま、2人身を寄せ合って、互いの鼓動と呼吸を確かめるように眠った。その瞬間は非常に幸福で、満たされて、夢のようで。だが振り返ってみればなんて軽率な行動をとったんだろうと、自らの浅はかな思考を憎んでいた。背徳感、という感情が自分にはきちんと備わっているらしい。久しぶりにセックスをした、という、その単純な疲労だけではないものが、身体を起き上がらせることを困難にしている。それでも時計で時間を確認すれば、頭で描いていた予定の時間を5分ほど過ぎている。なんとも重たい朝だ。そう思いながら静かにベッドから這い出る。松川はすやすやと眠っているが、本当に眠っているのか、狸寝入りなのか全くわからなかった。

米を研ぎ、炊飯器で炊き上げる。その間に野菜をたっぷりと入れた味噌汁を拵え、火を通している間に乾燥機で丸まっていた松川のワイシャツにアイロンを掛けてやる。ぐしゃりとしたそれは熱でパリッとするが、なまえの気分が変わることはなかった。まだ、しっかりと身体が、頭が重い。

「おはよう」
「…おはよう、ございます」
「朝メシ?」
「あ、の…簡単なもの、作ったんですけど、」
「まじで?すげー、」
「松川さん、朝ご飯、食べる人ですか」
「うん、食べる食べる。ありがとう」

洗面所借りるね、と。下着だけ身に付けた男はいつもと変わらぬ様子だ。にこやかで掴みどころがない。昨日身体を重ねた、なんていうのは自分の勘違いか何かじゃないかと、なまえは思う。そう思うが、ベッドの脇のゴミ箱には使用済みのコンドームが捨ててあるから、現実で間違いないらしい。

「シャツ…」

流石に寒いだろうと、なまえはアイロンをかけたばかりのワイシャツを松川に差し出した。男は目をまあるくし、それに腕をとおす。

「アイロンまでかけてくれたの」
「あ…はい、一応」
「ごめんね、後輩の女の子の家で図々しく」
「全然、そんな…もともと私が、」
「私が、誘ったもんね」

細い糸で引っ張られているのだろうか。そう思うほど口角を吊り上げた松川は、実に意地悪そうな顔でそう言った。昨晩だってそうだ。優しいのかと思わせて、無理難題をこちらに押し付けて。できません、恥ずかしいです、と言ったところで男にはなんの効果もなかった。女が折れるしかないし、結局なまえはそんな態度も含め、松川に惚れ込んでいた。そんなものは許容範囲内だ。

「ねぇ?」
「…ごめんなさい、」
「なにが?」

松川は温かい味噌汁をゆっくりと胃に流し込む。ごろごろとした馬鈴薯に、この時期にしては柔らかい大根、朱色で彩りを与える人参。豆腐に茸、油揚げと牛蒡。若い女の1人暮らしにしては豊かな食材が使われていると思った。自分のために、わざわざ早起きして拵えたのだろうか。炊きたての米はつやつやとしており、昨晩の女の若い肌を連想させた。ほどほどの大きさに握られたおむすびは、女のあの、柔らかで小さな手で握られたかと思うと愛おしくなってくるから不思議である。健気な女だ、と松川はとても嬉しくなるのだ。

「私、わかってるのに、」
「俺に奥さんがいるって?」
「なのに、」
「いいんじゃない、別に」
「…え?」
「なまえちゃんが言わなきゃ、誰もわかんないでしょ。俺は誰にも言わないし」

女は後悔というそれに押し潰されそうなのに、男はどうやらへっちゃらなようで。いいんじゃない、と言われるとは思っていなかった。なまえは拍子抜けしてしまう。よくはないだろう、と思うがこの心情をどう伝えたらいいのかもサッパリわからない。松川を責めるのは少し見当違いなように思うのだ。部屋に招いたのも、好きだという素振りを見せたのも、キスをしたのも、全部自分なのだ。

「いま、本当に彼氏いないの?」
「いない、です」
「好きな人は?」
「…ま、つかわさんが、」

すきです、と。そう伝えると男はげほげほと、飲んでいた味噌汁で喉を詰まらせた。ぽかんとするなまえを余所に、その後はケラケラと笑いだす。

「それはわかったって。俺以外で、好きな人いないの」

本当かわいいねぇ、と。まるで幼子を扱うかのような態度だ。女として見られていないからだろう。松川は自分には夢中になったりしない。そうなまえだってわかっているのだ。わかっているが、わかりたくないのだ。それだけ、それだけだった。

「いないです」
「ん、じゃあさ、いいじゃん。俺、穴埋めするよ。寂しいんでしょう?寒くなってきたし」

人肌恋しい季節だからねぇって、そう言ってつやりとした白米を口に運んだ。あまい、とそう思い表情が綻ぶ。料理は上手いし家事全般だってそこそこできる。しおらしく、控えめな態度はまるで他の花を引き立てるかすみ草のよう。しかしこうやって自分に迫ってくる大胆さも兼ね備え、ルックスだって悪くない。そんな女が自らを好いているのだ。おまけに、自分には家庭があることを知っていて、だ。

「俺、上手にやるよ?」

かぁと、昨晩のあの熱がこみ上げてくる。脳は危ないよ、危険だよ、やめておきなよ、とけたたましくサイレンを鳴らすが、そんな警報に反応できるほど、なまえは通常じゃない。

「私も、上手に、します」
「ん、今日仕事終わったらまた来ていい?」

今度は洋服持ってくるね、と笑う松川は、なぜか明るくにこやかだ。男の問いに女は一瞬固まり、その後照れくさそうに頷いた。

2016/10/18