既婚者松川 | ナノ
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今日、19時30分に駅前のイタリアンバルね。

松川は柔い声でそう伝えた。お疲れ、となまえの部署へやってきて、それぞれの女の肩をポン、と叩く。なまえはこういった松川の行動が、軟派で女慣れしていると、そう思っていた。妙に女との距離が近く、馴れ馴れしいと言えばそれこそ語弊があるが、フランクで、親しみやすく、カラッとしたセクハラみたいな、いや、それも少し違うのだが。

「19時30分?遅くないですか?」
「仕方ないでしょう。君らの部署と違って、うちは仕事立て込んでるんだから。月末は忙しいのよ」
「じゃあそんな時期に飲みに行かなきゃいいじゃないですか」
「えー、それ言っちゃう?」

松川はこうやって、女たちから文句を言われることもしばしばあったが、それだって愛されているが故だった。みんな、松川に構ってもらいたいし、構いたいのだ。特に口に出したりはしないが、そんなことは女たちの表情や声色からはっきりとわかった。

「みょうじさんもごめんね〜、急に誘ったのにありがとう」
「あ…いえ、こちらこそ、誘っていただいてありがとうございます」
「1回帰る?確かお家、駅の近くって言ってたよね?」
「みょうじさん帰るなら私も1回帰ろうかな」
「そう、ですね。1回帰って、それから直接向かいます」

松川が指定した飲食店はなまえが1人暮らしを始めたマンションからほど近く、帰る手段には困らないなと思った。仕事が終わるのは18時。家に直帰すれば30分とかからない距離だ。一旦家に帰ってシャワーでも浴びて、身支度を整えたって時間に余裕がありそうだ。

「お姉様方は明日お休み?」
「え?松川さん休日出勤なんですか?」
「そうそう〜、打ち合わせが急に入ってさぁ」
「…飲み行っていいんですか」
「ん?あはは、うん、いいよ、多分」

みんな電車で帰れるよね、と松川は確認をし、結局何をしに来たのかはよくわからないが、ヒラヒラと手を振って帰って行った。それにしたっていい香りのする男だ。香水なんだろうか、不思議で仕方ない。その香りが漂う間、とてもいい気分でぼおっとしてしまう。

「松川さんはどうやって帰るんだろうね。家めちゃくちゃ遠いのに」
「あっち方面、乗り換え多いし終電早いよね」
「会社泊まるんですかねぇ…」
「そうかもね。たまーに泊まってるし」

なまえたちは適当な予想を立てて、適当に仕事を片付けて定時退社。エントランスで時間の確認だけしっかりとして適当に解散をする。
なまえは家に着くと携帯のディスプレイで時間の確認をした。18時27分。セカセカと歩いたせいかいつもよりも早く着いた。駅前という立地だけで選んだ部屋だが、適度な狭さが気に入っていた。家賃も特別高いわけではないから、会社へのアクセスもそこそこいいし、特に文句はない1人暮らしの部屋だ。
洋服も、下着も全てとって熱いシャワーをざぁっと浴びる。髪も洗って、メイクも落としてやり直したかったが、時間ギリギリだと見込んでやめておいた。ドライヤーに時間を取られるのは億劫だ。
なぜかドラッグストアではなく百貨店で購入した特別いい香りのするボディーソープを身体に滑らせる。自分だって一応女なんだなぁと呆れる。松川は確かに魅力的だ。だが、結婚している。チラホラと耳に挟んだ話だが、最近新居が完成し、新しい家具や電化製品を選ぶのに苦労したらしい。ウルトラハッピー新婚男を、そんな色目をつかって見てはいけないと、わかっているのに。

バスルームから出ると、柔らかいタオルで身体の水分をとり、ボディークリームを塗りこんでいく。こんなの、夏の暑さが残る今時期にはほとんどしないというのに、だ。結んでいた髪をほどいて、毛先から中心にかけてを丁寧に巻き直すためにヘアアイロンを温め始めた。その間に1日頑張ったメイクを修復。ファンデーションはそのまま重ねると余計に重みが増して汚く仕上がることがわかっているので、崩れた部分だけを一度落とし、新しく土台を作り上げる。マスカラは根元にだけプラスして、アイラインは仕事中よりも少し長めに引いた。リップのカラーも少し濃いものをチョイスする。最近購入した火照ったようなローズピンクだ。

まだワイヤーの元気なブラジャーに胸を押し込む。そしてあえてピタッとしたトップスを着るんだ。五分袖の薄いニットはジャストサイズを選んで購入した。ウエストだけは人に少し自慢できる細さをキープしている。バストのサイズなんて月並みだが、それなりにサイズの合った下着をつければまぁカバーできているだろう。いつもより突き出してみえる胸と、きゅっとしまったウエストが、洋服の上からもよくわかって、自分でも少し嬉しくなった。最近重力に負けてきたと思うお尻は隠したくて、ゆるりとしたボトムスをチョイスする。まぁ、こんなもんだろうか。そう思って時計を確認すれば19時15分。お気に入りのヘアミストを髪に纏って部屋を出た。

「すみません、遅くなって」

同部署の女たちはまだ来ていなかったが、営業部の3人は揃っていた。メニューを見ながらわいわいやっている。男2人のネクタイは少し緩められ、ごつりとした喉仏が覗いていた。5.5pのヒールがコツコツと鳴る。

「みょうじさん、こっちこっち」

どきん、と胸が弾むのだ。情けないと言ったらありゃしないが、仕方ない。手招きをする松川は相変わらずへらへらと笑っている。だめだ、とわかっているのに、ウェイターは松川の席の隣の椅子を引く。あぁと表情をほころばせるなまえは、少し鋭い人間が見れば一目瞭然だった。松川に気がある、と。

2016/09/28