既婚者松川 | ナノ
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松川は淡々とビールを胃に流し込んでいた。なまえは長ったらしい名前のカクテルをどんな味かなぁと好奇心をいだきながら口に含み味わう。クラリときていたのはなまえの方で、松川はまだこんなものはまだ量のうちに入らないと、そんな様子だった。周りの面々も程よくアルコールがまわり、話す声のボリュームは次第に大きくなっていく。

「やべ、」
「えー、どうしたんですかぁ、松川さん」

松川はぼそりと呟いたつもりだったが、それはしっかりと正面にいる女に聞かれていた。場を盛り下げやしないだろうかと思いながらも、素直に口を開く。

「着信」

震える携帯。ディスプレイにはよく見る名前。一緒に住んでいる女の、名前。

「出ないんですか?」

隣の席のなまえは、ディスプレイに表示された女の名前を見て、おそらく奥さんだと、予想していた。少し距離を近づけ、意地の悪い顔でそう聞く。答えなんてわかっていた。言ってほしいだけなのだ。自分が望む言葉を、言ってほしいだけ。

「でるわけないでしょ」
「なんでですか?」
「あのねぇ、こんなガヤガヤしてるところにいるってバレたら怒られちゃうんですよ、僕」

出なくていいんですかぁ、と周りは指摘し、松川は困ったような、それでもすこし笑みを含んだような表情で。いいよ別に、と告げる。その声色は非常に自然で、罪悪感とか、そういったものさえも一切込められていないような気がするのだ。

なまえと同部署の女は、間も無く結婚準備のため退職する予定だ。来月いっぱい、という話である。そんな彼女も松川の行動に呆れながら、質問をした。

「結婚してよかったですか?」
「それ俺に聞く?これから結婚する人が?」
「…やっぱり、松川さんクズですね」
「ちょ、クズって!クズは言い過ぎでしょう」

大きく笑った男は液体をぐいと喉に流し、ふっと笑顔を消して、そして。

「でもまぁ、結婚、悪くはないと思うよ。俺はね、あんまり他人に興味ないから」

なにか意味を含んだようなその言葉を精一杯理解しようと努めるが、なまえはどうもわからなかった。不満があるから、こうやって羽根を伸ばすために出歩いているんじゃないか、と。

「松川さん、なんだかんだ今の生活嫌いじゃないんですよね?」
「ん?」
「奥さんに束縛されて、あぁめんどくせぇなって思いつつ、奥さんだいすきだから」
「…あー、うん、どうだろ、そうなのかな」

よくわかんないんだよねぇと、そうはぐらかし、松川は何杯目かわからないビールをオーダーする。正直、好きとか愛しているとか、そんなのはよくわからない。
元々、大学の頃から付き合っていた女だ。社会人になり数年、付き合ったり別れたりを数度繰り返したが、まぁトータルで言えば5年近く一緒にいた。その日は突然やってくる。彼女の実家の両親が押しかけてきた。「いつ結婚するんだ?」って。
そんなことを言われたら結婚せざるをえないし、そう言えば彼女は1人娘の箱入り娘で、あぁなるほどなぁと。そう思って永遠とかいうやつを誓ってしまった男なのだ。
この男は夢とか希望とか、あまりそういうものに期待をしていない。明るい未来とか、そんなものはさして必要なくて、そこそこ、平均点。そのくらいでじゅうぶんなのだ。落胆することも、両手を挙げてバンザイする必要もない。急勾配の坂を汗を流しながらなんて登りたくない。がんばる、なんて言葉はとうの昔に捨てていた。

「あの、私」

なまえはほんの少し迷ったが、酒の力もあってか松川と向き合い言葉を発する。普段はあまり自分から話しかけてこない女が、急に自分をとらえたので男はなんだろうと疑問に思う。

「ずっと不思議だったんですけど」
「ん?」
「なんで結婚したんですか、松川さん」

にこり、と笑うしかなかった。なんで、なんて言われたって答えようがない。女は夢を見るから、きっとロマンチックな答えを求めているんだろうが、自分の結婚にそんな素晴らしいキラキラしたものはない。でも、自分よりも随分若い女にそう冷酷に告げる必要はない。

「んー、流れだよねぇ」
「だって、私入社して松川さんが左手の薬指に指輪してるの見て、驚きましたもん。この人こんなに若くてかっこいいのに結婚してるんだって」
「あら、俺、褒められてる?」
「松川、調子乗んなよ」
「みょうじちゃん、あのねぇ、色々あんのよ、大人になると」
「やっぱり松川さんクズですね」

ひどいなぁ、と男はケラケラ笑っているだけだった。男の携帯はもう鳴らなくなっていたが、奥さんからの着信が2件、しっかりと残っているんだ。

2016/09/29