7周年 | ナノ
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「貴方、なんでそんなに艶々なんですか」

美しい指が頬を撫でる、ドキッとする自分に呆れる。ベッドの上。まじまじと見るのなら、優しく触れるのなら、交わる前にしてよ。汗で崩れてしまっているだろうから。言っておくけど私、もう少し綺麗だから。

「お金と時間、かかってるので」
「なにか塗っているんですか?」
「色々塗りたくってますよ」

洗面台にズラッと並んだ自分のスキンケア用品を思い出した。近所のドラッグストアで購入したものもあった。友人から誕生日に贈ってもらったものも、ご褒美と題し、デパートでえいっと奮発して手に入れたものもあった。そろそろクレンジングのストックがなくなるんだっけ。次の週末に買いに行こうか、春の新作コスメも気になっていたんだった。店頭にテスター、置いているだろうか。

「いろいろ、とは?」

夢野幻太郎はこてん、とこちらに頭を傾け私に問うた。成人した男性に掛ける言葉として適切かどうかわからなかったが、可愛らしかった。どうやら仔細を知りたいらしい。彼と関係を持って暫くが経つが、相変わらずつかみどころのない男だった。

「化粧水……その前に導入液塗ることもあるし、美容液でしょ、乳液、クリーム。パックもするし、夜はレチノールとか。メイクの前に下地塗って、コントロールベースでしょ、コンシーラーにファンデーション、シェーディングチークハイライト」
「呪文のようですね」
「……興味ないですよね?」
「そんなことありませんよ。知らない言葉ばかりで楽しいです。知らない世界のことは愉快で、面白いですから」

貴方はいつも小生の知らないことを教えてくれますね。
私が返事をしないせいで、彼の言葉は宙に浮いたまま、彷徨っているようだった。いつも思うが、セミダブルのベッドは大人二人が並ぶと狭くて仕方なかった。シーツの擦れる音だけになるが、特に気まずさはない。
今日こうなったのは、夢野幻太郎からの急な提案のせい……いや、おかげだった。前回からずいぶん時間が空いていたので、連絡があったことに私は内心、とてもホッとした。
ご在宅ですか?
もしよければ、今から会えますか?
仕事終わり、金曜。明日が休みという開放感からか、殺伐とした一人で暮らす小さな部屋で何をするわけでもなく、スマートフォンを弄っていた時に届いた二つの短い文章。返信内容はメッセージを確認した直後に決めていたが、わざと、あえて、小一時間おいて、返信をした。
いますよ
どうぞ、いつでも都合いい時に
ぽん、ぽん、と二つ、瞬く間に届ける。そうするとあちらもあっという間に寄越す。「ありがとうございます」「今から出ます」という二つがやってくる。
え?メッセージを確認してから返信するまでの小一時間で何をしたかって?当たり前だろう、シャワーを浴びたのだ。落とし損ねていたメイクはそのままで、いい香りのスクラブは久しぶりの出番だった。滑らかな身体を作ったところで、鏡の前へ。やや崩れていたファンデーションを濡らしたスポンジで拭い、カバー力が必要なところはコンシーラーを馴染ませる。アイメイクは有り難いことにそこそこ綺麗なままだ。下瞼に落ちてしまった分を綿棒で拭き取る。少しラメを足しておこうか。淡いピンクを頬へ。唇がカサついていたので保湿力の高いリップを塗った。上品なローズだ。精一杯可愛い自分を構築してみたが、どうせ彼はこの可愛らしい努力たちに気付いていないだろう。私の自己満足だから、気付かなくてもいいのだけれど。
邪魔くさい前髪は引っ詰めていた。髪を濡らして乾かし、ヘアアイロンでセットする時間も元気もなく、もうどうにもしてやることができない。せめても、とやや薄くなった眉尻を描き足してやる。
さ、これでいつ来てもいい。
そう思ってから返信をしたのだ。私が夢野幻太郎と会う前は、いつもこうだ。いつも通りの儀式だ。

「何も塗ってないんですか?」
「えぇ」
「いま、男性もしてますよ、スキンケア」
「あぁ、そうらしいですね」
「やらないんですか?」

と、まぁ、自ら提案したが、正直不要な気もする。何もしなくても、この男はそれなりに……というか、平均以上に美しかった。いや、美しい男の中でも更に、美しかった。肌は確かに多少乾燥し、荒れているところもあるが、それを差し引いたって、そもそもの顔の造形が私や、その他大勢の人間とは異なっていたのでそれが気にならなかった。脆く、儚く、美しい。夢野幻太郎はそんな男だった。

「やってくれませんか?」
「え?」
「スキンケア」
「……えぇ」
「そんな面倒くさそうな顔しないで。教えてくださいよ、小生にも」
「面倒くさいんですよ、実際」
「でも、貴方、毎日やっているでしょう?」
「毎日どころか、毎朝と毎晩ですよ」
「それは尊敬に値しますね」
「ご存知ないかもしれませんが、やらないともっと面倒くさいことになるんです」

下着を広い、身につける。仕方ないなぁと洗面台に向かう。いつものメンバーの中から幾つかピックアップする私の背に「リスクヘッジって訳ですか、奥が深いんですね、スキンケアってのは」と、わかってるんだかわかっていないんだか、よくわからない言葉が届く。

「染みたりしたら、教えてくださいね」
「ええ、よろしくお願いします」
「……睫毛、長いですね」
「ナマエも長いじゃないですか」
「私は睫毛美容液塗ってるんです。夢野先生は塗ってないでしょう?」
「塗ってますよ」
「嘘吐き」

ふふっと、楽しそうに笑う夢野幻太郎の肌に化粧水を滑らせた。コットンに、五百円玉大。何度も言うが、綺麗な顔だった。私が彼に惚れているから、そう感じるのではない。誰がどう見たって、端麗だと言うだろう。ずうっと、ぼおっと、眺めていたいほどだ。

「いま塗ってるのは化粧水なんですけど……お風呂上がりとか、朝の洗顔の後とかに塗ってもらって……そうですね、肌がひんやり冷たくなるまで、何度か重ねて塗ってください」
「何故です?」
「何故って……そういば何故ですかね。美容雑誌なんかでよく見かけるんです、そういうフレーズを。たぶん、肌に浸透しているとか、そんな感じのサインなんですけど。なんかあるじゃないですか、表皮とか真皮とか」

私は、彼が好きだから、こうやって彼の都合のいいように応じる。今から行ってもいいかと言われれば迷わずイエスの返事をする。いつ連絡が来るかわからないから、部屋はそれなりに綺麗にしておく。いつか、駆け引きで彼からの提案を断ってみようかと思ったこともあるが、そうしたらもう二度と誘われることなどない気がして、出来ずじまいだ。そんな私だから、スキンケアだって、自分に施すのさえ面倒だというのに、彼に塗布してやる。

「そしたら……そうだな、色々塗るの面倒ですよね。この美容液、スポイト式になってるんで、これくらい取って頬メインで塗ってください」
「手でいいんですか?」
「いいと思います、ちょっとトロッとしたテクスチャーなので……こんな感じで……あ、あんまり擦らないようにして、あと下にさげないでくださいね、肌をこう……持ち上げる感じで」

情けない女だった。どうしようもない女だ。それを包み隠すように、背を伸ばしてしゃんと歩き、メイクで武装し、アクセサリーで相手を威嚇する。でもこうやって、結婚適齢期だというのに、好いた男とよくわからない関係を保っている。そんな、ダサい女だ。

「で、クリーム。これ最後です。化粧水で水分を入れて、美容液で栄養を入れて、クリームで蓋をする感じですね」
「貴方、もっと沢山使っている風な口振ではありませんでした?」
「どうせやらないでしょう?最低限、初心者でもできるレベルの指導をしているんです」
「……ナマエは随分お優しいんですね」

別に、私は親切なわけではない。ただの下心だ。相手が貴方だからだ。貴方が、夢野幻太郎だからだ。貴方がどうしようもなく、好きだからだ。

「このくらい取って、全体に。多少べたつきますけど、こんなもんです。あとスキンケアは大事ですけど、ちゃんと栄養のあるもの食べて、普通の人が寝てる時間に寝てください」
「耳が痛いですね」
「心配してるんです」
「編集部に一筆書いてくださいよ。夢野幻太郎大先生に休息を、と」

そういえばもう三日、家を出ていませんでしたね。
ぼうっと、彼は呟く。私の愛する人気小説家はご多忙のようで、確かに疲れ切っているように思えた。そんな時でもわざわざ私に会いに来るのだ。人間、どんな時でも性欲が湧くのかと勝手に感心したところで私の心を見透かしたように彼が言う。以前も言いましたが、抱きたいから貴方に会いにきたわけではありませんよ、と。

「ふっと、貴方を思い出して、会いに行こうと思うんです」

確かに以前も届いた言葉だった。だが、まぁ、お得意の嘘だろう。どうでもよくて、真偽を問うこともしなかった。知ったところで、どうにもならないから。

「誰か、家に置いたらどうですか。お手伝いさんとか」
「気まずいじゃないですか」
「気にするんですね、そういうの」
「気にするに決まっているでしょう。貴方、意外と某のこと知らないんですね」
「教えてくれないんじゃないですか、嘘ばっかりで」

寝耳に水。夢野幻太郎は私の言葉をくらい、まさにそんな表情だった。何を驚いているのだ。本心なんてひとつも、見せてくれないくせに。

「可愛い手ですね」
「え?」

先ほどに比べればかなり潤っただろうか。こめかみの辺りが荒れている。鎮静効果のあるクリームのサンプルでも分けてやろうか。この人、家で一人でやるだろうか。そうやってあれこれ考えながら、指先で肌の質感を確かめている時だった。

「柔らかくて、小さくて」

突然、彼の顔に触れていた私の両手が、彼の両手に包まれる。私より二回りは大きい、綺麗な手。

「……なんですか、急に」
「住んでくれますか?」
「え?」
「小生が、お願いしたら」

そうしたらわざわざ、会いに来なくてもいいですし。あぁ、そうしたら尚更出不精になってしまうんですかね。

「どうですか?」

夢野幻太郎はそう言って私の手を握る。甲に唇を落とす。

「どう、って……いつもの嘘でしょう?」
「言ってませんでした?」
「なにを、」
「小生、そんなに嘘、吐きませんよ。特に意中の女性には」
「睫毛美容液は?」
「あれは嘘ですけど……正確に言えば、今日はあれ以外、特に嘘は吐いていません。そんな元気ないので」

そんなわけがない。そんなことになったら、夢野幻太郎は私のことが好きみたいになるから、そんなわけはない。

「……気まずいんじゃないですか」
「恋人と一緒に過ごして、気まずいなんてことはないでしょう」

ふっと降ってきた言葉は、その四文字は、私と彼の間には永遠に無縁のものだと思っていた。それを彼が提唱するのは、ひどく、不自然で。

「……恋人なんですか」
「はい?」
「わたしたち」

いいんだろうか。

「……貴方、恋人でない男と馬鍬うんですか」

彼からのこの言葉は、肯定と捉えて、いいのだろうか。
好きとか、付き合おうとか、愛してるとか、もっとわかりやすい言葉にしてよ。彼と過ごす時間の中で「あぁ愛されているのかも」と思う瞬間は何度もあった。何度もあったから「愛されているのかも」と思う度に、なんて痛い女だろうって、自尊心をボロボロにしてきた。そんなわけがないだろう、勘違いをするなと、自分を痛めつけてきたのに。

「私、別に、恋人じゃなくても、しますよ。するに決まってるじゃないですか」

だから、強がって言った。今までたくさん強がってきたが、これがきっと、最後の強がりだった。綺麗な顔が一瞬歪んで、少し嬉しかった。彼のこんな表情を見れたのだ。「意中」の「私」に見せた愛憎だ。
大満足だった。あとはぜんぶ、溢してしまおう。好きだって、愛しているって、彼女にしてほしいって、ぜんぶ言おう。だから、正直に言った。

「でも私、好きじゃない人とはぜったい、絶対にしません。どれだけ酔っ払っていても、相手の顔が格好良くても、有名な小説家でも」

好きじゃない人とは絶対にしない。
そう言って、彼にぎゅうぎゅう、抱きつく。「好き」を届け、「ちゃんと彼女にしてください」と迫る。彼は呆れたように「ちゃんと、ってなんですか」と照れくさそうに、言う。

2023/01/20