ギルギルギルティ | ナノ
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春になったら別れよう。
我ながら曖昧な提案だと思った。一月も間も無く終了、黒尾くんは部活を引退し、早めの春休みに入った。高校三年生の春休みは他の学年と比べると長く、とても自由でのびのびとした時間らしい。そういえば私の時もそうだったような…かなり前の記憶を引っ張り出して、懐かしんでみたりする。黒尾くんはその自由な時間をたくさん、私にくれた。友達と過ごさなくていいの?皮肉を込めてそう聞いたが、彼はその醜い感情をスルリと躱す。友達とはなまえさんが仕事してる時間に会ってるから大丈夫。流れるようにそう答え、私に安心をプレゼントしてくれた。特に、何をするわけでもない。何を話しているのか?取るに足らない、くだらないことばかりだ。最近の天気の話とか、昼のワイドショーで司会者とコメンテーターがべちゃくちゃと取り上げているアレコレに対して私たちも意見を述べてみたりとか。それの合間に可愛らしく唇を重ねたりする。黒尾くんはまだ、顔を真っ赤にしてくれる。唇と唇をちゅっとくっつけるだけ。それだけのことなのに、はにかんで、照れ臭そうで、全然慣れてくれなくて、そんな彼が、私は可愛くて仕方がなかった。そしてきっと、この何でもない毎日を私は一生、忘れないのだ。忘れられないのだ。とまぁ、ちょっと暗くなってしまったが、とにかく、そんな感じ。そんな感じで私と彼の距離はどんどん近くなって、ぴったり寄り添うように。

「それって何月何日?」

黒尾くんは私の、何の脈略もない提案にシンプルな質問を寄越した。春になったら、という表現はやはり曖昧だったようだ。人によっては三月から春だと主張する人間もいるだろうし、暦の上で春が始まる立春を指すのかもしれない。入学式とか入社式は大抵四月に行うから四月が春らしいような気もするし、暖かくなって嬉しくなるのもだいたいこの辺りだし…そんなことを考え出すと、何月何日が春なのか、全く答えられそうになかった。これはきっと価値観の問題だろう。とりあえず、立春を春とするのはお許し願いたかった。だって、もう、本当にすぐそこにそれは用意されているから。

「春一番が吹いたってニュースになったら、とか?」

あまり寒くない冬だった。会うのは相変わらず、私のつまらない部屋だ。でも、少しずつ黒尾くんの荷物が増えていた。部屋で着るスウェットや彼専用のスリッパ、お昼ご飯を食べた後に使う歯ブラシは青で、私はピンクだからとても馬鹿馬鹿しくて、とっても、嬉しくなる。週に三度くらいのペースはきちんと、保たれていた。毎日来てもいいんだよ、と伝えたこともあったが、「それはさすがにうざいでしょ」とヘラヘラ笑って終了。でも私は本当に、別に良かった。以前付き合っていた人に対しては、そんな風に思えなかったのに。だって、週末のデートが面倒だと感じることさえもあったから。なのに、黒尾くんなら良かった。毎日だって、朝から晩まで一緒にいるのだって、大歓迎だった。

「…そうだね、その方がいいかもね」
「その方がいい?」
「終わりの日がわかってると悲しくなるでしょう?」

定位置となったソファ周辺。私はそれに腰掛けず、背凭れがわりに。黒尾くんは右端の肘置きに体重を預け、長い足を左側でのびのび伸ばしていた。彼と出会ってから、ずいぶん楽しく過ごしてきた。そろそろバチが当たるだろうなと、察することができるほどだ。人生は幸福と不幸が半分半分ずつ、原材料として使用され、組み上げられているそうだが、それはどう計測して誰が振り分けるのか、不思議でならない。ただ、私と黒尾くんの過ごした時間は限りなく幸福で、それはもう、誰がどう測ったって、完全にそっちなわけで。

「この日、って決まってるとさ、あと何日、あぁあと何日だって、カウントダウンしちゃわない?」
「あぁ、そうだね、しちゃうね」
「だから、決まってない方がいいかなって」

怖いのだ。壊れるのが。ツケが回ってくるのが。だったらもうさっさと終わらせて、自分の予想する範囲内で傷付きたい。黒尾くんはこんな時でも全然、高校生みたいじゃなくて、悔しかった。突然言ったのに、狼狽えもせず、涙も流さず、泣き言も溢さず、私と別れる日取りを決めてくれた。言葉にした途端、私はどうしようもなく泣きたくなった。巻き戻してなかったことにしてしまいたい。なーんてね、ウソだよ〜驚いた?って戯けてみればいいのかもしれない。でも、黒尾くんがそんなんだから。もう先ほどまでの私たちには戻れないし、私も泣いてはいけないと、そう思ったのだ。

「春一番っていつ頃なの?」
「いま調べてる…立春から春分までの間に、日本海の低気圧に向けて吹く強い初めての南風」
「立春から春分」
「去年は三月一日、東京ね。その前が二月十七日」
「ふーん」
「結構まちまちだね、三月十八日の時もあるし」

私と別れた後の黒尾くんは、いったいどんな黒尾くんになるのだろうか。先日のセンター試験を受けたと聞いた。大学に行って、同い年の女の子と恋をしたりするのだろうか。アルバイトを始めたりして、そこで出会った歳下の女の子に優しく仕事を教えてあげたりさりげなくフォローしてくれたりするのかもしれない。私が知り得ない黒尾くんはどれもすごく疎ましくて、ずるいなぁいいなぁって、羨むことしかできない。いまこうして同じ時間を共有していることだって、じゅうぶん素晴らしいことなのに、この恋の終わりを考えて、彼が落ちる他の恋を妬んで。

「まぁつまり、俺たちの運命は南風が握ってるってことね」
「…嫌だな、とか」
「ん?」
「何にも言わないんだね」
「言ってもいいの?」
「…ダメでは、ないと思う」
「あ、本当に?」

録画していたバラエティ番組を適当に眺めて、それはほとんどBGMでしかなくて。私は黒尾くんの足が占領していた左側に腰掛け、彼の手を握る。そうすると彼は私との距離を詰めてくれるから、仲良く腰掛けて、身を寄せて、ヨタヨタのブランケットに身を包んで。互いの熱がじんじん、熱くて。

「いいの?俺みたいなオコサマが、筋の通ってない意見述べて」
「どうぞ」
「まあ、とりあえず別れたくないよ、俺は」

私だってそうだよ。その一言を声にするのは、簡単だけれど難しくて、とてもじゃないが、できなかった。音にこそしないが「そうだよね、気持ちはわかるよ」という相槌を体内で打つ。察しのいい黒尾くんも、さすがにこれには、気付いていないようだった。気付かれたって困るんだけれど。

「別れるだろうなとは思ってたけど」
「…何で?」
「なまえさんは俺のこと、好きじゃないから」
「好きだよ」
「嘘だよ」
「嘘じゃないよ」
「本当に?」
「本当に」
「じゃあ、まぁ、好きだとしてもさ」

俺の好きとなまえさんの好きは種類が違うんだよ。
黒尾くんはとても面倒な議題を持ち出してきた。こういう話って難しいのだ。さっきも言ったけど、誰にも判断ができないしルールも基準も存在しないから。でも、とりあえず、私は彼の意見を聞くことにした。筋の通ってない意見を述べる許可をしたのは、私だから。

「俺もね、思うよ。なまえさんは俺と付き合ってても幸せになんかなれなくて、寧ろ不幸になっちゃうからさ。だからさっさと別れて、ちょっと歳上の、なんかいい感じの仕事してる人と付き合って二年くらい経ったら結婚する方が、俺なんかといるよりよっぽど幸せだって、わかってるよ」

私もそう思っていた。そのつもりだった。そんな人生をぼんやり、思い描いていた。そんなところに現れたのが、黒尾くんだ。出会った時に一瞬、魔が差して「もしこの子と付き合ったら?」と考えたあの時から。私はずっと、ずっと考えている。彼が隣にいる自分のこれからの人生を好き勝手描いて、嬉しくなったり悲しくなったりしている。私が落とさなければよかったあのパスケースを見るだけで、ズキズキ、どこかが軋んで、痛くて。

「頭ではわかってるんだけどね」
「うん、」
「でもね、なんつーか…やなの、俺。なまえさんが俺以外の人と付き合ったり結婚したりするの、嫌なんだよね。そりゃ幸せになってほしいよ?でもそれって俺じゃダメなのかなって思ってて。いや、まあ、ダメだからさっき、あぁいう話になったんだろうけどさ」

言葉を飲み込むのも限界だった。何かで蓋をしないと全部溢れそうで、目の前にあった黒尾くんの唇を借りた。言葉を閉じ込めておくには、ちょうどよかった。黒尾くんからそうしてくれるまで、触れ合わせるだけのキスで我慢しておこうと思ったが、それだとどう頑張っても漏れてしまいそうだから。

「舌、出して?」

私からキスをしたのが初めてだったからだろうか。舌を出せという訳のわからないリクエストのせいか。彼はいつもよりも頬を赤くして、何か言いたげにしているが、それ以上何も、言わないで欲しかった。色々、抑えるので必死なのだ。伝いたい言葉とか、涙腺にぎゅうぎゅう詰まっている涙とか、好きで好きでやるせない気持ちとか。

「した?」
「舌、」

黒尾くんは躊躇いながら、ゆっくり、私の言いなりになってくれた。赤いそれに私の舌を触れ合わせる。要望を伝えた時点で何が起こるかは察してくれていたのだろう。それでも、急に訪れた何とも形容しがたい感覚に少々驚きつつ、優しいこの男は、こちらの我儘に付き合ってくれた。私が好き勝手、彼の口内を味わって、薄っぺらい唇をそっと舐め、リップクリームしか塗っていない質素な唇で包んでやる。彼のことだ。きっと、頑張って冷静を保ちたかったんだろうが、その辺りで彼がわかりやすく身体を震わせた。ハッとして距離をとる。名残惜しいと思ってしまう図々しい唇で、ごめんと告げる。

「いや別に…謝ってほしい訳じゃ、」
「…嫌じゃない?」
「嫌じゃない、寧ろ嬉しいんだけど」
「けど?」
「なんつーか…感情が追いつかないのでちょっと待っていただけますか」
「何で敬語なの」
「いや、何か、なまえさん大人だな、と…」
「大人なんだよ、実際。七つも上なんだよ」
「それはわかってるって。そういう、物理的なやつじゃなくて」
「え?」
「…嫉妬するでしょ、普通に」
「嫉妬?」
「俺以外のやつと、今みたいなキスしてたってことでしょ?俺が教室でせっせと勉強してる間に」

否定をすればいいのか、まあそういうことだねと肯定すればいいのかよくわからないが、私もまだまだオコサマなようで、歳下の男の子からの嫉妬が嬉しかった。妬いてもらえている。こんな名誉なことはない。私が彼の同級生に嫉妬しているのと同じように、彼も不安になったりするのだ。愛おしいで満たされた私は、このくらいなら伝えてもいいかなと、正直に言う。私だってそうよ、と。正直に。

「黒尾くんだって、私が会社でせっせと働いてる間に同じクラスの、近くの席の女の子と楽しくお喋りすること、あるでしょう?」
「ソレとコレとじゃレベルがちげえよ」
「でも、私、それすごく嫌だよ」
「何?俺がクラスの女の子と話してるのが?」
「やっぱり話してるんだ」
「いや、業務連絡ですから。だいたい俺、なまえさん以外興味ないし」
「どうだか。卒業式に後輩の女の子から黒尾先輩、第二ボタン下さいとか言われるんでしょ」
「その黒尾先輩ってのすげえ興奮するんだけど。もう一回言って」
「そういう話じゃないんですけど。上手く流さないでください」
「言われねーって。だいたいうちの高校、ブレザーだから第二ボタンもなにもないし」
「じゃあ私にくれる?ブレザーの第二ボタン」
「うん、卒業式の日まで春一番吹いてなかったらね。なまえさんにあげる」

自分の曖昧な提案を、南風なんかに主導権を握らせてしまったことをたっぷりと恨んだ。ありがとう、と当たり障りのない言葉をチョイスして、また言葉を閉じ込めるために、舌と舌を絡めた。

2019/02/07