ギルギルギルティ | ナノ
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ちょっと遅れる。彼から送られてきた短い言葉。いつもの駅で待ち合わせ、いつものスーパーで買い出し、いつもの道を二人で歩く、いつもの私たちまであと数分だったのに。久しぶり、という声を聞いて、ちょっとじゃなくていいと思った。何本か電車を逃して、この男が去るまでこちらに来ないでほしい。そう願うが、当然彼はほんのちょっとだけ遅れてやってくる。いつか、言っていた。なまえさんに早く会いたくていつも早めに着いてしまうんだと。そんな彼だ。たっぷり遅れてくれるはずがない。いつもと違うのは私の隣に男がいることだった。黒尾くんは百パーセント、私に気付いているが、気付かないふりをしていた。そして私も黒尾くんに気付いていたが、気付かないふりをしてしまった。どんな顔をしたらいいのかも、どう動けばいいのかも、全くわからないのだ。

「仕事終わり?」
「うん」
「誰か待ってんの?」
「うん、まぁ、そんな感じ」
「新しい彼氏?」

四年も付き合ったというのに、私の心境なんて一切汲んでくれないようだ。黒尾くんからであろう視線が痛くて、私は目の前の男の趣味の悪いネクタイの結び目をぼおっと眺めることしかできない。もう、さっさと立ち去ってほしい。その一心で満たされているのは間違い無くて、もう言葉にしてしまおうかと拳にグッと力を込めた時、隣にいつもの圧を感じた。黒尾くんの声は、違和感を覚えるくらいに穏やかだった。

「ごめん、遅れた」
「あ…ううん、私もさっき着いたから…行こう、」
「いいの?」
「うん、平気。ごめん、私行くから」

何か言いたげだったが、飛んでくる言葉が怖くて、私はせっせと足を動かす。階段も不規則なリズムで駆け下りた。駅前にしては街灯が少ないからこんな醜い表情も見られずに済むだろうか。初めて、知り合いに彼といるところを見られた。どう思われただろうか。心臓がヒュウヒュウと騒がしくて、黒尾くんに名前を呼ばれていることに気付かず、強く握られた右の手首でようやく私は足を止める。彼の顔は見れなかった。ちょうど、駅から脱出したところだ。

「ごめん」
「…え?」
「邪魔だった?」
「ちが、…ちがう、邪魔じゃない」
「本当?」
「ごめん、黒尾くんいるのわかってたんだけど」

何で私は、見て見ぬ振りをしたのだろうか。元恋人からの問いにスルッと答えられなかったのだろうか。そうだよ、新しい彼氏と待ち合わせしてるの。あ、あそこで待ってるからじゃあまた。そう言えばよかっただけなのに、何で言えなかったんだろう。明白だ。知られたくないのだ。自分が七つも歳下な高校生の男の子を本気で好きになっていることなど、誰にも知られたくない。誰にも絶対、知られたくない。自分でさえも、知りたくないのだから。

「…けど?」

私の手首を掴む力がじわじわ強くなって、ぎりぎりと骨が軋む。私はもう、大人なのだ。適当に嘘をつけばいい。どうせ春になればサヨナラするのだ。今だけ、ほんの少しの間、取り繕えばいい。なのに、それが上手にできない。両手でも抱えきれないほどの好きという気持ちに嘘をついて、手のひらで握っておける、そこそこの好きを演じてきた。私はいつでも黒尾くんから離れられますよって、そんな雰囲気を醸し出すことに徹していたが、もう最近はそれができなくなっていた。好きだから、嘘なんかつきたくないよ。全部ぶつけて、全部見せて、そうやって進んでいきたいのに、進む道を自ら絶ってしまった代償なのだろうか。でも、だって、私もこんなの、知らないんだもん。何でこんなに好きにならなきゃいけないの、何でこんなに苦しいの、何でこんなに、一生懸命にならなきゃいけないの。どの言葉を伝えればいいのかわからず、口を結んだままの私に彼は諦めたように言った。今日はもう帰ると、そう言った。

「落ち着いたらまた連絡して」
「待って、お願い、ちょっと待って」
「大丈夫だから」
「…え?」
「わかってるから、俺」

じゅわっと彼の瞳に滲むのは、涙で間違い無いのだろうか。察しのいい彼は全部、私が上手く言語化できないこの禍々しい感情を理解しているようだった。もちろん、全てが正解ではないと思うが、だいたい、わかっているようだ。彼の手の力がどんどん抜けていく。ごめんね。そう発せられた彼の声が悲しすぎて、気付けば私が泣いていた。震える声で言葉を紡ぐ。

「なにが、わかるの」
「さっきの、元彼…とかじゃないの」
「そう、…そうだけど、」
「ごめん、はじめは…話終わるまで待ってようと思ったんだけど、見てらんなくて。すげえ嫌で、なまえさんは俺のだし、とか思っちゃって」
「ごめん、」
「いや、俺もごめん。絶対嫌だろうなって思ったの、なまえさん。俺と一緒にいるところとか、誰かに…ましてや知り合いに見られるのとか、絶対嫌だろうなって。わかってたんだけど」
「…嫌じゃないよ、」
「嘘つかなくていいよ。俺がなまえさんの立場だったら嫌だからさ。で、そこまでわかってんのに、嫌すぎて我慢できなくて声掛けた。本当ごめん」
「違う、私が、」
「ううん、俺が悪い。ごめんね、本当、ガキで」
「違う、それは絶対、違う、」

ちょっと座ろっか。黒尾くんはそう言って背中をさすりながら近くの寂れたベンチを指差してくれる。よたよたとそこに足を進め、ゆっくり腰掛けた。冬の夜、気温は一桁、ほとんどゼロに近いはずなのに私の体内はじゅくじゅくと、熱かった。

「大丈夫?落ち着いた?」
「ん…ごめん、平気」
「いや、なまえさん悪くないって。ごめん、普通にすげえ嫉妬した」
「…嫉妬なんか、しなくていいから」
「ん?」
「嫉妬なんか、してもらわなくていい」
「するでしょ、普通に」
「もうちょっと経ったら、黒尾くんもわかるから。私があの人に向けた好きと、いま黒尾くんに向けてる好きは全然、違うから」

黒尾くんは、どうかしているんだと思っていた。こんな、歳上の女に自分の青春を費やして、必死になって、馬鹿みたいだって。でも、わかる。多分きっと彼ははじめから、こんな風に私のことが好きだったのだ。今までの恋愛から好きの量って大凡このくらいだろうなと把握していたのに、想定していたそれよりも随分たくさんの好きがごぽごぽと。もう、私もどうかしていた。でも、どうにもできなかった。

「あのね、普通ね、こんなに好きにならないんだよ。こんな好きって、私だってはじめてなんだから」
「…どういうこと?」
「そんなに好きじゃなくても、相手が好きって言ってくれたりとか…、その人のことまぁ悪くないなって感じだったら、大好きじゃなくても付き合えたりするでしょ。だいたい、そんな感じなの」
「そんなに好きじゃないって、どのくらい?」
「黒尾くん、今まで好きになった人、みんな同じくらい好きなの?」
「好きな人?」
「いたでしょ」
「いたけど、小学生の頃とかだよ」
「嘘、」
「俺に対する嘘つきのイメージ強くない?」
「うん、強い。胡散臭いの方が近いよ、ニュアンスとしては」
「そんなこと思ってたの?」
「妙に大人っぽいんだもん。高校生ってもっと…なんて言うか、上手く言葉にできないんだけど」
「でもさぁ、俺、本当にないんだよね、なまえさんが初恋なの」
「モテるくせに」
「モテませんって、残念ながら」
「気付いてないだけでしょ」
「気付かないほど鈍感だと思います?」
「…思わない」
「でしょ?」

分からずやの彼に、ぽそぽそ言ってやる。まぁこの人なら付き合ってもいいかって、そんな恋愛が大抵なんだよ、と。あっ、この人すっごい好きだな、どうにかしてでも絶対に付き合いたいなって、そう思うことなんてほとんどないんだからねと。何も知らないくせに好きをたっぷり寄越す彼に、教えてやる。

「わかった?」
「俺がなまえさんのことがこんなに好きなのは、ほとんどない方の好きってこと?」
「…答えにくい確認の仕方しないでくれる?」
「なまえさんも、そうだってこと?」
「…うん、ごめんね」
「なんで謝んの、すげえ嬉しいけど」
「黒尾くんは、私のこと友達とか家族に紹介できる?」

彼の答えなんて求めちゃいなかった。吐き出したかったのだ。黒尾くんが嘘をついてでも私が嬉しくなる答えをくれるのはわかる。この男は、そういう男なのだ。

「ごめんね、私はできないの。付き合って何年なの?いつ知り合ったの?って聞かれて素直に答えられない、計算されたらどうしようって思うよ。私が恥ずかしいから、高校生の男の子に本気になるなんて、あっちゃいけないことなんだよ」

黒尾くんは私の願い通り、何も答えなかった。その代わり私の冷えた指先をぎゅっと握り、最高につまらなくて最高にドキドキする触れるだけのキスをそおっと。やっぱりさ、と私の唇の近くで言って、今度は彼の声が震えていた。

「ごめん、さっき帰るって言ったけど、やっぱり今日家いっていい?」
「…いい、けど」
「泊まってってもいい?」

必ず程よい時間の電車で帰っていた彼だ。こちらが「帰らなくていいの?」とか「泊まるのはダメだよ」みたいな警告をした訳ではない。彼の、勝手な判断だ。私は頷けばいいだけなんだろうが、そうしてもいいのかわからず、引っ込めたはずの涙をまたぽたぽたと落とすことしかできない。面倒な女だ。なのにやっぱり彼は親切だから。そんな情けない私の摩る価値などない背中に大きな手を回してくれるし、戯けたように「つーか、断られても行くわ、ごめん」と言うのだ。

2019/02/10 title by 星食