新開隼人 | ナノ
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -
「昨日は、」

しおらしい声で新開に謝罪をするなまえは、色男の顔なんて見れたもんじゃなかった。こうやって声を掛けるのだって、相当タイミングを見計らって、でも開口1番に言わねばならぬ気もして、ただ、周りの女どもに知られるわけにもいかなくて。言おう言おうと思い続け、時刻は間も無く昼休み。

「昨日は、すみませんでした」

コピー機の前、資源の無駄としか言いようのない会議で使うレジュメ。誰も求めてなどいないのにつらつらと余計なことがたっぷり書き込まれたそれを、大量に印刷している時だ。男がやってきて、おそらくファックスを送ろうとしていて、あぁ今かもと思って、口早に言う。

「ん?」
「その、昨日、申し訳なかったです」
「…みょうじさんに謝られるようなことはなかったと思うけど」

唖然とする女に新開は言う。昨日はありがとうな、おかげで助かったって、言う。そういう男だった。本当、どうしようもないくらいに女を虜にする、いい男だった。

「そんな、」
「いや、本当助かったからさ。おかげさまで濡れずに済んだし」
「それなら私だって、」
「私だって?」
「…ありがとうございました、昨日、」
「うん、どういたしまして」

もうちょっと気軽に頼ってくれると嬉しいなと、そう付け加えてにこりと笑って。なまえは言わなきゃならなかった。コピー、もう少し終わらないのでファックス送っておきますよと、そう言いたかったのに、もう完全に持っていかれていた。目の前の新開隼人という甘ったるい蜜を振りまく男に、もうすっかり、魅了されていた。

「みょうじさん、仕事終わりに飲みに行くの好き?」
「えっ」

とろんと、すっかり夢中になっている女に新開が気付かない訳もなく。こちらはこちらで、狙っているのだ。次のステップへ進もうと、結構必死なのだ。

「仕事終わりに飯行くの、どう?あんまり好きじゃない?」
「どう、って」

好きかどうかと聞かれれば、さして好きではない。ただ、相手が憧れの上司なので話は別だ。しかしなんと答えたらいいのかもわからず、黙っておろおろするしかない。もちろんそんな姿を見たって男が怯む訳もない。じゃあさ、と。声を出さないなまえに新開は聞き方を変えてみる。本気で嫌がっていないのがわかるから、答えやすいように聞いてやる。

「仕事終わりと休みの日だったらどっちがちい?」
「仕事終わりと休みの日…?」
「んーと、金曜の夜か…土曜の夜か、どっち?」
「…、金曜の夜、がいい…です」
「じゃあ今週末」
「あの、」
「傘のお礼に、飯奢らせてよ」

いいだろ?って、そう目線を合わせて言われればもう身動きも取れないし言葉を発することだって難しくて、ぐるぐるぐるぐる、考えた。今週末?金曜?仕事終わり?私と新開さんが?食事?お礼?

「そんな、お礼だなんて」
「いや…なんつーか…正直、お礼は建前。俺がみょうじさんと一緒にいたいだけ」

それでもダメか?そう言って困ったように笑う新開は、実際に本当に困っていた。こんな女は初めてだからだ。大抵は自分が食事に誘えば嬉しそうに笑って尻尾を振ってルンルンランラン付いてくるもんだ。ところが彼女は謙虚なのか控えめなのか自分という男に興味がないのかはわからないが、承諾を得るのが難しい。急すぎるか?と、未だ俯いて耳を赤くしたままの女が断りやすいようにパスを出してやる。そうですね、またの機会に…と言われるのだろうか。そんな風に心構えて。

「いい、んですか」
「ん?」
「主任、は…」
「俺はいいよ、みょうじさんが嫌じゃなければ」
「嫌じゃないです、嫌じゃないんですけど」
「けど?」
「私なんか、」
「私なんかって、…俺はみょうじさんがいいから、こうやって職場で必死に、コソコソ口説いてんだけどな」

コピー機はやかましく作業を続け、適当な言葉で繕われたA4サイズの用紙を吐き出し続ける。なまえはもう、どんな顔をしたらいいのかも、どう返事をしたらいいのかもわからず、男の大きな瞳を見つめることなんてもちろんできず、一定のスピードで排出されるコピー用紙を眺めることしかできない。心臓が跳ねているのはよくわかる。何も楽しくて跳ねているわけじゃない。今この状況に驚愕して、ピョンピョン跳ねているのだ。あの新開隼人が、自分を口説いていると言ったのだ。意味がわからなかった、いや、意味はわかるのだけれど。

「あ、あの、主任…ファックス、」
「返事は?」
「いや、っ、と…あの、」
「金曜の夜、約束な?」

何度か首を縦に振って意思表示。チークを塗った頬が燃えるように熱い。新開はなまえの返事を受け取るとニカリと満足そうに笑って、やった、と声に出す。少年のような紳士だ。そんなところがとても、いい男だ。

「楽しみができた」
「そんな、私、」
「忘れないでくれよな」

忘れたくても忘れられないくらい、こちらだって楽しみなのだ。新品の油性ペンで筆圧濃いめで書く。脳内でキュッキュッと、紙とペン先が擦れる音が鳴る。新開さんと食事ってそう書いて、ぽやぽやした脳はもう、あまり機能もしなくて。

「あの、」
「なんだ?」
「ファックス…私やります、」
「あぁ、これ」

気まずそうに新開は笑う。みょうじを誘うタイミングをうかがっていた本日の午前は、間も無く終わろうとしていた。コピーをとるために席を立った彼女を自然と目で追って、知らぬ間に自分も席を立っていた、と言えばいいのだろうか。ファックスを送らなければならないように見せかけて席を立った、と。こればっかりはなんかこう、気付かれたくないもんだがもう、この男もちょっとおかしくなっていた。いつも瞳を湿らせているこの女を、早く彼女にしたくてたまらなくて、おいおいもう分かってるだろう俺の気持ちって、そんな気分になってきて、格好をつけて言ってやる。

「違うんだ、これ。今日…いや、正確に言えば昨日みょうじさんと別れてからなんだけど、いつ誘おうかずっと考えてて、おかげで午前中、全然仕事進まなかったよ」
「っ、す、すみませ、」
「いやそうじゃなくて、そこじゃないだろ」

可笑しくて可笑しくて、あぁもう好きだなぁと何度目だろうか、痛感する。いい加減気付いてくれよって、声に出してしまう。

「気付く?」
「俺がみょうじさんのこと好きだって、わかるだろ?」

なまえはどうもわかっていないようで、新開はもう降参。とにかく金曜日よろしくなって、そう言って席に戻っていく男の背中を見て、がちゃがちゃの頭を少しずつ片付けて恥ずかしくなって声が出そうになって、すぐにゴミ箱にぶち込んでも構わないようなそれのコピーはもうすっかり、終わっていて。

2018/03/09