新開隼人 | ナノ
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言っておくが、なまえは能力がないわけではない。周りが優秀が故、なんとなく劣って見えるがそこそこにできる方だ。言うまでもなく新開は要領よくそれらを片付けるので女が思っていたよりもずっと早く、この2人の空間はおわりを迎えようとしていた。男は窓の外を確認する。本降りになってきた雨に感謝せざるを得ない。梅雨なんて大嫌いだったのに、こう転ぶとこの時期の素晴らしさを痛感する。そんな煩悩を浮かべることができるほどに、やらねばならぬことはほとんど、終了していた。

「新開さん、終わりますか?」
「おう、あと2分で終わるな」
「そしたら、もう上がってください。これ以上お時間いただくわけにはいかないので」
「…それなんだけど」

ぎぃ、と椅子が軋む。女に身体を向けてずっと考えていた言葉を実際に声に出してみるのだ。2人きりのオフィス、誰にも邪魔はできない。

「傘、持ってるか?」
「…かさ、傘…ですか」
「持ってる?」
「会社に置きっ放しのが1本、あります」

女は空からそれが落ちていることにも気付いていなかった。新開の言葉にハッとして窓へと視線を向ける。少し下がってしまったまつ毛だが、男にとってそんなことはなんの問題もない。だいたい、そんな細かいことは気にしてもいなければ気にする余裕もないのだ。新開はそれなりに、必死だった。5年前ならこんなもの呼吸をするのと同じくらい簡単にできたなのに、この数年で自分も随分大人になったのだなぁと変に関心する。

「雨、降ってたんですね。すみません、本当」
「雨はみょうじさんのせいじゃないだろ」
「私、傘買ってきますか?それか貸し出し用の傘、ないですかね…探しましょうか」
「いや、そうじゃなくて」

今にも立ち上がりそうな女に苦笑。あぁ、キチンと言わないと伝わらないか。この会話が愉快になってきて、思わず笑いそうになる。ストレートに言わなきゃいけないのか、結構恥ずかしいな、冷静に考えて「相合傘して帰ろう」って図々しくないか?ここまできてしまったし、仕方ないか、もう。男はふっと笑って、少々赤面した頬を晒しながら精一杯格好つけて言う。さすがのなまえも、この変な空気を感じ取っていた。主任?と呼びかけようとしたのと新開が声を出したのはほとんど、同時だったように思う。

「いれてくれないか」
「なにをですか」
「俺を」
「…なにに、ですか」
「…おめさんの傘に」
「かさに」

クエスチョンマークを浮かべる女を抱きしめたくなる。なんでわからないんだよ、もう。俺ばっかりかよ、こんなこと考えて、この今の状況に期待してるのは。ほとんどヤケクソな男はどうにか残っているモテる男としてのプライドを振りかざす。

「一緒に帰ろうぜ」
「…え?」
「って言っても、俺、傘ないからさ」
「私、あの、」
「なぁ頼むよ、みょうじさんと一緒に帰りたいんだ。ダメか?」

さすがの女も意味はわかったようで、ものすごく困った顔をしていた。いや、とてつもなく嬉しいのだ。新開隼人と肩を並べて歩くことができる。それを望んでいる女はごまんといるわけだ。誰もが望むそのポジションを自分のようなどこにでもいる女が全うする。そんなずるいとしか言いようがない役割を担ってもいいのだろうか。そう迷って口を噤んでいると、静粛に耐えられなくなった新開が言う。仕事手伝ったろ?って、情けなさそうに笑って、言う。

「そ、そうですよね、すみません私、」
「かっこ悪いな、俺、必死だ」
「そんな、新開さんはいつもかっこいいですよ、」
「ん?」
「え?」

おかしなことを言ったと気付いたのは3秒後。いや、そんなことはもう暗黙の了解というか言うまでもない事実なのでわざわざ声に出し、ましてや本人の前でそう声高らかに言うのはなんだか違う気がした。新開は言われ慣れた、聞き飽きたフレーズに胸をどきりとさせる自分にくつくつと笑うのみ。誰に言われるか、というそれだけの違いなのに、このオフィスにはびこる女たちからそう言われた時と全く異なる自分の心情。ただこんなことで赤面するようなウブな男ではいられないのだ。大人の余裕、をもっと見せないと。そう思って感情を押さえ込んで迫真の演技。

「嬉しいな、ありがとう」
「あ、いえ…その、すみません、私、」
「ほら、ひどくなる前に終わらせよう。俺も手伝う」

ぐちゃぐちゃな心情の2人はどぎまぎしながらも残ったそれらを手際よく片付けてフロアを消灯。2人きりのエレベーター、途切れることのない変な空気。置きっ放しにしていたシンプルな雨傘を握る手に力が入ってしまうなまえは、あからさまに緊張していた。入社した年に社員の前で1人ずつ自己紹介をさせられたが、ちょうどあんな感じの緊張感だ。どうしよう、これ、どうするのが正解なんだろう。そう頭の中で考えを巡らせてみるが疲労困憊の海馬では何も導き出すことができない。一方隣に立つ格好のいい男は素直すぎる欲にまみれていた。手くらい繋いでも怒られないだろうか。このくだらない建物から脱出すればただの男と女な訳だし、と。どうにか“そういう関係になった時”の言い訳を楽しく考えているのだ。

「結構降ってるな」
「そう…ですね」
「傘、借りてもいいか?」
「はい、」
「ごめんな、本当」

申し訳ないと思っているならタクシーで帰りやがれという正論は心にしまっておこう。2人ともそれを望んでいるのだから。なまえは望んでいる、というか…この状況を未だ信じられないと、そう思っているからまたアレだが、まぁとにかく。雨は勢いよく地面を叩いている。会社から最寄りの駅までは徒歩5分。この近さをこんなにも恨めしく思ったことはなかった。新開はそう思いながら女物の傘を開いて、女の腕を掴んで。

「もっとこっち寄れるか?」
「すみません、ごめんなさい」
「…何で謝るんだ?」
「なんか、すみません…私なんかが…」
「いや、傘忘れちまったの俺だからな」
「それは、そうかもしれないですけど」
「謝らなきゃならねえのは俺だよ、ほら行こう」

なかなか足が動かないなまえを半ば無理やり傘の中におさめ、駅へと進む。1人の時よりもずっと遅い足取り。ヒールを履いた足で濡れた路面を歩くのは難しいと、新開はそのくらいはしっかりとわかっている男だ。男の左側となまえの右側はしっかりと触れ合って、それだけで女はもう、気がおかしくなりそうだった。気のせいかもしれないが新開からはいい香りがする。甘さはほとんどなく、ちょっと遊んでそうな、危なくて色っぽい香りがまた、なまえをクラクラさせるわけだ。

「仕事、大丈夫か?」
「え?」
「大変だろ、ほら、独特だし」
「あ…いえ、大丈夫ですよ。すみません、私本当に仕事遅くて、ご迷惑ばかりお掛けして」

もっと聞きたいこともある。話してみたいこともある。ただ予想していたよりも女の身体の動きはかたく、目が合うこともない。避けられている、と言っても表現に間違いはなさそうだ。思っていた以上に手強そうな女に男は焦ったくもなるが、そんなところが好きだと思えたりもするので、まぁいいかとどうにか自分を落ち着かせる。先程から謝ってばかりの女はやはり気がひけるのか少しずつ離れ、先程から左側がずぶ濡れだった。新開もそれに気付いていて、傘を彼女の方に傾けてはみるが、ほとんど無駄であり、男もまた、右側をぐっしゃりと濡らしていた。

2017/07/16