高校生及川 | ナノ
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離れて幾つか、わかったことがある。彼は私から離れたって何も変わらないし、私も意外と、何も変わらなかった。私に関しては、表面上は、という括弧書きが必要だけれど。
今だってそう。ハタから見れば夏休み明けの確認テストに向けてシャープペンシルを忙しなく動かす生徒の1人にしか見えないはず。でも実際は小さな端末から再生される失恋ソングをイヤホンを通して聴き、「はい泣き出すまで5・4・3…」とカウントダウンを始めれば泣き出せる私だ。壊れた恋にどっぷり浸って、感傷的になっている。連続ドラマのエンディングやテレビCMでよく耳にする日本人女性アーティストは最近聴き始め、こんな心情にぴったりの曲が多く、よく耳に届けている。心境としてはもっと「私を選ばないあいつなんてもうこりごり、そんな貴方なんてこっちから願い下げよ」みたいな、そんな強気なものでも聴いて気分転換すればいいのだろうけど、あいにく私はそんなに前向きでも勝気でもない。じめじめとした、この歌詞とテンポがよくお似合いだと自負している。そう再確認して音量を1つ上げた。

「…、っ、なに、」

とんとん、と肩を叩かれる。上げた音量のせいか、彼が近付いてくる音や気配に気付かなかったようだ。にこり、と効果音付き。もちろん実際に聞こえているわけじゃない、そんな風に聞こえるような気がしてしまうのだが、そんな風に彼は笑って私の隣にストンと腰掛ける。机の上には英語の教科書とペンケース。彼の声を自然と求めている私はまた、自分を苦しめるとわかっているのにも関わらず片耳をイヤホンから解放してやる。

「ここ、いい?」
「…なんで、」
「今日部活オフなの」
「そうじゃなくて」

なんでいるの。そう問いたくても問えるはずもない。こうやって簡単に離れたり寄ったりする物理的な距離と、どんなに足掻いたって一向に縮まらない私と彼の心理的な距離は、何度考えたって虚しくて堪らない。ぎゅうぎゅう踏みつけられるように胸が痛くて、もう、なんで乱されなくてはならないのだ。そう憤りを感じるほどだった。

「テスト近いから」

彼はそう言うと私の返事など待たずに腰掛け、教科書をぺらりと開く。まつ毛、長い。色も私みたいに真っ黒なまつ毛じゃない。髪の毛と同じような、その色。いや、そんなこと、少し前から知っているけれど。

「どう、テスト」
「どう、って」
「範囲広いよね」
「…そうだね」

訳のわからない彼の行動に掻き乱されている自分が嫌で、少々時間を巻き戻そうと思い、彼が来る前と同じ状況を作り出すために右耳をそれで塞いだ。また、病んでいるとしか思えない音が鼓膜を振動させる。体内でごぽりと何かが蠢くが、それがなんなのかはハッキリしない。隣にいる彼に意識を持っていかれるのが嫌で、私もテキストに向き合ってみる。先程からさして集中していなかったので、こうなった今、これに没頭できるはずもなく。英文は頭に入ってくることなどなく、アルファベットがだらだらと羅列しているだけに見えてしまう。意味などまるで理解できない。ねぇ、という声が聞こえ、視線はハッとそちらへ。その先にいる男は少し不機嫌そうな顔をしていた。

「ねぇ」
「…どうしたの、」

奪われたイヤホンは彼の指先。なんだっていうんだ、そもそもこちらは未だに、彼が隣にいるということをイマイチ理解できていないわけだ。なのになぜこうやって、追い打ちをかけてくるのだ。

「なに聴いてるの?」

及川くんはそう言うと自分の耳にそれを。少し考え込むような顔をして、しばらくその音を聴いて。伏し目がちな彼、いけないとわかりながら見惚れているときょろり、視線がこちらへ向くのでまずいと思って不自然に逸らす。

「なんか聴いたことある、なんだっけ」
「…この前の、ドラマの」
「あぁ、あれか。見てなかったんだよね」

好きになった男の子を忘れられない、健気なと言うと聞こえがいいが、冷たい言葉で言えばかわいそうな女の子の話だった。好きで好きで好きで、どうしようもないのにその男の子は彼女に見向きもせず、その想いにさえ気付かないまま…という、ただ辛いだけの内容。それを思い出し、自らをあの可愛らしい女優と重ね悲観的になった私は、トゲトゲとした言葉を彼へ贈る。

「わかんないよね」
「ん?」
「及川くんには、わかんないよ」

会いたくて苦しいとか、想いが伝わらなくてもどかしいとか。背中を見つめているだけで好きが溢れたり、遠くで笑う姿を見ることしかできなかったり。隣にいるのは私じゃない誰かで、いくら欲しいと願っても叶わなくて、1番になりたいなんて冗談よしてよって、そんな願望で。

「みょうじさんはわかるの」
「…うん、わかるよ、最近わかった」
「最近?」
「そう、最近」

もういいでしょって、彼の耳からイヤホンを取り返して元の場所へ。私だってこんな気持ち知りたくなかったよ。こんな、身体中を掻き毟りたくなるような、こんな感情から離れたいのに離れられないんだよ。だから距離をとって関わらないようにしているのに、何で近付いてくるの。まだ視線を感じるのは気のせいなんかじゃない。

「ねぇ」
「及川くん勉強しにきたんじゃないの」
「うん、だから…みょうじさんここわかる?」

彼がシャープペンシルで指すのは、簡単な、簡単すぎる英文法の問題だ。そんなもの私がわからないわけがないと彼はわかっているはずだし、彼の学力でもじゅうぶんにわかるもの。構ってちゃんな彼にぴしゃりと言い放つ。もう関わらないでよ、教室の席だって離れたんだから、もうこのままでいいでしょ。

「わかんない、知らない」

よく研がれたナイフのような声色に自分自身驚いて、彼だって一瞬ぽかんとしていたのにすぐに瞳に色が宿る。端から端までミリ単位で計算しつくられたその綺麗な顔をくしゃりと崩し、言う。いや、言ってしまえば全く崩れていないのだけれど。

「本当?俺わかるから教えてあげる」
「え?」
「教えてあげる」

ここはね、って話出す彼のことが本当にわからなかった。ちょっと待って、と私がオーダーすれば「ん?」とこちらを見上げて。透き通るようなブラウンとそれよりもトーンの低いカフェモカのようなカラーの瞳が私を捉えればこちらの呼吸が奪われる。彼の恋人は、この瞳を見つめて普通に会話ができるのだろうか。私は何回見つめ合ったって、心臓が平常心を保つことはないのだろうとガッカリする。そもそもあと何回、彼と目を合わせられるのだろうか。片手くらいのチャンスは、持ち合わせているのだろうか。

「なに?」
「なんで構うの」
「…みょうじさんと話せなくなるの嫌だなぁと思って」
「なんで」
「なんでって…クラスメイトじゃん、せっかく席隣になって仲良くなったのに」
「私、言ったよね?」
「なにを?」
「…なにって、」

及川くんは考えるような表情を見せたが、それが本気なのか演技なのかわからない。私が見たところ、本気の演技な気がしたが、真相は彼しかわからないので考察は無駄なのだけれど。

「…だから、だからさ。だからみょうじさんのこと探してここまできたんだけど」
「なに、わかんないよ」
「いま色々考えてるから、考えて、確かめたくて」
「私はもう、」
「俺のこともう好きじゃない?」

なんでそんな質問するの。ゆったりとした範囲のテスト勉強は全くゴールが見えてこない。及川くんのこの圧力からもだ。逃げ場を失った私は、力なく首を横に振ることしかできず、そんな私を見てほっとしたような表情をする彼を見たらまたほら、期待するからやめてよ。イヤホンから流れていた音楽はいつの間にか一枚のアルバムを再生し終えたようで、すっかり途絶えている。大好きな彼の声が耳にこだまするばかりだ。

2017/09/18