黒尾とルームシェア | ナノ
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朝起きると黒尾がいる。家を出ようとすると見送られる。明かりが灯る家に帰ればおかえりと出迎えられることもある。あくびをしていると「お肌に悪いからさっさと寝れば?」って揶揄うように言ってくる。もちろん、逆もある。この生活に慣れた…と言い切ってしまうとそれはそれで恐ろしいので、断言したりはしないが、少し濁して言おう。まぁそんなに悪くはない、と。家賃は半分でいい。光熱費もそう。家事も分担しているから大嫌いなゴミ出しだってしなくてもいい。いいところと悪いところを数えたら、前者の方が多いんじゃないかって思う。そんなヘンテコな生活が始まって1ヶ月と少しが経とうとしていた。季節はもうすっかり、ほとんど夏になっていた。今年は春がなくて一気に夏になった。そんな印象だった。

「おー、おかえり」
「…服着てよ」
「見惚れちゃうから?」
「すごく嫌な気持ちになるから」
「いい意味で?」
「すごく嫌な気持ちになるのいい意味って何」
「ほんとめんどくせぇな、なまえちゃんって」
「黒尾さんがめんどくさいんですよ」

黒尾は、身体だけは恐ろしいほど綺麗だった。男の人にこの表現を使うのは適切なのかどうか迷うところだが、しなやかとしか言いようがないバランスの良い肢体は疑問を抱くほど。一度それについて尋ねれば学生の頃にバレーボールをやっていたと、そう言葉が返ってきた。詳しいことは「話すほどのことじゃない」と教えてもらえなかったが、そう言われれば納得だった。まぁ、本人には伝えてやらないのだけれど。

「あ、ねぇ、使ったでしょ、勝手に」

その身体に鼻をよせ、スンスンと香りを堪能する。バスルームに置きっ放しにしてしまいがちな私のボディーソープ。ちょっといいところのもので、この香りが好きな私はわざわざ少し離れた百貨店まで足を運んで購入している。その檸檬に似た爽やかな柑橘系の香りが今時期の熱さをすっきりとさせてくれるのだ。問い詰めても黒尾は何も言葉を発しない。こちらをじいと見つめて、見下ろして。何も反応がないことを不審に思った私は自分の行動を今一度思い返してみる。あ、ごめん。距離、近いよね。

「ごめんなさい、」
「…何が?」
「え、いや、なんか、嫌だったかなぁって」

やってしまった、謝ったら負けなんだ。この男のペースに飲まれるから。催眠術でもかけられたかのように、私の身体は硬直して動かなくなる。言いたいことも作りたい表情もあるのに、それは目の前の彼によって全て、なかったことにされてしまうのだ。

「そーゆーとこじゃねぇの」
「…なにが、ですか」
「元彼とうまくいかなかったのってさ」
「…はい?」
「なまえちゃん、ほら、距離近いし、男慣れしてんじゃん」

急に呼ばれた名前にどきりとするのだ。なんで、って言いたい。急に名前呼ばないでください気持ち悪いからって強がって言いたい。言いたいのに、声帯を震わせることも口を開くこともできなくて困却。黒尾はそんな私に気付いている。絶対に、気付いている。その上でこういうことをしてくるのだ。気付けば私の背中は備え付けの座り心地68点のソファに。座り心地よりも寝心地の方がいいのかもしれない。このとき初めてそう理解した。そんなことを考えている場合じゃないのに、だ。

「…隙ありすぎ」
「っ、ちが、」
「俺、優しいから何もしないけどさ」

全然優しくなんてないじゃん。出会った時から一回も優しくなんてない。万が一優しかったとしてもその裏にはどこか胡散臭さがあって、信じちゃいけないってそうわかっている。今の彼の苦しそうな表情だって、熱を押さえ込んだような瞳だって、そんなの信じたらいけない。演技なのだ、騙されちゃいけない。私と彼は仕方なしにルームシェアを始めた、お互い憎み合っている男女なんだ。それ以上でもそれ以下でも、なんでもないんだ。

「そんな態度、俺みたいな男にも取るんだから…そりゃ不安にもなるだろ」
「っちょ、離して、」
「なんでお前の言うこと聞かなきゃいけないの」

上半身に何も纏っていない男に組み敷かれて、ドキドキなんかしてる。呼吸の仕方、というワードを検索したいくらいに、息を吸って吐くという行為が困難に感じた。どうするのかを忘れてしまった感覚だ。苦悶とした男がなぜか色っぽくて。そんな顔するんだって目がそらせない。大概、私を嘲笑うような、薄っぺらい表情を見せるだけなのに。それってずるくない?なんでいまこのタイミングでそんな顔するの。黒尾に掴まれた手首が、じんじんと熱を帯びる。

「黒尾さ、んっ…やだ、」
「あ?」
「離して。大声出すよ」

精一杯の虚勢だ。声なんて出ない。いま絞り出しているので限界。この男の冷めた目が嫌いだ。身体の奥底まで見透かされているみたいで、すごく嫌。私がいまこの状況に柔弱になっていることも、話題に出されている元恋人になんの未練もなくてこの変な空気に何かを期待していることも、全部知られているみたいで、筒抜けになっているみたいで、すごく、嫌だった。

「…怖い女だねー、ほんと」
「誰のせいですか」
「あはは、俺」
「わかってるならどいてよ…っ」
「んー、どうしよっかなぁ」
「なんでもするから、」

なんでも。それは例えば、明日の洗濯当番をかわるとか、2人で飲む用のワインをコンビニで売っているようなものじゃなくて酒屋に行って良いものを買ってきておくとか、そんなニュアンスで私は言ったのに。あ、まずい。そう気付いた時にはもう遅い。くくくっと口角を釣り上げた黒尾は、私の手首を掴む手のひらにぎゅっと力を込めた。痛い、と声を出すと少々それは弱まるが、どうこうして離してもらえる空気でないことはよくわかった。そんなに頭は弱くない。ううん、あんなことを口走ってしまうから弱いんだけど、そうなんだけど彼が何を企んでいるかなんとなくわかったし、なにより、それを私は多分、そこまで嫌がったりしない。「黒尾さんがやれって言ったからやったの」って言い訳ができて、ちょうどいいかなって思うくらいだ。そのくらいには、何も知らないこの男のことを、悪くないと確信していた。なんでって言われたらそりゃ答えに困るんだけど、年頃の男と女が同じ部屋で一ヶ月強暮らして、そうならない方が奇跡だと思うんだ、だからこれは、ごくごく当たり前のことなんだ。それらしい言い訳を頭の中でたくさん考える。誰に言い訳するって言うんだ。あぁ、自分に、か。

「お前、人の話聞いてんのかよ」
「…いじわる、」
「なまえちゃんが勝手にこんな空気にしたんじゃん」
「違う、それ…っ、名前、やだ」
「…んな顔して嫌だって言われてもね」

苦しそうな彼はもういなくて、すっかり当惑している感じだ。あぁどうするんだこれ。そう聞こえているから不思議だ。何にも知らないんだ、彼の血液型も生年月日も家族構成も私のことを好きなのか嫌いなのかも全くわからない。わからないけど、ね。そうしたらわかるかもしれない。わかんなくてもいいから、したい。

「なまえちゃん、」
「待って、キモいから…笑わせないで、ムードとか作んないで」
「…失礼な女、」

ふっと笑った黒尾はちゅ、と私の頬にキスをした、なんだそれ。幼稚園児じゃなんだからさ、頼むよ。そう思って拘束する力の弱まった手から自分の腕を逃げ出させ、彼の首に巻きつけて。怯んだ男の唇にキスをしてやった。薄っぺらい唇がつまらなくて2度ほど繰り返すが、真っ赤な顔をした男に言われる。ちょっと待ってって。

「…普通にすんなよ、」
「え?」
「…女の子からしないでしょ、普通」
「…何言ってるんですか、童貞なんですか」
「童貞じゃねえわ」

そう言った彼の唇をはむり、唇で挟んでやればもうこれ以上はないだろうと思うくらいに赤く染め上げて。

「ちょっと待って、まじで…なんでそういうことするかな、」

照れ臭る彼が可笑しくて、ふふふって笑って睨まれて。あぁ、ほら、そういうの、ズルいよねぇ。好きなんだよね。

2017/06/26