黒尾とルームシェア | ナノ
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今夜も寝苦しい暑さでしょうね。他人事のように女性アナウンサーが言った。まぁ他人事だから当然と言えば当然だ。
私と黒尾はあの日に何回か口付けをした。確かに、何度かした。それは間違いない。間違いのだが、何と言うか、これがにわかに信じられないのだが、その日はそれだけで終わった。そしてなお信じられないことに、あの日のあのキス以降、彼がなんだかよそよそしい。いやはや、本当に童貞なのだろうか。だとしたら悪いことをしたなぁと呑気に考えていた。もう季節は誰がなんと言おうと完全に夏で、早いところ秋になってはくれないだろうかと思う。そんな願いが凝縮された、秋のファッションを掲載した先取り気取りの雑誌を眺め、物欲を刺激される私は頭が弱いとしか言いようがない。出番がしばらくこない秋色のそれらをチェックするために、少しだけ離れた商業施設に来ていた。仕事は休み。いつもより濃い口紅のカラー。気分は悪くなかった。

「お姉さん1人?」

ナンパなんて久しぶりだ。気合をいれたコーディネートのおかげだろうか。透かし編みのノースリーブのニットはブラックで、合わせたスカートはAラインの膝丈。こちらは今年流行ってるとか流行ってないとか、その辺はよくわからないけれど大きな花柄だ。足元はベーシックな6センチヒールのパンプス、差し色で持った朱赤のクラッチバッグは買い物の際、邪魔としか言いようがないが「おしゃれは我慢だ」とどこかで聞いたような気がしなくもないので割り切ってチョイス。そうそう、口紅のカラーとこのバッグのカラーを合わせてる私、なかなかオシャレでしょう?アイラインはぴゅっと長め、アイシャドウはいつもよりも大きめのラメがキラリと光るくらいでナチュラルに。くりくり巻いた髪はSNSで見た簡単夏のおしゃれまとめ髪特集の中でもより手軽そうなものを選んでみたが、どこかしっくりこないのは私が不器用だからだろうか。

「…何してるんですか」
「ナンパ」
「気持ち悪いですよ」
「雰囲気違うね、可愛いじゃん」
「感情込めてください」
「そう言われてもね、思ってもない言葉に感情を込めるのは難しいですよね」
「じゃあ言わないでください」
「奇遇だね、仕事休み?」
「私の話聞いてます?」
「聞いてるよ、一応」

まずはコスメからチェックしよう。そう思って百貨店に入ったら声を掛けられ少し胸を弾ませて振り返れば黒尾で落胆。Tシャツの素材はリネンだろうか、藍色に近いようなカラーのそれとスリムなシルエットのジーンズ。裾がカットオフだから最近購入したものだろうなぁと見当をつけた。足元は柔らかそうなネイビーのオペラシューズ。ちょっと可愛いと思ってしまった自分が、なんかちょっと嫌だった。

「見過ぎじゃね?」
「見てないです」
「そう?」
「黒尾さん今日休みなんですか」
「うん」
「仕事だと思ってました」
「俺もなまえちゃん仕事だと思ってたよ」
「何してるんですか、こんなところで」
「高校の頃の後輩、子供産まれるから出産祝い探しに来たの」
「あぁ、なるほど」
「そうなの、なるほどでしょ?」

でも全然わっかんねえんだよね〜と言いながらスマートフォンをいじくっている。画面は見えないが、この人はわりと常識人なので「出産祝い 贈り物 人気」とかで検索しているんだろうと、そのくらいは把握できた。特に関係もないのと、1人で買い物に来ているというのに気合十分な自分が恥ずかしくて、それじゃあと去ろうとする。するが、まぁ、この男がスムーズに事を運ばせてくれるわけもなく。

「…なんですか」

きゅっと掴まれた手首。あの時あぁやっておいてなにもできなかった男のくせに、本当によくわからないのだ。この男の価値観というか、なんかその辺のものはいったいどうなっているのか教えていただきたい。相変わらずのヘラヘラ感を醸し出した男はそんなに困ってもいない様子で私に提案をする。

「付き合ってよ」
「嫌ですよ」
「まだ皆まで言ってねえけど」
「出産祝い選ぶの手伝えって言うんでしょ?」
「うん、言う、だめ?」
「だめ」
「アイス奢るよ」
「地下のジェラートがいい、ダブル」
「うん、いいから行こう」

すとん、と話し合いは着地。黒尾さんは私の手首を掴んだまま遅くも速くもないスピードで歩いて、自動的に上の階に連れて行ってくれるそれに足を乗せたところでパッと離れた。一段上にいる彼の背中はやっぱり、好きだった。

「よく来んの?」
「ん?」
「ここ、よく来るの?」

身長差がこのエスカレーターのせいでさらに開いたからだろうか。言葉が聞き取り辛くてクエスチョンマークを掲げれば彼は腰を折って耳元に近いところで言葉を発する。ぱちんと合った視線、冷たいくせに熱のある瞳。

「…たまに、」
「そ、」
「黒尾さんは?」
「ん?」
「黒尾さんはよく来るの?」
「すげえ久しぶりに来た」

多分お互いわかっている。このよくわからない空気がドキドキして楽しいって、どこかでそうわかっている。わかっていて、こうやっておちょくりあって。興趣は尽きないなぁとそう心の中でにやにやするのだ。知ってるから、もう。なんとなくわかるから、相手の心内くらい。

「さっきも一回見たんだけど男1人でウロウロしてる空気がもう無理だった」
「でしょうね、しかも黒尾さんだし」
「一言多いよね、やっぱり」
「オムツケーキとかでよくないですか?」
「なんすか、オムツケーキって」
「え、知らないんですか」
「知らないっすね」
「ちゃんと検索してます?」
「してますよ、そんな怒んないでもらえます?」
「怒ってないです」

私と彼はそのふわふわした優しいカラーのフロアをしばらく物色して、全くもって意思のない彼の代わりに私がお祝いの品を選ぶ。恋人みたいなこの時間がくすぐったくて、つい距離を近付けてみたり、あざといとわかっていながらTシャツの裾を引いてみたり。黒尾さんはそれを意外と単純に喜んでいるみたいで、結構楽しいものだった。会計を済ませ、とびきりファンシーにラッピングを施している最中、彼がなぁって話し始める。

「今更だけどなまえちゃん何しに来たの」
「…あ、」
「なに?」
「化粧品、見に来ました」
「あー、そう。ごめん、時間もらって」
「謝るとか気味が悪いんでやめてもらっていいですか」
「まじで可愛くねぇな」
「いいですよ、今日予定ないし」
「俺、付き合うよ」
「え?」
「ジェラート奢るし、…待ってるから見ておいで」
「ジェラートが先でいいですよ、その後解散で」

優柔不断なのできっと彼を長い時間待たせてしまうと、そう思って思ってもいない提案をした。多分実際、もっと一緒にいたいとそう思ってしまっている。なんでだろうなぁ、ルームシェアしてる訳だし、いつでも会えるのに。寧ろ会いたくないと思う時だって会わなきゃいけなかったりするのに、こうやって外で2人肩を並べて歩くのが新鮮で、楽しかったりするのだ、多分。

「俺も予定ないしいいよ、その辺見てるから終わったら連絡して」
「黒尾さんどうするんですか?」
「その辺適当に見てる」
「え、そしたら一緒に来ます?」
「は?」
「面白いから来てくださいよ」
「いや、俺は別にいいけど…」
「やった」
「1人でゆっくり見たいもんなんじゃねぇの」
「なに?女心わかった気でいます?」
「なんで基本喧嘩腰なんだよ」

ふふふって笑ったらぽんぽんぽんって、ベビーピンクの小さいハートが私たちの周りを取り囲んだような気がするから不思議だ。なんだ、なんか、いい感じじゃないか?下りのエスカレーター、彼の背中に抱きつきたい衝動を、結構必死に抑えた。

2017/07/30