黒尾とルームシェア | ナノ
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「契約内容に関しましては書面でご確認ください。印鑑はお持ちでしょうか?」

葛藤していた。本当に、これでいいのかってそう思っていた。口になんて出せやしないけれど、ずっと。こんな馬鹿げた流れに乗ってしまっていいのだろうか。見ず知らずの男と、ルームシェアなんてしてもいいのか。ルームシェアと言うと何だか聞こえがいいが単純に同棲だろう、そんなもの初対面の得体の知れない男とするもんじゃない。頭ではわかっているのに、なんでこうなってしまうんだろう。情けない、の一言である。

「みょうじ様?」
「いいよ、無理しなくて」

知らない男と一緒に住むなんて怖いよねぇと、にまにまと笑う黒尾の顔を殴ってしまいたい衝動に駆られながら朱肉に印鑑を強く押し付けそのまま契約書へ。インクをつけ過ぎたそれは少々滲んでしまったが全く問題なさそうだ。塩顔のスタッフは最終確認でいくつか説明を加えていたが、全く耳に入らない。あぁもう、なんでこんな大切なことを勢いで決めてしまうんだろう。こんな自分が嫌で嫌で仕方ないが、今更どうこうできる問題でもない。こういう性分なのだ。

「お部屋の鍵は明日、お店に来ていただいた際にお渡しします。お二人とも何時ころになりそうですか?」
「俺は朝一で伺います」
「…私、19時頃になると思います」
「承知しました。他にご不明な点は…」
「大丈夫です、なんかあったらまた連絡するので」
「はい、いつでもお待ちしております」

4人で乗るエレベーターは地獄。この状況とバカみたいな決断をした自分に苛立つ私と、そんな私にしっかりと気付きどう揶揄おうか楽しんでいる黒尾。この物件をダブルブッキングという素晴らしい演出で紹介してくれたスタッフ2名は何故かスッキリと、晴れやかな表情だ。元々てめぇらのミスだからな、という言葉が喉から出かかるが必死に飲み込む。誰だってミスをする、誰だって間違う。誰だって…いや、そんなことはわかっているしそれを前提としたって、これは酷すぎる、ありえない。本当に、本当にありえない。1番ありえないのは私自身だからまた余計に腹が立つ。あぁもう!ありえない。

「本日は本当に申し訳ございませんでした、ご契約誠にありがとうございました」
「いいえ、こちらこそ長々とありがとうございました。明日また伺いますのでよろしくお願いします」

だいたい、この黒尾は何なんだ。胡散臭い笑顔と嫌に丁寧な言葉遣いは信用ならないの一言だし、マルチ商法とかやってそうで心底関わりたくないと思う。腹の底で何を考えているのか、想像するだけでゾッとするのだ。男は丁寧にお礼を言って彼らが去るのを確認すると私の方にくるりと向き合う。ニコッと下手くそな笑顔はひたすらに不安を煽られるからやめていただきたい。

「時間ある?1時間くらい」
「…何で」
「明日から一緒に住むんだろ?後からぎゃーぎゃー騒がれるとめんどくせえし、ルール決めようと思って」
「は?」

ほら、あっさり声色が変わる。さっきまでの人当たりのいい彼はもうすっかりいなくなってしまったようで、かったるそうな、だるそうなテンションでそう問われる。面倒なら誘わなきゃいいのに。そんな風に思って、もういいやって感じで。

「意味わかんないんだけど」
「ルール、必要だろ?」
「…例えば?」
「お互いの寝室には許可なく入らない、とか」
「当たり前でしょ、そんなの」
「お互いの当たり前の基準がわかんねぇだろ、初対面なんだから」
「黒尾さんてそんなにやばい人なんですか」
「だから、お前のやばいの基準がわかんねえんだよこっちは。お前だって俺から見たらやべぇ女かもしれねえだろ」
「お前とか言わないでもらえますか、初対面の女に」

やべえ女って何、どういう意味って質問したくもなったが、聞くだけ無駄だと思ってやめた。この男は口が上手いし、多分言い負かされるのは私だ。負ける試合に自ら突っ込む義理はない。駅前まで特に会話もなく歩き、彼が「ここでいい?」とほとんど入店しながら私に聞いた店に入る。ガヤガヤとうるさいチェーン店ではなく、和情緒漂う小洒落た店だ。はい、と返事をしながら店内に足をすすめ、店員のやたら大きな声に歓迎させる。まだ早い時間だ。予約も何もしていなかったがすんなりと席に案内された。全て個室になっているようで、どのくらい混雑しているのか全くわからない。

「飲めんの?」
「え?」
「酒」

メニューに視線を落として男は私にそう投げかける。返事なんてさして気にしていなさそうで、メニューを眺める片手間で私に話しかけている感じだ。正直イラっとする。

「飲めますけど」
「強い?」
「弱くはないです」
「1杯くらい飲めよ」
「言われなくても飲みますよ」

男の高圧的かつ、こちらをちらりとも見ないその態度にまたもやご立腹の私は可愛げのない声色でそう返答した。言ってしまえばアルコールでも摂取しなきゃやっていられないのだこちらは、そのくらいわかるだろう。この状況だ。

「可愛くねぇなマジで。思ってたより全然可愛くない」
「喧嘩売ってます?」
「食えないもんある?」
「食べられないものあったら食べないんで気にしなくて大丈夫です」
「んだよそれ、せっかく優しくしてやってんのに」

どこがだ、と言ってやりたかったが、それより先に彼は店員を呼んでちゃっちゃとオーダーを通す。お前飲み物は?って急に言われて、あのさ、初対面の年頃の女の子にそれはなくない?普通「なまえちゃん飲み物決まった?」って聞いてから店員呼ぶよね?頭おかしいんじゃないの。

「ビールで」
「だと思いました。以上でお願いします」
「…いちいちイラっとする言い方しますね」
「お前のその感じでファジーネーブルとか頼み出したらどうしようかと思った」
「ファジーネーブルの何が悪いんですか」
「ファジーネーブルに罪はねえよ、お前と掛け合わせると最悪だけど」

時間ねえからさっさと話すぞって、彼はかったるそうにそう言った。改めて男の顔を確認するがお世辞にも綺麗とは言えなかった。不動産屋の塩顔の方がよっぽどましだと思える。ただスタイルが妙に良くて、あとは洋服のセンスもいい。腕時計のチョイスも悪くなかった。雰囲気でうまく取り繕って合コンでモテるタイプの男だ。心内でそんなことを思った。

「黒尾鉄朗、みょうじちゃんの一個上」
「なんで私の年知ってるんですか」
「契約書の生年月日見た」
「…気持ちわる、」
「は?気持ち悪くねえよ、スマートだろ」
「なんかやだ」
「生理的にムリってやつ?」

運ばれてきたドリンクをものすごく自然に私の手に持たせ、乾杯、と小さくグラスをぶつける。彼も同じものを頼んでいて、ゴクリとそれを美味そうに喉へ。

「…黒尾さん何してるんですか、仕事」
「会社勤め」
「この辺ですか」
「うん、わりと近い。みょうじちゃんは?」
「私もこの辺です、電車で15分くらいです」
「敬語いいよ、一緒に住むんだし」
「…一応、初対面なので」
「まぁなんでもいいけど」

黒尾さんはさっさとビールを流し込み、あっという間にグラスの底から2センチくらいの量になる。同じのでいいですか、と一応確認をとって店員に声をかけたが、それと同時に彼も話し出す。

「家賃は折半、光熱費諸々も折半ってことで」
「急ですね、すみませんビール1つ」
「その話するために来てるからね。お姉さん刺身の三点盛りもお願いします」
「はい、お待ちください」

店員と話すか、私と話すかどちらかにしてほしいものだ。ましてや今後に関わる大切な話をしようというところなのに、呑気に飯を食っている場合なのだろうか。そう思いつつテーブルに置かれた春野菜のサラダを勝手に自分の皿に取って勝手に口に運ぶ。

「俺のも取ってよ」
「自分でやってください。家賃と光熱費は折半でいいです」
「取って」
「…めんどくさ」
「彼氏できないよ、サラダくらい取らないと」
「サラダ取ったくらいでできる彼氏ならいない方がマシです」
「…言うねえ」

黒尾鉄朗はくつりと笑って、到着した二杯目のビールをまた美味そうに飲み、私が取り分けたサラダをたいして美味くなさそうに咀嚼する。ほんと、大丈夫なのか。今更そう悩んだってもうどうにもならないんだけど。

2017/04/26