黒尾とルームシェア | ナノ
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電車に乗り込んで音楽を再生すれば、大好きなドラマのオープニング曲が真っ先に再生される。気分の上がるイントロに思わず歌い出したくなるが、公共の場なので勿論声を出したりはしない。隣に座った女性からは買おうか迷っていた香水のかおり。鼻をくすぐり、やっぱりいい匂いだと再確認。今度お給料が入ったら買っちゃおう。電車から降りて目的地まで進む。冬が終わって、まだ夏は遠く。ほどほどの過ごしやすい気温と柔らかな風。信号に歩みを阻まれることもない。約束の時間ぴったりに到着、担当してくれるスタッフは今話題の塩顔イケメン。なんか今日はついている、そう思った。加点だらけの一日。おまけに、この部屋も最高だ。絵に描いたような、という言葉がぴたりとハマる。

「ただ、こっちのスペースは正直持て余しそうです。家賃もその分上がりますもんね」
「そうなんですよね、なのでご紹介するか非常に迷ったんですがー…」
「いえ、でも…ここにしようかなぁ。他は文句の付け所がないし」

立地もエントランスの雰囲気も二重丸。勿論バス・トイレ別で清潔感たっぷり。なんせクローゼットが広い。最高。日当たりもいいし、キッチンは私には勿体無いくらいに充実している。こう見るとこの間見学した物件、何だったんだアレ。あんなところに住む奴の気が知れない。知りたくもないけど。

「この物件ってどの部屋もこの間取り、なんですよね?」
「いえ、上はさらに一部屋多い作りになっておりましてファミリー向け、という感じですね。小学校や幼稚園が徒歩圏内にありますので…。そちらはまだ多少空きがありますが、この間取りの部屋はここが最後です、ラッキーですね」

へぇ、と適当に相槌を打つ。聞かなきゃよかった。全く必要のない情報だった。減点対象だな、これは。恋人とは別れたばかり。なんなら同棲みたいなことをしていた。あとは詳細を話さなくたってわかってもらえるだろう。いま私は住むところがないのだ。いやあるけど、自分名義で借りている部屋がない。漫画喫茶と友人の家とカプセルホテルで暮らす毎日は想像以上に体力を消耗するし精神的にもヤられる。だからと言って壊れた愛の巣で過ごせるはずもなくー…大急ぎで物件を探しているのだ。
そんな状況だというのにSNSはテロを起こす。さして仲良くもない高校の同級生が「#サプライズでプロポーズ…!」という訳のわからん韻を踏んだフレーズと共に複数のアプリを駆使して加工したであろうペアリングとバラの花束の写真をアップしていて吐き気がした。それが何だっていうんだ。私だってそれなりに幸せだ、貯金はそこそこあるし、年の割には綺麗だと言われる。体調だってすこぶるいい。あとはー…。

「広いっすね」
「そうなんです、ゆったりとした間取りになっておりますので、様々な世代の方に人気の物件で、」

空気がピリリとしたのは気のせいなんかじゃないし、もう私もそこそこ大人だからわかる。塩顔イケメンは部屋に入ってきたスーツの男を数秒睨むので少し驚いてしまった。塩顔だけど中身はねちっこいタイプなんだろうな。新人特有のフレッシュな雰囲気の男はただひたすらにたじろいでいてなんだか可哀想でもあるが、私はここで「まぁまぁ、そんなに怒らないでくださいよ」と提案するほど社交的じゃない、私は。

「まぁまぁお兄さん、そんな怒んないでくださいよ。俺、ここに決めますんで。契約成立ですね」

お客、だろうか。それにしては馴れ馴れしい話し方をする男だと、少々面食らった。そして言葉の意味を考えて頭にはクエスチョンマーク。勝手に話を進めるのはよしてもらえないだろうか。先にこの部屋を検討したのは私なんだから。

「私ここにします、契約書作ってください」
「え、いや、その」
「こちらのミスで申し訳ありませんが、少々お待ちいただけませんか。その、ちょっと」
「そーだよお姉さん、ちょっと待ってあげなって。そんな焦んなくても」

ダブルブッキングのようだ。状況から察するに、そうだ。新人くんはペコペコ謝っているし、塩顔は客の前だというのにそこそこの勢いで彼を叱っている。お客様にご迷惑をおかけしてるんだぞって言うけど、このどうしようもない空気がご迷惑な訳である。いつもミスが多いだの、指示がないと動けないだの、そんなことまでこの場でとやかく指摘する君たちの内部事情なんて知ったこっちゃないのだ。大幅な減点である。

「お姉さんここ住むの?」
「はい?」
「ここ、住むんですか」
「はい、そうです」
「もう決めたんだ?」
「一応」
「誰と住むの?」
「え?」
「もしかして新婚?」

やたらに背の高い男だった。少々重たげな瞼に細身ではあるがごつりともしている輪郭や身体。髪は染めていないしアクセサリーをジャラジャラつけているわけでもないのに、なんとなく漂う軟派な雰囲気。スマートフォンを弄りながら興味なさげに話しかけてくる。しかも、初対面の年頃の女にふっかける質問としては気配りが足りなさすぎやしないだろうか。

「…お兄さんは誰と住むんですか」
「ん?俺だけ」
「へぇ、」
「なに?お姉さんは?」
「1人で住みますよ」
「…え?」

まじで?と。若干笑みを含んで呟くように言った後、今度はハッキリとした声で発言する。すげぇ寂しいねって。名前も知らない男に言われたのだ。冗談でも何でもなく、シンプルに腹が立った。法律が存在しなかったら顔面を何か硬いもので殴っていたと思う。そのくらいには、頭にきていた。

「女の子が1人で住む広さじゃないと思うけど」
「もう女の子なんていう年齢でもないので」
「え?お姉さん幾つ?」

こいつは他人なのだ。無視をしたって何も問題はないし、責められることもない。だったらもう、無視でいいだろう。不動産屋に勤める仲の悪そうな先輩後輩の話も決着がついたようだし、もういい。本当、何なの。あの素晴らしい一日の出だしを返して欲しい。

「なぁお兄さんたちさ」

背の高い男は何の前触れもなく話し出す。俺、家賃あと2万足してもここに住むよって、ニコッと笑うんだ。何勝手なこと勝手なタイミングで言ってんだよ。さっきの私との会話忘れたわけ?ここに決めたって、私言ったよね?

「あの、黒尾様」
「そっちのミスで見学のタイミング被せちまったんだろ?そりゃ仕方ねぇよ、誰だって間違うしそれについてとやかく文句言うつもりはないけど。俺はここが気に入ったからここにする」
「ちょっと、」
「予算、ギリギリなんだろ?やめとけって、女が1人でこんな広いとこ住む必要がねぇよ」

ニヤリ、と笑うこの男の顔が大嫌いだとそう思った。確かに予算はギリギリどころかオーバーしている。部屋も1つ多い。でもそこ以外は完璧だし、なんせ一刻も早く住む家を決めてしまいたい。友人の家も漫画喫茶も慣れないホテルももううんざり。何よりこの胡散臭い男に譲るなんてごめんだ。

「先に見てたの私ですよね」
「そう、なんですが」
「金出す俺の方に分配が上がるだろ?どう考えたって」
「まぁ、そう、なりますね…」

おい塩顔、お前の担当は私だろう。何でその男の肩を持つんだ。どいつもこいつも、男なんて勝手な奴ばかりだ。地獄に落ちろ。そう思った時だ。

「あの、」

ピカピカだけれど安っぽいスーツに身を包んだ新人が、声高らかに発言する。見事な発想力は新人特有のもので感動さえする。考えが柔軟すぎるのもどうかと思うな、なんて私が呆れている時だ。

「いいじゃないですか、それ。いま流行ってますし」
「…は?」
「もともと みょうじ様、予算オーバーなのと部屋が1つ多いこと、気になさってましたよね?」
「いやいや、そういう話じゃないと思うんですけど」
「そうすれば家賃も半分で済みますし…ほら、このリビングを共有スペースにして、あとはお互いの寝室ってことで、最高じゃないですか!」

最高じゃねぇよ、最低だよ。そう言いかけてやめた。彼らもきっと、この春先の繁忙期で働き過ぎて思考が正常じゃないのだ。日本はやはり労働大国である、これは切実な問題だ。

「どーすんの、お姉さん」
「どうするって」
「お姉さんがどうしてもここに住みたいなら方法は1つ、俺とルームシェアすること」
「嫌に決まってるでしょ、名前も知らない人と」
「黒尾鉄朗。で、どうするのみょうじさん」
「…なんで」
「さっきのそっちのお兄さんが呼んでたから。俺はあと二万出してでもここに住む。みょうじさんはそしたらここに住めない。同じ間取りの空き部屋もないからね。だからもう選択肢は2つだよ。俺とルームシェアするか、振り出しに戻るか。どうする?」

どうする?って何それ。
そして私はこういう女なんだ。ここに住むって、そう言ってしまうんだ。どうやらこの部屋にいる人間は正常な判断ができなくなるようだ。そんなこと、物件の詳細に書いてあったっけ?

2017/04/22