黒尾とルームシェア | ナノ
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「いや、わかってんならいいんだけど…うん、捻挫だね…あー…うん、」

やってしまったと、なまえちゃんを見てそう思った。泣くんだなと変に関心もしたが、いま思えばそりゃ泣くよなと納得せざるを得ない。夜、きっと突然だったろう。そういうことを昔の恋人がしかねないとわかっていながら、大切な彼女にSNSで短い連絡をしただけの自分に腹が立った。返信がこないことに苛立つだけで、最悪のシチュエーションを描けなかった自分の愚かさにうんざりする。あの人に電話をかけるのは久しぶりで、出てもらえるのだろうかと不安になるが余計な心配だったようだ。ワンコールで繋がって、用件のみを伝えようとすると彼女の方から謝罪をされるので困惑する。女の言い訳に耳を傾け、虚ろに返事をしていると微かに笑った彼女が言った。初めてだねって。

「ん?」
「鉄朗から電話くれたの」
「そうだっけ」
「うん、だから」

あの子は本当に特別なんだね、あの子のことだから連絡くれたんでしょうって、その声にどう反応したらいいのかも判断できなくて曖昧すぎる返事をして通話を終了した。もう絶対に大丈夫、なんてこともないと思うが、何かあれば自分でどうにかすればいいんだと強気な気持ちもあるわけで。

「おはようございます」

はやいですね、と彼女。電話を切った後も眠るに眠れなくてこれからどうするべきなのかもわからず、ただ目をそらすわけにもいかず苦慮した。勝手に朝がやってきて、ずいぶん勝手なんだなぁと呆れつつベッドから這い出る。疲れているというか、気だるいというか。朝の情報番組はありきたりなニュースをテンポよくこちらに伝えてくれる。ホットコーヒーを一杯飲み終える頃、彼女が起きてきた。おはよ、と聞こえるか聞こえないかくらいの声量しか出せず痛苦だ。

「…黒尾さん?」

そんなこちらに瞬時に気付くなまえちゃんは、やっぱり結構大人だし空気が読める方だと思う。構ってちゃんな自分がダサくて笑えた。いかにも心配してくれって、そんな声と表情と態度だ。男としてどうなんだ?と自分に言葉をかけずにはいられない。

「ごめんな」
「まだ謝るの?もういいって、大丈夫」

彼女の大丈夫はどう考えたって嘘か強がりで、本意気でないことは明確。気を遣わせてしまっている。それがまた自分を苦しめていく。なまえちゃんの優しい嘘は、俺みたいに捻じ曲がった人間からすると鋭い凶器でしかなかった。それだってもちろん、自分で作り出した武器なわけだけれど。
思えば出会った頃からなのだ。出会った頃、なんて言葉を使うとものすごく綺麗に聞こえるが、あの出会いは出会いと括っていいほどのものじゃない。どちらかと言うと事故だ。あの頃から負けん気が強くて素直じゃないなまえちゃんは俺とあの頭のおかしい不動産屋からの頭のおかしい提案に無理をして乗っかって、俺との共同生活を無理をしながら始めた。ずっと、大丈夫って言葉で自分を鎮めているんだろうなぁと、そんな感じは見て取れる。当初の俺は見ず知らずの男と一緒に住むという提案に乗っかった彼女に、ただただ面を食らっていた。普通じゃないなとさえも思った。彼氏にフラれてやけになっているんだろうと同情さえもした。

「黒尾さんってさ」
「ん?」
「いつから私のこと好きなの」

重苦しい空気を蹴飛ばすためなのか、それともただ思いついたからなのか、彼女は理解しかねる方向からの質問を俺に豪速球でぶつけてくる。突発的に荒々しい声が出てしまって、やばいと思うがもう遅いのだ。

「は?」
「なんで怒るんですか」
「怒ってないです」
「ねぇ、いつから?」

まったりとした朝だった。仕事は?と問えば午後から行く、と彼女。不思議なことに、お互いがお互いの仕事についてあまり理解していない。どこで働いているか、は随分前に教えあったが、具体的に何をしていて、どのくらい忙しくて、職場にどんなタイプの人がいるのか、互いに知らないままだ。付き合い始めた恋人にしては、その辺りが薄っぺらいと思う。もちろんそれらは必ずしも必要な事項ではないし、知っていればなお良し、に分類されるのかもしれないけれど自分からあれこれ話し出す気にもなれず、深くを問うことはない。あぁ、そんなことよりも彼女の面倒な質問に答えなくてはならない。さてどうする?とあれこれ考えた。

「あれだな」
「どれ?」
「偶然会ったろ」
「百貨店で?」
「その辺から」
「嘘、もっと前から好きでしょ?」

どこからその自信がくるのか問い質したい。言葉に詰まっているとねぇねぇとしつこいこの女。自分でも彼女のどこがいいのか全くわからない。いやわかるけど。この掴めない感じと、俺の挑発に見事に乗ってくるところ。苦笑しつつまた答えをどうにか導く。

「木兎」
「でしょ?」
「…それだけでわかんの」
「いや、勘だけど」

すごい初期ですね、となまえちゃんは半笑いで言うもんだから「じゃあそっちはいつから好きなのよ」とついつい問うてしまう。そんなこと聞いてどうするんだ。自己満足以外の何物でもないだろう。彼女は興ざめたような表情で俺を見つめるが、先にこの話題を引っ張り出したのはそちらですよね?と言ってやりたくなる。仕方なしに、と言う感じで何も塗られていない唇が動いた。

「私、黒尾さんの背中が好きなんですよね」
「背中?」
「背中」
「なんで?」
「イケメンっぽいから」
「…失礼じゃね?」
「疲れてる時とかギュってしたくなるんです」
「すればいいじゃん」
「それ思ったのが多分親子丼くらい」
「あ〜、俺、なまえちゃんの胃袋掴んじゃった感じ?」

論点覚えてます?と彼女は呆れたように俺を見た。そうして2人で何がおかしいのかわからないままけたけた笑った。何笑ってんだよ、と聞いてもなまえちゃんは決して答えてくれずに、肩を小刻みに震わせるだけだ。

「落ち込んでる黒尾さん、面白くて」
「面白くねえわ」
「私、平気ですよ」
「うん、まぁ、そう言うしかないでしょ」
「うん、そうかもしれないけど」

それよりとにかくまた一緒にいられるみたいだしと、うわ言のように。そのまま続けて「私にもコーヒー淹れて?」と強請られる。化粧を施していない彼女は普段よりも幼く見え、凛とした感じがストンと抜ける。女の子らしくなるというか、可愛げが増すというか、守りたくなる度が上がるというか(曖昧な言葉ばかりだがなんと形容したらいいのかよくわからないのだ)とにかく、結構よかった。

「いいの?」
「んー?」
「俺と一緒で」
「なに、そのネガティブ」
「怖かったでしょ」
「びっくりしたね」
「ごめん」
「だからもういいって。もう一回謝ったら今日からお風呂掃除毎日黒尾さんにやってもらいますよ」
「いいよ」
「いやそういうの求めてないんですよねこちら。いや〜勘弁して〜って言うところなので」

もう済んだことだからと。肝の座っている女だなぁと感心せざるを得ない。そうか、最初からか。最初から好きだったのかもしれない。めちゃくちゃな彼女が。得体の知れない男(俺のことだけど)と一緒に住むと言った彼女が、はじめから気になっていたのだろう。

「はじめっからだわ」
「え?」
「多分はじめっから」
「なんの話?」

わかんねぇならいいよ、と彼女に無機質な白いマグを。大型の量販店で購入したものだ。次の部屋に越す時に処分してしまおう。新しく、なにか小洒落たものを選びに行くシーンを頭で描いてみる。年甲斐もなくペアのものを選んでいる自分の姿に、もう笑う他なかった。

2017/09/02