黒尾とルームシェア | ナノ
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「全く印象が異なりますよね。こちらのピンクベージュのお色ですとナチュラルで落ち着いたイメージですし、いまおつけしたビビットなピンクは鮮やかで印象的ですね」

そんなことはわかっているので説明しなくてもいいと、そう思いながらそうですねぇとなんの意味もない返事をした。あぁ本当に優柔不断な自分が嫌になる。わかっている、ナチュラルなカラーの口紅がなくなりそうだから、その代用品を買いに来たわけでありまして。なのに自分が惹かれるのはいま唇で華やかに主張をするフーシャピンク。

「…さっきの、こっちの口紅をお願いします」
「かしこまりました、ありがとうございます。こちらのお色、つけていかれますか?」
「はい、お願いします」

迷いに迷ったフーシャピンクとサヨナラ。購入するどんなシーンでも使えそうなその色をのせてもらう。もちろんこれはこれで魅力的で素敵ではあるのだが、鏡に映る自分はいかにも類似品みたいで、少しげんなりしてしまった。こうしていれば万人ウケもするし、もちろん男ウケもするのだろうが、そんなものに屈してしまう自分が憎たらしいし、屈しないように踏ん張るのもダサいし、どちらにせよではあるのだけれど。全体のメイクのバランスを販売員が上手いこと整えてくれて、すっかりよくいるありふれた女に変身した私。黒尾さんはふらふらとしつつこのブランドのブースから出たり入ったり。並べられた口紅を物珍しそうに見たり、キョロキョロと見渡してみたり、とにかく挙動不審だ。ただ、こちらの様子をきちんと伺っていたからだろうか。お品物用意しますねと、そう言って私が1人鏡の前で座らされているところにやって来て決まった?と問いかけてくる。その様子を見た販売員は旦那様ですか?と聞いてくるが、この女は頭がいかれているのだろうか。

「ちがいます、」
「あっ、そうなんですね、失礼いたしました」
「そんな嫌そうな顔しなくても。ねぇお姉さん」
「いえ、申し訳ございませんでした。とてもお似合いなので」
「あはは、いやだなぁもう」

なんでこの男は働く人間への愛想が妙にいいのだろうか。不動産屋に対してもそうだったし、いまこの店員に対してもそうだ。そしてそんな時、私はたいがい不機嫌だった。これはもう決まった方程式なのだろう。

「みょうじ様、いつもありがとうございます。お品物に不備がないか確認いたしますので箱を開けさせていただきます」

流れるようにスムーズに、店員は私が選んだ口紅が折れていないか、色味は間違っていないかを確認してにっこり笑い、会計。またのご来店お待ちしております、と深く頭を下げられる。いちいちそんなことしなくても、と思うがそれが彼女たちの仕事な訳なので薄っぺらい笑顔とまた来ますという定番の言葉を渡した。

「なに基準で選んでんの、それ」
「なに基準ってなに?」
「すげえいっぱいあったじゃん」
「仕事用の口紅なくなったから、似たようなのがいいなと思って」
「あのピンクは?」
「かわいいけど仕事で使えないし」
「ふーん」
「聞いといて興味ないでしょ」
「興味なくはねえけどわかんねえから」
「プレゼントしないの?」
「誰に」
「彼女」
「あ〜、しないねしない、そもそも化粧品プレゼントしたことないかも」
「なにあげるの?」
「欲しいって言われたもの」

質問をしすぎているだろうかと、そう思って問いかけるのをやめた。ふーん、と口を開かないまま生ぬるい返事をしてくだりのエスカレーター。地下のフロアへはとても自然に、吸い込まれるように。

「どっち?」
「ん?こっち」

本当にほとんどここへは来ないらしく、美味しいと評判のこのジェラート屋のことも知らないらしい。私は時々友人とここで季節限定のフレーバーを楽しむから、彼の少し前を歩くが、やっぱり並んで歩きたいと思ってしまっているあたり、少々まずいのではないだろうかと、そう思っているとあっという間に店の前。

「うわ、すげえ種類」

その彼の声でハッとして、すごいですよねとまた上の空な言葉を発した。カラフルなそれらを物珍しそうに眺める彼の横顔は整っているわけではないのになんか、こう。

「なにが美味い?」
「ホワイトミルクは美味しいと思います、間違いない感じ」
「決まった?」
「はい、」
「えっ、早くね?」
「黒尾さんは?」
「なまえちゃんは?」
「シチリアレモンとラズベリー」
「可愛いの食うね」

すみません、と。彼は私の分のオーダーも済ませてくれる。カップでいいの?と聞かれたので頷いておいた。なんというか、スムーズな人だ。そっち座ろうと提案され、二歩遅れた距離。腰掛けるとそれを差し出されたのでありがとうございますと、若干はやいペースでお礼を言う。

「美味い」
「甘いの食べるんですか?」
「食べないですね、基本」
「美味しい?」
「うん、これは美味い」
「よかった」
「よかった?」

きょろり、覗き込まれてどきり。ぶわっと熱くなる身体をジェラートを頬張ることでどうにか緩和…できるはずもなく。相手はこの男。多分気付いている。若干挙動不審な私にもう、完全に。

「可愛いね」
「…え?」
「そういうとこ可愛いよね」
「なにが」
「照れたりするんですね」
「照れてません」
「こっち食う?あーんしてやろうか?」
「食べたいけどいらない」
「は〜、可愛くないね〜」
「どっちですか」
「可愛いって言ったらまた赤くなんの?」

にやりと口角を上げる男が嫌だと、そう思った。なりません、ってそう言ったが、声に出せていたのかよくわからないくらいには胸がうるさくて、それさえも全て見透かされているようで、どう反応するのが正解なのかも私には判断が出来なかった。溶け出した残りのジェラートを口内に運ぶがどっちがシチリアレモンなのかラズベリーなのか、色彩で判断せざるを得なかった。

「ん、終わった?」

無言が心地よくなかったのは私が隣の男を意識しすぎているからだ。黒尾は私の分のカップをゴミ箱に入れると何か思い出したかのように「あ、やべ」と言う。

「なに?」
「付き合ってもらったとこでもう一個買わなきゃいけないものあったんだ。10分くらいで戻ってくるからここいて…っつーか車行ってて」
「車?」
「なまえちゃんまだ用事あんの?」

実際、あった。あったけど、その辺をぶらぶらするという明確な目的のないものだ。なんと言うのが正解なんだろうかと考える前に私はこの先のことを予想して、声を出していた。

「…ない、けど」
「帰るとこ一緒なんだから乗っていけよ」

わかってきていることだが、この男は私が黙っていれば勝手にこちらの考えを汲んで、勝手に行動してくれるんだ。現に私の右手首を掴んで手のひらを開かされ、キュッと握らされたのは車のキーで。とくんとくんと全身に懸命に血液を循環させる心臓も血管も憎たらしくて仕方ない。勘弁してほしい、頬どころか、全身赤くなってしまうから。

「駐車場、ここ出たとこの6階の…エレベーター降りて左。車わかる?」
「…わかる」
「ん、わかんなかったら連絡して」
「はい」
「エンジンかけてていいから、先乗って待ってて」
「うん、」
「はい、いってらっしゃい。後でね」

ずるい、ずるいずるいずるい。ずるい。
声に出してしまった。1人で長い足を動かして歩き、私から遠のいていく彼が格好良くて、その背中に向かってポツリとぼやいてしまう。その声が彼に届いたらまたあの男はにやりと笑うんだろうな。右手に握った鍵がずっしり重たく感じて、その重力のせいかしばらくそこから動けなかった。はぁ、と。どこに向けたらいいのかわからない熱を溜息で吐き出して、黒尾さんの車を探しに立ち上がるのだ。

2017/08/07