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俺が店内に入った時には既にアリスは酔っ払っていた。
午前1時、外は土砂降り。平日の深夜…こんな雨の中、辺鄙な場所のバーに来る客など一人もいない。
カウンターの中ではマーテルとドルチェットが、グラス片手に喋り続ける彼女の相手をさせられていた。
「ね、ねぇアリスさん…もうそれ以上はやめた方が…」
「ウォッカ。ストレートで」
「ほら、もう顔真っ赤じゃないですか。あんまり呑むと研究に支障が出たり…」
「ウォッカ」
「「(あ、ダメだ。全然話し聞いてない)」」
「ウォッカ…」
差し出されたウォッカをグイッと一飲み。アリスは発熱した病人の様な熱いため息を吐くと、カウンターテーブルに俯せて小さく唸った。
俺は開けたままの裏口の扉から身体を半分だけ出したまま、その様子を眺めていた。
マーテルもドルチェットも、どうやら俺の存在に気付いていないらしい。
目の前の"問題"の処理に手間取っているからだろうか。
「なんなのよ、ほんと…」
俯せたアリスから、微かにそんな言葉が聞き取れた。
「大丈夫…」
「だいたいアイツ!!」
背中をさすろうと手を伸ばしたマーテルが、彼女の大声と共にそのままの姿勢で硬直した。
「思わせぶりな事ばっかり言って、そのクセ態度は粗雑で!」
グラスの底に少し残っていたウォッカを飲み干すと、アリスはさらに言葉を続けた。
「強欲だか何だか知らないけど、俺のモノなんて簡単に言っていい台詞じゃないのよ!」
"強欲"という単語…彼女の言う"アイツ"とは、俺のことなのか?
ーー些細な言葉に動揺したのか、足元の木枠に爪先を引っ掛けてしまった。
ガタ、と小さな音。と、同時に二人が振り向いた。
……ああ、大丈夫。アリスは俯いたままぶつぶつと呪文を続けている。
二人は俺に目だけで「たすけてください」と訴えたが、俺は口角をあげて首を傾げるだけだった。
それは部下たちを困らせようとした訳ではなく、ただ単に彼女の言葉の続きを聞きたかったからだ。
普段は仏頂面、口を開けば毒を吐くこの美人な錬金術師の、酒を通して見える本心を。
「子供じゃないわ。言葉の意味くらい理解できるわよぉ…」
突然、アリスの声が小さくなった。顔をあげた彼女は頬と鼻を真っ赤に腫らして、ぐしゃぐしゃになった前髪の隙間からぼろぼろと零れ落ちる涙を見た。
その衝撃映像に、俺を含めた三人は彼女の顔をみたまま硬直した。
……酒瓶の影に隠れて、俺の姿は向こうから見えない様だ。
「でもアイツ…だれにだってそんなこと言うじゃない…なによ…」
堪えきれない、といった様子で、マーテルがカウンターの下にしゃがみ込んだ。
彼女の姿の見えなくなったカウンターから、「アリスさん…かわいい…」と、微かに押し殺す様な笑い声が聞こえた。
俺はといえば、嬉しい様な、むず痒い様な気分でその光景をただ受け止めていた。
…これって、俺にヤキモチ焼いてんのか?アリスが、俺に?
「わたし、ずっと…いやだったんだからぁ…」
頬を伝う大粒の涙を手のひらで拭う彼女は、さながら子供の様で。
美人とはいえ、いつものイイ女な雰囲気は微塵も残ってはいない。
まぁ、子供と言うには少々無理のある年齢ではあるけれど…そんなもの、200年以上を生きた俺にとっては至極どうでもいい。
ただ、…かわいい。
「ひどいわよ…今日だって…だれかの香水…つけてきて…」
カウンターの中のドルチェットが、不意に俺に視線をやった。
…ああ、確かに香水くさい奴に会ったことは会ったが…別にどうこうしたって訳じゃない。
それより、今この瞬間が問題だ。
アリス、お前そんなこと思ってたのか?
「ごうよく、なのはわかってるけど…
わたしだけじゃ、だめなの……?」
プチン、と、俺の中の何かが切れた。
俺はそのまま店内に入り、背後からアリスを抱き締めた。
…殴られも蹴られも融かされもせず彼女に触れたのは、初めてかもしれないな、なんて。
カウンターの向こうでは、ドルチェットとマーテルが空気を読んでか読まずか、黙ってその様子を見ているらしかった。
「アリス……お前、そんなこと思ってたのか…?」
「ぅ……ぁ?ぐりーど…?」
あ、酒くさい。それに、顔近い。端正で綺麗な顔が、赤く水分を含んで柔らかく壊れている。
「なぁ、今すごくイヤらしい顔してるぜ」
「ぐりーどっ…」
いつもの凛々しく強気な彼女からは想像も出来ないような、甘くて優しい声。
俺、もう我慢の限界だぜ?何がとは言わないけれど。
不意に、彼女が俺の首元に手を伸ばした。そしてその手は、腕は、俺を包んで。
耳元で、仄かに甘い、優しい声が…
「………融かす………」
「 え? 」
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