▼ 危機 1
ばたばたと響くのは、二人分の足音。
前方を駆けるエンヴィーの後を追い、薄暗い廃墟の奥へ奥へと入り込んでいった。
ボロボロになって苔を生やした壁の後ろに身を隠し、向こうの動向を伺う。
黒い服を着たそれらは、銃を構えたままぞろぞろと蠢いていた。
「すぐにお父様のところへ戻りましょう」
「………」
「ねぇ、エン…」
「シッ……静かに」
そう言うとエンヴィーはトカゲの様な小動物に形を変え、身をするりと壁の隙間へ滑らせる。
ミシ、と小さな音。
姿を変えても、元の質量は残る。その危うさといったら。
わたしは目を瞑り、自分の呼吸音を聞いていた。
(ーーどうしてこんなことになったんだろう…)
…………
「粗雑さが目立つ」
お父様がそう言うと、エンヴィーは少しだけ悲しい顔をした。
先日の任務時、人間に必要以上の干渉をした挙句、幾度か死んだらしい。
確かに彼は、荒業だ。
「メランコリー、」
「はい」
「次の任務時にはお前が……エンヴィーと行動しろ」
「ちょっと待ってよお父様!メランコリーが一緒にいたって何もできないじゃん。足手まといになるだけだよ!」
お父様の言葉に反抗…いや、質問をするなんて珍しい。
「他のものは既に別の仕事を任せている。メランコリーはお前の頭脳になり得るだけの度量はあるはずだ」
「お父様」
私にも聞きたいことがあった。
「肝心の、任務とは…何ですか」
「メランコリー!」
「エンヴィー、お父様の仰ることがきけないの?」
「でも…」
ああ、不満なのだな。
私を睨む目の奥に、困惑が宿っていた。
………
にゅるりと壁の穴を抜けて、その小動物はこちらに戻ってきた。
それは静かに姿を変え、細身の少年になる。
「まだ探してるみたいだ。でもあっちの方へ行ったから暫くは安全だよ」
エンヴィーは早口でまくし立てた。
表情に焦りが見て取れる。そしてそれは、私も同じ。
「早急にお父様に報告しなければ…」
「でもどうやってここから」
「私が囮になる」
エンヴィーは眉を顰(しか)めた。
「私が気を引く隙に……地下へ戻って、知らせて」
理由など、言葉にしなくても理解できるだろう。
私には力がない。戦えるだけの力も、能力も、速く走ることもできない。
それならば少しでも速く、なるべくであれば死なずに戻ることができるのは…これ以上は言わずとも解るだろう。
自己犠牲の精神ではない。単に、合理的か、そうでないかの選択である。
どちらにせよ、この状況から抜け出すには犠牲がいる。
「…このエンヴィーが…全員踏み潰してしまおうか」
「エンヴィー…」
ぱち、と、エンヴィーの指先が弾けた。私はゆっくりと彼の指に触れた。
「ーーそうすべき時ではないでしょう」
「………」
「相手の人数すらこちらは把握できていない」
エンヴィーがその気になって元の姿に戻ったとしたら、それを見た人間を生かして帰すことはできない。
把握できていないのであれば、全員を殺したと確認する術が無い。
リスクが大き過ぎる。
「いえーー囮でなくとも、彼らはきっと私を人間と思い込む」
「……確かに。メランコリーならきっとーー」
「上手くいく。大丈夫。だから、やろう。時間がない」
それはほとんど、自分に言い聞かせる為であった。
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