黒猫 | ナノ


▼ 繰り返す

「お疲れ様でしたー!」
今日はなんとか勤務時間ピッタリにあがることができた。即座に着替えを済ますと、裏口から足早に退出する。
今日は思いのほか繁盛したので、ヘトヘトだ。早く帰ってシャワー浴びたいな…などと考えていると。
「かおるさん!」
後ろから呼び止められた。振り向くと、バイトの後輩の…なんだっけ、男の子がこちらに走ってきていた。
「店長から差し入れだそうです。二人で分けなさいって」
彼は背が高く、黒髪の爽やかな短髪が印象的な人だ。確か、私と同い年、だったような。
「わざわざありがと。それじゃ」
差し入れを受け取ってすぐに踵を返すと、彼は「待って、」と私の肩を掴んだ。
唐突に触られて、少し嫌悪感を覚えたが、それをぐっと堪えて「何?」と聞き返した。
「かおるさんって彼氏いるんですか?」
「いないけど…」
「ええ、意外!モテそうなのになぁ」
こんな意味のない会話がしたいんなら休憩中とかにしてほしい。私は今、早く帰りたくて帰りたくて震えるレベルなのに。
それに、私を安い言葉で図に乗る女だと思うな!
「じゃ、お先に」
再び帰ろうとすると、ぐっと腕をひかれて、彼の顔が近づく。
驚きと嫌悪感で身を後ろにぐっとひくと、彼はあっさりと手を離した。
「…今度、一緒にお食事でもいかがですか」
真剣な表情で寄られる。だけど私は知っている。こういう時の男性の目は、信用してはならない。
「……ごめんなさい、彼氏いるから」
嘘をついた。こう言えば、大抵の男は諦めて別の女を探すから。
しかし彼はゆっくりと私に近づいてきて、私が逃げる間もなく、手を掴んできた。驚愕と恐怖を同時に感じた。
「…じゃ、別れてください」
「は?」
「俺じゃ駄目ですか」
ぐっと顔を寄せられて、反射的に後ずさるが、運悪く電柱に当たってしまい、これ以上さがれなくなった。
「かおるさん…」
あぁ、この顔は知っている。女を欲している男の顔だ…
背中に鈍い痛みがはしった。電柱に押し付けられて、身動きが取れない。否、既に恐怖で身体中が麻痺していた。ゾクリと悪寒が走った。目の前の男は私の顔に手を添え、押さえつけると、私の唇を指でなぞった。
私は恐ろしさで声が出なかった。背筋に汗が伝ったような冷たさを感じた。以前私を無理矢理襲った男の顔がフラッシュバックした。
彼の指が口内に入ってきた。嫌悪感と恐怖で目眩がした。口を割られたまま、彼は私に口付けした。指で割られた口は、舌の侵入を簡単に許してしまう。胸の辺りに違和感を感じ、それが彼の手だということを理解した途端、ぱっと弾かれたように体に力が戻った。私は彼を精一杯の力ではね除けると、どこへ行くかもわからないままただがむしゃらに走った。

気がついたら家の前の公園に来ていた。時計は午前4時を回っていて、足の痛みと息切れの酷さで、かなり長い時間走っていたのだと気付く。胸がムカムカとして、近くの草むらに嘔吐した。吐瀉物と共に、目からは涙も零れた。とても惨めな気分だ。私はその場にへたり込んで、暫く泣いた。
公園の入り口にある水道で口を洗った。擦っても擦っても、あの男の唇の感触が消えなかった。あの時と、同じだ。私は、何も学習していない。頭の中でどんなにシュミレーションを詰んだって、実際は恐怖で声も出せず力も入らず、相手のなすがままになってしまう。何よりも無力な自分に嫌悪した。
夜の公園で一人泣く女の姿は、滑稽なものだっただろう。
………

「かおる、おかえり…遅かったね」
時刻は朝の6時。猫はこんなに遅くなっても、私のために起きていてくれている。私は涙をぐっと堪えて、精一杯の笑顔で「ただいま」と言うと、そのままバスルームに走った。
頭が割れるように痛かった。私は服を着たまま、シャワーの水を浴びながら、声を出して泣いた。水が口に入るのも、服が濡れるのも気にならなかった。
突然ぐっと後ろに引かれた。猫が私を引っ張っていた。彼は何か言っているけど、何も聞こえない。彼の姿は涙だかシャワーの水だかで見えない。私は何をしているんだろう。もう、何も考えたくない。




prev / next

[ ]



×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -