「風見さんから本日十五時に伺うとの連絡がありました」出先から戻ってきた私に笠原君は一息つく間もなく言った。上司を連れて来いとは言ったけれど、まさかこんなにも早く展開が進むとは。驚いて声が出ない。


「先生は協力者になるんですか?」
「ならないよ。メリットが無いからね」


引き出しから風見さんの名刺を取り出す。彼は警視庁公安部の所属だ。そんな彼に指示を出せる人は限られている。そして私の存在をはっきりと認識している人だ。何かしら理由が無いと私を指名しないだろう。それにプライドの高い彼らがわざわざ頭を下げに来る事自体に違和感を感じる。


「警察庁警備局警備企画課」
「え?」
「風見さんに指示を出したのは恐らくそこです」
「、ゼロ」
「さすがに先生も知っていましたか」


もし本当に相手がゼロならば、少々面倒臭い事になりそうだ。けれど相手は警察。たかが一般市民に無理強いなんてしないだろう。そうなれば私だって何かしら対策を練らなければならない。


「笠原君、駅前のケーキ屋までお遣いしてもらえる?」
「はい。いつものでいいですか?」
「うん。四つ、よろしく」
「分かりました」


そう言い、笠原君は車のキーを持ち静かに事務所を出た。元々静かな此処は、私一人になりさらに静けさが増す。時計が示すのは十三時五十分。さて、彼らをどうやって出迎えようか。





来客を告げるインターフォンが鳴ったのは、十四時五十分の事だった。時間厳守なのは流石、というところだろう。カメラ越しに見えるのは風見さん一人。彼への指示者は最後の最後まで姿を見せないという事か。


「お待ちしておりました。どうぞ」


ゆっくりと、溜めるように、笠原君が言う。ここに辿り着くまで後五分。今更何を考えたところで、出てきやしない。全面窓から見える景色は雨でぼやけていた。


「先生、風見様方がお見えになりました」


その声にゆっくりと窓から入り口へと視線を移す。矢張り、そうだ。そこにはグレーのスーツに身を纏った金髪の彼――安室さんがいた。何時もとは違う顔付きは、これが本物の彼なのだろうと思わせる。


「どうぞ、お座り下さい」
「ホー、驚かないんですね」
「えぇ。貴方の先日の別れ際の台詞。わざとですよね?」
「弁護士をやめて、警察になっては?」
「私には荷が重すぎます。さぁ、お座りになって下さい」


テーブルには淹れたての珈琲と、さっき買ってきてもらったケーキが並んでいる。風見さんが一番に座り、私は続くようにして席についた。私の前に安室さんがいる。


「私、警察庁警備局警備企画課、降谷零と申します」
「ご丁寧にありがとうございます。降谷、が本名ですか?」
「はい」
「堅苦しいのも気疲れしますので、楽にされてくださいね」


安室さん――いや、降谷さんのその面持ちは今まで見た事の無いものであった。ポアロで働いているのは潜入捜査でもしているのだろうか。でないと、わざわざ偽名を使う必要が無い。


「ところで、なぜ私を協力者に?」


珈琲を一口飲んでから言う。降谷さんは未だに私を見つめたままだ。見つめた、なんて言うと勘違いしそうだが、決してそんなに甘いものでは無い。威圧を掛ける、と言ったが早いだろう。


「苗字さんの人脈、情報網が莫大なのはこちらの調査で分かっています。だからこそ、この日本を守る為力をお借りしたいと考えています」


まるで訴えかけるかのように、ゆっくりと整った唇が動いた。確かに私は一般とは違う人脈を多く持っている。中には日本の有名な政治家もいる。けれど彼の腹の奥底はまだみえていない気がした。


「先日風見さんにも申し上げましたが、失礼ながら貴方様方の協力者になるつもりは毛頭ございません」
「どうしてもですか?」
「ええ」


説得というよりかは、もう心理戦なのだろう。何を言われたって協力者になるつもりはない。答えは永遠に"ノー"なのだから。その時「風見、席を外してくれ」と降谷さんが言った。風見さんは何か言いたげであったが、頭を下げ、事務所を出た。


「私も失礼いたします」


そう言ったのは笠原君だ。風見さんに続くようにして事務所を出た。空気を読んだのだろう。この空間には降谷さんと二人きり。すると降谷さんは自分の目の前の珈琲カップを手に持ち、そのまま口をつけた。警戒心の強い彼だからこそ、絶対に飲まないと思っていた。


「…松田陣平を知っていますか」


どくり、心臓が跳ねた。何故降谷さんが陣平の事を知っているんだろう。もしかして私を揺らすためなのだろうか。綱渡りの平常心を保ちながら「えぇ」とだけ返事をする。


「彼は警察学校時代の同期であり、良き友人でした」
「、そうですか」
「だから、苗字さん――貴女の事も知っていました」


初めて降谷さんをポアロで見たあの日、何故彼を知っている気がしたのか。今やっと思い出した。陣平がまだ警察学校に通っている時、私は彼の友人等に出会った事があるのだ。降谷さんはその内の一人だったのだ。


「松田はいつも貴女の事を自慢していました。苗字さんの事を話すとき、松田は本当に幸せそうでした。警察としてある程度のキャリアを積んだら結婚するのだと、いつも、っ」


俯いている降谷さんの表情は見えないけれど、彼の肩は小さく震えていた。ぼんやりとそんな彼を見る。陣平はこの世を去っても、自分を想ってくれる友人に出会っていたのだ。その事に小さな喜びを感じる。


「私は…俺は親友の松田陣平が愛していた貴女を、降谷零という一人の人間として守りたい」


掠れた声で、訴えるように降谷さんは言った。きっと降谷さんは人一倍正義感が強いのだろう。だからこそ、その分私という存在に負い目を感じているのだ。


「降谷さん。私は協力者にはなりませんし、貴方に守って頂くほど弱くはありません」
「っ、」
「まずは友人になりませんか?陣平の親友に悪い人はいないですから」


褐色の肌に映える青い瞳が揺れた。降谷さんは優しすぎるのだ。その優しさと使命感、そして正義感に溢れているせいで不器用なのだろう。私が手を差し出せば、降谷さんの手がゆっくりと触れた。


「今、思い出しました。確か"降谷はモテる癖に女に興味が無い"とか言ってた気がします」
「そう言い方をされると語弊がありますね」
「所で友人なんだから、もっと砕けてもいいんですよ降谷さん」
「それは貴女もです、苗字さん」


警察学校時代の友人は次々に殉職した、と陣平は泣いていた事がある。きっとその中で今もこうして地面に立っているのは降谷さんだけなのだ。私はそんな彼を、陣平の愛した友人を大切にしたい。


「初めて俺に会った時、何て言ったか覚えてるか?」


その砕けた口調が、本物の降谷さんなのだろう。安室さんの時はフェミニストの塊という感じだったけれど、本当は随分と偉そうな人間だったのか。驚きながらも「さあ?」と言う。


「"ねぇ、陣平。この人めちゃくちゃ胡散臭い"」
「え」
「目の前の俺に向かって言ったんだぞ。その場にいた全員、お腹を抱えて笑っていた」


そういえば、そんな事もあった気がする。今も昔も、降谷さんの印象は変わっていないと言う事か。良いことなのか、悪いことなのか。けれど、昔を思い出して優しい表情をしている降谷さんを見ると、悪いことでは無いのかもしれない。


「言っとくけど、この間初めてポアロで会った時もそう思ったから」
「、え」
「私の中の降谷さんは胡散臭い人なんだろうね」


すると吹き出すように降谷さんが笑った。その表情はポアロで働く安室透でも、公安として日本を守る降谷零でもなかった。私の目の前にはただの降谷零が確かに存在していた。


「さて友人の降谷さん。そろそろ部下を此処へ戻しませんか」
「そうですね、苗字さん。風見は貴女に断られ酷くショックを受けてましたよ」


そんな事を言いながら笑う私達を、扉の隙間から笠原君と風見さんが見ていたなんて気付かなかった。それに私達のいない所で、二人が意気投合していたなんて知るはずも無かった。


2018/05/10
現在編終了

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