翌日朝六時半。あれから寝落ちした私の瞼は見るも無残に赤く腫れ上がっていた。恐らく滝のようにでてきた涙を擦り拭いていたのだろう。ビニール袋に氷を入れ、冷やす。今日はコナン君と一緒に出かける日だ。感の鋭い子だから、こんな顔を見せたら心配させてしまう。

ある程度落ち着いたらシャワーを浴びよう。そうすれば少しは気持ちも晴れるはず。いつまでも過去の事をくよくよ言っていても仕方が無い。私がどれだけ涙を流しても、陣平は帰ってこないのだから。





朝十時半。コナン君を迎えに行くまであと三十分。彼から届いたメールは『新一兄ちゃんの家で待ってるね!』だそうだ。確か工藤さんの家には、今は大学院生の男性に貸し出していると以前聞いたことがある。

そんな素性も知らない人は止めた方がいいと何度も言ったけれど新一君は電話越しに「名前さんは心配性過ぎなんですよ」と笑っていた。勿論、工藤一家が怪しい人物に家を貸し出すなんて思っていない。けれど心配して口を出すのが第三者の役割だ。

家を出る前に最近購入したお気に入りのグロスを塗る。はっきりとした色合いは少しだけ私を大人びて見せてくれる。車の鍵を持った事を確認し、私は玄関扉を開けた。

いくつかの信号を過ぎ、閑静な住宅街へと入る。そこに佇む洋風な家が工藤さんのお宅だ。車を止め、チャイムを押す。すると聞いた事の無い男性の声で返事があった。この声の持ち主が噂の大学院生なのだろう。


「苗字と申します。こちらにコナン君がお邪魔していると聞き、お迎えに来ました」
『はい。今開けます』


その声から十数秒後、家から出て来たのは背の高い眼鏡を掛けた男性だった。彼はゆっくりと手を出し「沖矢昴と申します」と言う。差し出された掌は硬く、喩えるのなら潰れた豆が固まった、とでも言おうか。

すると自分の身長の倍はありそうな玄関扉を開け「名前姉ちゃん、お待たせ!」とコナン君が小走りにやって来た。その無邪気さに癒やされる。


「ねぇねぇ、早く行こう?混んでるかもしれないよ」
「今日土曜日だもんね。トイレは大丈夫?」
「うん!」


コナン君は満面の笑みを見せ、背負っているリュックを揺らした。そんなに待ち遠しかったのだろうか。コナン君は生粋のシャーロキアンらしい。私も推理小説は好きで読むけれど、シャーロック・ホームズシリーズはバスカヴィル家の犬が読み切れず、脱落してしまった。それに私はどちらかとコナン・ドイルよりかは江戸川乱歩派だ。

もしかしたらコナン君は推理の星の下に生まれたのかもしれない。でないと江戸川と云う苗字の下にコナンという名前は付けないはずだ。きっとご両親も相当な推理オタクなのだろう。

コナン君が助手席に乗り込んだのを確認する。すると沖矢さんは細い目を三日月のように歪ませ「楽しんで来てくださいね」と言った。どんな人かと思い心配していたけれど、悪い人ではなさそうだ。私は少しだけ頭を下げ車に乗り込んだ。


「名前姉ちゃんは推理力無いから、代わりに僕が解いてあげるね!」
「お願いします、名探偵さん」


ゆっくりとアクセルを踏み、車を発進させる。相当楽しみなのか、コナン君は鼻歌を歌っていた。それがあまりに酷かった事は胸に秘めておこうと思う。





結果から言うと、コナン君の勝利で幕を閉じた。まず店内に入ると、その中央に人が死んでいた。勿論マネキンである。マネキンの腹部から血糊がでていた。その周りにはカフェらしく、食事用の円卓のテーブルが置いてある。店内の至るところに事件の鍵となるものが置いてあり、コナン君は注文そっちのけで、事件解決に精を出していた。

店内を歩き回っては何か手掛かりを見つけ出しているコナン君は無視して、私は殺人ケーキと血の池地獄ジュースを頼んだ。コナン君のは、彼が事件解決してから頼むとしよう。

届いた血の池地獄ジュースを飲みながら、顎に手を当て考え込んでいるコナン君を見る。他の客も必死に頭を捻りながら犯人を探し出しているようだ。私は壁に掛かった写真を見る。ABCD と振り分けられ貼られた写真には、それぞれ男性が写っている。その下にその人物の経歴や性格、その他被害者との関係などが書かれていた。恐らくあれを参考に犯人を見つけ出すのだろう。

ケーキを一口食べながら、テーブルに置いてある紙を見る。それに壁に貼られた犯人の記号と殺人動機を書くようだ。正解したらお土産で目玉マカロンが貰えるそうなので、是非とも頑張ってもらいたい。





小さな口を一生懸命動かし、コナン君は目玉マカロンを食べている。見た目は何ともグロテスクだけれど、手が止まらないと言う事は美味しいのだろう。そんなコナン君が可愛くてスマホで写真を撮ると「勝手に撮らないでよ!」と怒られてしまった。


「今日は本当にありがとうございました。名前さんだって、貴重な休みなのに」
「何かしら予定が無いと私は家に引き篭もっちゃうから、寧ろありがたかったよ」


申し訳無さそうに眉を下げている蘭ちゃんは、どこか妃先生に似ている気がした。いや、妃先生の娘なのだから似ててもおかしくないのだけれど。蘭ちゃんは小五郎さんと妃先生が丁度良く中和されているから、どちらにも似ているのだろう。


「名前姉ちゃん、ありがとう!また連れてってね!」
「うん。もちろん」


新一君がいたらそんな子ども騙しの推理なんか楽しくねぇよって言いそうだよね。と私が言うと蘭ちゃんは「確かに!」と頷いていた。けれどコナン君は「えー、そんな事言うかなあ?」ととぼけた様に言った。


「じゃあ、私はそろそろ帰るね」
「えー、もう帰っちゃうの?」
「そうですよ!よければまた一緒に夕飯でも、」
「気持ちは嬉しいけど、やらないといけない事がたくさんあるの」


困ったように家言えば「じゃあ、今度は必ず一緒に食べましょうね!」と蘭ちゃんは言った。もちろん、と返し私はその場で二人と別れた。


「名前姉ちゃん!」


私を追いかけるように階段から降りてきたのはコナン君だった。少し息を切らしている。何か忘れ物でもしてしまったのだろうか。そう思った矢先、「昨日、何かあったの?」と言われ、小さく声が漏れる。


「何でそう思ったの?」
「朝会ったとき、少し目が腫れてたから、泣いたのかな、って」


コナン君は後ろで手を組み、体をもじもじさせた。そういえば陣平が死んだと知った日、私の変化に一番に気付いたのは新一だった。コナン君は新一とは全くの無関係なのに、二人はどこか似ている気がする。


「コナン君は大切な人を失わないようにね」


小学校一年生の彼には、まだ少し難しい内容かもしれない。しゃがみ、コナン君と目線を合わせる。眼鏡の奥の大きな瞳が、ゆらり、と揺れた。


「さ、蘭ちゃんが心配するからそろそろ帰ろう」
「、うん」


コナン君の頭を優しく撫でる。「またね、名前姉ちゃん!」元気にそう言うと、テンポ良く階段を上がっていった。コナン君の姿が見えなくなった所で、私は足を動かした。





空にはほんのり星が見えていた。車に乗り込もうとした時「苗字さん!」とここ数日で随分と聞き慣れてしまった声が聞こえた。そこには案の定、ポアロのエプロンを付けた安室さんがいた。


「何か?」
「そんな露骨に嫌がらないで下さい。これ、余ったのでよければ」


そう言って安室さんが私に手渡したのは、綺麗にラップで包まれたサンドイッチだ。初めて会った日にもらったものと同じだろう。悔しかったけれど、あれは相当美味しかった。


「ありがとうございます」


家に帰った所で自炊をするわけではないから、本当の事を言えば大変助かる。素直に受け取れば安室さんは少しだけ目を見開いた。そんな彼を見ながら、先日喫茶店で見かけた事を思い出した。


「そういえば、先日綺麗な女性とおられましたが彼女ですか?」
「いえ、探偵としてのクライアントですよ」
「それにしては親しげに見えましたが」
「そうですか?」


惚けているのか、そうではないのか。でも察するに『これ以上この話はするな』と訴えている。あの女性が安室さんの彼女だろうが、クライアントだろうが特に興味は無いので、これ以上は聞かない。

では。私はそう言い、車に乗り込む。その直前に「また近い内にお会いしましょう」と言った安室さんの声が聞こえた。その言い方はまるで決定事項のようだ。矢張り、安室という人物は少々胡散臭い、と思う。


2018/05/06

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