松田さんに対するこの気持ちが恋だと自覚したのは、一緒に出掛けたあの日の翌日だった。寝ても覚めても松田さんの事で頭が一杯で、気付いたら次はいつ松田さんと会えるんだろうなんて思ったりして。

メールのやり取りはしているけれど、顔を合わせたのはまだたったの二回だけ。恋に時間は関係無いなんていうけれど、あまりにも早すぎる恋心に私の頭が付いていけなかった。

洗ったばかりのシーツは柔軟剤の香りがする。それなのに何故か、あの日の松田さんの香水の香りを思い出してまた体が熱くなる。抱き締められた温もりすら、私の体が覚えている。

今まで男性と無縁だった訳では無い。高校生の時は付き合っている人がいたし、それなりに楽しく青春を送ってきた。手を繋いだし、キスもしたし、その先だって。それなのに全てが真っ白になってしまったかのようだ。


「…好きすぎる」


私の呟きは誰かに聞かれる事も無く、静かに消えていった。テーブルに無造作に置かれたスケジュール帳には赤のペンで丸印がしてある。明日、松田さんとトロピカルランドに行くのだ。





天気は快晴。心地良い気温。時刻は九時四十五分。約束の時間から十五分も遅れてしまった。電車から降りると人を掻き分けて約束の場所まで走る。トロピカルランドまではもうすぐ。

松田さんは入場ゲートの側にある椅子に座っていた。日頃の体力不足のせいで少し走っただけでも、足が震える。「遅れ、ました、っ」息が切れ切れの私を見て、松田さんは小さく笑った。


「そんなに息切らした状態で、これから楽しめんの?」
「たのしめ、ます、っ」


ゼェゼェと肩で息をしていると、松田さんの大きな掌が優しく肩に触れた。「ゆっくり呼吸して」その声で大きく、ゆっくり息を吐く。すると段々呼吸が整い、激しく動いていた心臓も平常心を取り戻した。


「じゃ、行くか」


そう言い、松田さんは私の背中をぽんと軽く叩くと、先に入場ゲートまで歩いて行く。遅れないように着いていけば、松田さんの歩幅は私と変わらずすぐに追いつく事が出来た。そんな些細な事すら嬉しくて、緩んでしまう頬を隠しながら松田さんの隣に並んだ。





トロピカルランドはとにかく人で埋め尽くされていた。パンフレットを見ながら何処に行こうなんて話をしていたら、視界に入る茶色の影。それは私が会いたくて仕方なかった、ここのキャラクター。


「トロッピー!松田さん、トロッピーですよ!早く行きましょう!」
「はいはい」


小さい子達に囲まれたトロッピーに向かって一目散に駆け出す。見れば見るほど可愛らしい。トロッピーは目が合うと私に駆け寄って来てくれて、もこもこの体に勢い良く抱き着く。


「松田さん!写真撮ってください。はい、携帯!」
「何で俺が」
「いいから!」


携帯をカメラモードにしてから、松田さんに携帯を渡す。何だか嫌そうな表情をしていたけれど、そんなの気にしない。トロッピーに抱き着いたまま、写真をぱちり。他にも人が並んでいるから、トロッピーと握手をしてその場を離れた。


「めちゃくちゃ可愛かったですね!」
「俺には目がイッてるようにしか見えなかったけど」


これが男女の違いか。それともただの性格的なものなのか。それは分からないけれど、残念ながら松田さんとはトロッピーの可愛さについては語れないようだ。





「そう言えば、私、松田さんに名前言いましたっけ」
「言ってない」
「え…じゃあ何で知ってるんですか」


トロピカルランド内のレストランで昼食を食べているとき、ふと、そんな質問をした。あれから思い返してみたけれど、失礼ながら私は一度も松田さんに名前を言っていないのだ。おかしな話かもしれないけれど、これが事実なのである。


「去年の学祭で会ったの覚えてない?」
「去年の?うーん…」
「お前、すっげぇ泣いてた」


去年、高校三年生の学祭の日。私は彼氏にふられた。理由は簡単、他に好きな子が出来たから。その彼の事は本当に大好きで、上手くいっていると思っていたから、まさか別れ話をされるなんて思わなかったのだ。

楽しんでいる友人たちまで巻き込みたくなくて、私は学校裏の誰もいない花壇の側でしゃがみ込み惨めに泣いていた。その時、男性が一人、来たのだ。自然な仕草で私の隣に座り、声をかけてくれた。それがとても優しくて、一層涙が増えた事は覚えている。


『名前は?』
『苗字名前、です』
『俺なら女を泣かせるなんて事、しないけど』


その人には名乗ったはずだ。でも泣き顔なんて見られたくなくて、私は膝に顔を隠していた。その時はただ声だけで、若い男性だということを認識しただけなのだ。


『別れたって事は、そいつはお前の運命の相手じゃなかったって事だろ』
『…あの、』
『ん?』
『ありがとう、ございます』


涙のせいで視界はぼやけていた。でもその中で少しだけ見上げた視線の先には、少し無愛想だけれど優しい口調の男性がいた。私と歳は変わらないくらい。温かい掌で私の頭を撫でてくれた。

あの日の事を思い出し、もしかして…と一人考える。まさかあの時の男性が松田さんなのだろうか。私の考えは表情に出ていたのか、「正解」そう言うとステーキを頬張った。





空には月が見え始めていた。楽しい時間はすぐに終わる。最後に乗った観覧車から見えた景色は瞬きするのも惜しいくらいに綺麗だった。百万ドルの夜景には劣るけれど、それでも私の心をときめかすには十分だ。


「綺麗ですね」
「そうだな」


硝子越しに見える夜景に夢中になっていた私は、松田さんが私を見ていたなんて知るはずもない。ただただ、この時間が永遠に続けばいいのに、なんて思っていたのだ。

地上へ降りると、閉園を知らせる音楽が流れていた。客は出口に向けて歩き、私もそれに逆らわず歩き出した時だ。突然松田さんに手を掴まれ「こっち」とだけ言われ、私はなすがままに松田さんの後をついて行った。

辿り着いたのは噴水広場。夜景程ではないけれど、繊細なイルミネーションが可愛らしい。松田さんは突然歩みを止めると、くるり、と私の方を向いた。


「好きだ」


私が言葉を発する前に、松田さんの低い声が響いた。一瞬何を言われたか分からなかったけれど、理解し始めた頃にはジワジワと身体が熱くなっていく。


「馬鹿みたいな話かもしれないが、俺は文化祭の日お前に一目惚れしたんだ」
「、っ」
「電車で出会った時は運命だと思った。チャンスだと思ったから、痴漢から助けたのを口実にこうして会うように仕向けた」
「松田さん、!」


頭よりも先に体が動いていた。抱き着いた松田さんの体はとても温かかった。「、私も好きです」そう言うと、引き締まった腕が私を強く抱きしめた。

その時、私達を覆うかのように一斉に水が上がった。噴水が上がる時間だったのだ。その光景に目が奪われていると、ゆっくりと松田さんの顔が近付き、唇が触れた。


「こっち見ろ」


甘く低い声が耳を揺さぶった。私の瞳には松田さんしか映ってない。それは彼も一緒。噴水が終わる前にもう一度、キスをした。優しくて暖かくて。こんなにも幸せな気分になったキスは生まれて初めてだ。


「松田さん、結婚して下さい」


突然口から出た言葉。突拍子もないそれに、松田さんはくすりと笑い「喜んで」と言った。ああ、そうか。松田さんは、私の運命の相手なのだ。


2018/06/07

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