携帯と向き合い早三十分。たった一つ、通話ボタンを押せば繋がる電話。それが出来たら、この悶々とした気持ちも晴れ晴れするのだろう。…出来たら、だけれど。

私がため息を吐いたところで誰かに聞かれることもなく、私は携帯を持ったままベッドに勢い良くダイブする。携帯のディスプレイには“助けた男”という文字が映し出されている。それをじぃ、と見つめる。

大丈夫、私。女は度胸!自分に向かってそんな言葉を投げ掛けながら、勢い良くボタンを押す。するとディスプレイには着信中の三文字。プルルルル、と聞こえてくる機械音に緊張からか汗が流れた。


「出ない。うん、出ない。切ろう」


何度目かの機械音を聞いた後、そう言って電話を切ろうとした。その時「…もしもし」低くて怠そうな声が聞こえてきた。心臓が跳ねるように脈を打った。


「もしもし!こんばんは!今日助けていただいた者です!」
『…テンション高すぎ。酒でも飲んでんの?』
「飲んでないです!」
『知ってる』


電話越しに聞こえる大きな欠伸。寝ていたのだろうか。私と言えば緊張して一人の部屋で正座をしている。こんな姿、新一君にでも見られたら「バーロー」とかって言われるかもしれない。いや、でも緊張しているのだから仕方ない。


「本日は誠にありがとうございました!」
『いや、かしこまり過ぎでしょ』


駄目だ。緊張して頭がおかしくなってる。数時間前まで、顔を合わせて喋ったときはこんなに緊張しなかったのに。電話をするってこんなにも勇気のいる事だったのだろうか。手は震え、汗が流れ、心臓はばくばくと音がなる。私の体は、極限状態だ。


「もし宜しければお名前をお伺いしたいのですが!」
『松田陣平』
「え?」
『俺の名前。聞いたの自分じゃん。聞き返すなよ』
「す、すみません」


松田、陣平。その名前を心の中で繰り返す。これが少女漫画なら、ここで恋に落ちている事に気付くのだろうけど、生憎これは現実だ。忘れないように慌ててメモ帳に名前を書く。


『それ、メモする程のことか?』
「え?…何で分かったんですか?」
『紙の擦れる音。ボールペンのノック音』
「はー…。まるで探偵のようですね」


こちら側の音がは僅かにしか聞こえなかっただろう。それなのにピタリと当ててしまった松田さんに関心する。けれど彼は呆れたかのように息を吐き『誰でも分かるだろ』と言った。恐らく、私は分からない。


「それは良いとして、お礼何するか考えていただけましたでしょうか?」
『数時間程度で決まるわけないだろ』
「…そうですよね」


私は一体、何に焦っているのだろう。携帯を持ちながら項垂れていると『あ、』と聞こえ、少しだけ頭が上がる。携帯を置いたのか、何かを探る音が聞こえる。矢張り私は、電話越しの音だけでは相手が何をしているのか分からない。


『トロピカルランドのチケット貰ったから行か、』
「行きます!私、行ってみたかったんです!」
 

最近出来たばかりのトロピカルランド。とにかく楽しいらしく、一日あっても廻りきれないだとか。連日大勢の客で大賑わいだと、先日の夕方のニュースで言っていた。するとお腹を抱えるような大きな笑い声が聞こえ、テンションが上がりきっていた私はびっくりして動きが止まる。


『何?そんなに嬉しいの?』
「だって、トロピカルランドですよ!私、トロッピーと写真が撮りたいです!」
『何それ』
「トロピカルランドのキャラクターですよ!リスの!知らないんですか?」
『知らない』


ああ、どうしよう。嬉しくて体がポカポカしてきた。『で、いつにする』その言葉に私はスケジュール帳を取り出す。入学式までに一度実家に戻るから、その前…。いや、後にしよう。「再来週で都合の良い日はありますか?」と聞くと、私に合わせると言うのであっという間に日にちは決まった。


「九時半に入り口にいます!遅れないように来て下さいね!」
『はいはい』
「じゃあ、再来週に!」


松田さんの返事も聞かず、私は通話を切る。頭の中はトロピカルランドで埋め尽くされ、私とトロッピーが手を繋いで歩いている映像が脳内で流れる。楽しみすぎて眠れないかもしれない。

私がお礼をする立場なのに、まさかトロピカルランドに連れて行ってもらえるな、ん…て?はっ、と冷静になる。私はトロピカルランドに行く?誰と?松田さんと。二人きり。そう思うと急に体が熱くなる。待って、もしかして、これって、


「…デートじゃん」


先程まで浮かれていた自分がアホらしく思えてくる。いや、でも松田さんはそういう意味で私を誘った訳ではないだろう。私の事はうるさい餓鬼ぐらいにしか思ってないはず。うん。きっとそうだ。

ペンケースから赤のマーカーを取り出す。決まった日にちに“トロピカルランド 九時半 入り口”と書く。前日はいろんな意味で眠れなくなりそうだ。





「あら、それってデート?」
「違います!」


今日は珍しく時間があるそうで、先生に午後のティータイムに招待された。なので、私は借りていた本を持って事務所へと訪れた。先生は相変わらずの美人で、女の私でもうっとりしてしまう。キリッとした眼鏡も似合っている。正に私の理想とする弁護士像だ。


「でも男女で遊園地でしょう?デート以外に何があるの?」
「お出かけ、とか」
「それがデートって言うの」


妃先生は綺麗な足を組み直し、コーヒーを飲んだ。その様子でさえ絵になる。こんな綺麗な人から生まれた蘭ちゃんは、妃先生のような美人になるんだろうなぁ、と一人で納得する。


「それ、危ない人とかじゃない?大丈夫?」
「大丈夫、だと思います」
「…はぁ。貴女の事は蘭より心配になるわ」


確かに蘭ちゃんはしっかりしているけれど、小学生より心配される私ってどうなの?思わず苦笑いが溢れる。それを洗い流すように栗山さんが淹れてくれた好茶を飲む。相変わらず美味しい。


「私、将来は栗山さんみたいに好茶を美味しく淹れれる秘書が欲しいです」
「ええっと…それって褒められてるんだよね?」
「べた褒めですよ!美味しい好茶は活力になります!ね、妃先生!」
「そ、そうね」


栗山さんは先生の横で困った顔をしているけれど、妃先生も納得している。矢張り有能な弁護士には有能な秘書が必要だ。うんうんと一人頷いていると「名前ちゃんはどんな弁護士になりたいの?」と栗山さんに聞かれた。ティーカップを静かにテーブルに置く。


「父みたいに冤罪を掛けられて人生を狂わされた人を助けたいです」
「…冤罪事件で勝つのは難しいわよ」
「でも、妃先生は最後まで父を信じてくださいました。そのお陰で、父はまた自分の人生を取り戻しました」


思い出すのは四年前の出来事。父の人生が狂ったあの日。人生のドン底にいた私達家族を助けてくれたのが妃先生だった。そんな先生を見て、私も弁護士を目指す事にした。父のように人生を奪われた人を、一人でも多く救いたいと思った。


「あとは先生みたいに高級街のビルに事務所を構えて、こーんな広い窓から東京都内を見下ろす事ですかね!」
「じゃあ、私を蹴落とす位の腕を持たなくちゃね」
「今に見ててください。すぐに先生に追いつきますよ」


そう言って悪戯っぽく笑って見せれば、先生はそれを返すかのようにニヒルな笑みを見せた。私の憧れであり、理想。妃先生のような「法曹界の女王」になることでは無く、それを追い越す事が理想であり、目標なのだ。


2018/05/22

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