ロそれは容易いことで


からりと晴れた青空に侑樹は目を細めた。

火薬は水や湿り気に弱く、梅雨の季節は花火職人や火薬を取り扱う人々にとって天敵のような存在なのである。勿論、梅雨に限らず雨が続けば上記の人々は顔を顰めるに違いはないのだが。
侑樹は雨自体は嫌いでは無いのだが、火薬に湿り気が触れてしまえば火薬はダメになって使えなくなってしまう故に雨は厄介な存在だと思っている。
屋根に当たる雨音や蛙の合唱等は聞いていて落ち着くし、水は気持ち良いから大好きだ。

併し、連日の雨は倉庫内の火薬を数個ダメにしてしまい、侑樹と火薬委員会を始めとした生徒教員は殆困り顔をしていた。
予定していた火器の練習や火器を得意とした上級生の忍務への支障等、火薬を使えないだけでも幾つか支障が出てしまう。花火なんてもっての他で、花火を使う授業は晴れるまで中止としたのだ。
そして漸く晴れた本日。
侑樹は青々しい空に口元を緩ませた。

「うん、今日は出来るかな。」

生憎本日は休日なので授業は無いが、補習の入っている生徒には火薬と火器についてじっくりと教えられる。
生徒の喜ぶ姿を想像すれば自ずと緩まむ表情筋を引き締めをきゅっと結び直す。
パンッ、と頬を叩けば顔を洗うべく井戸へと歩を進める。不図感じた気配に視線をずらせば、其処には青い制服に身を包んだ緑色の髪の少年が、緊張した面持ちで此方をじっと見ていた。
あの色は確か二年生であっただろうか。自分が在籍していた頃は先輩の青に憧れたなぁ、と小さく溢した。

「おはよう。」
「お、おはようございます!」

にい、と笑えば少年は更に緊張した様子で返答する。
久しぶりに見る初々しい反応にやんわりと口元が緩む。学園に在籍していた時は自分の事で手一杯だったため、この様に余裕を持つ事は出来なかったが、学園を去って5年。精神的にも大分成長し、漸く汚さも美しさも少しだけ理解出来るようになった。

「今日は補習に行く予定なんだが、お前は補習組か?」
「い、いえ!併し、是非参加させて頂きたいと思い…、」
「そうかそうか。喜べ、今日は花火を使うぞ。」

にい、と褐色肌の口角を上げ笑顔を浮かべる。褐色肌と白い歯が上手く雰囲気を作り、ぱっと見だけなら爽やかなお兄さん、と言ったところか。
侑樹の笑顔に少年は漸く安心したように息を吐き小さく笑みを浮かべる。

「名前、教えてくれないか?」
「三郎次、池田三郎次といいます!」

少年…、三郎次は明るくはきはきとした口調で名前を紡ぐ。三郎次に先程迄の緊張した様子は見られない。
からりと晴れた太陽の光に三郎次の綺麗な緑が反射してきらきらと光り、侑樹は目を細めた。
先程見た青空とはまた違う綺麗な色に暫し見いっていれば、三郎次が不思議そうな表情をしながら侑樹へ視線を向ける。

「どうかしましたか?」
「、いや、綺麗な髪だなぁって。」
「な!?」

カァ、と顔を赤く染め上げる三郎次に侑樹はくすりと笑みを溢した。
こんなことで一々動揺する辺り未だ未だ未熟な証拠。そんな年相応な態度が、侑樹は甚く気に入ったのであった。
三郎次の目線の高さまで腰を折り、緑色のさらりとした髪をくしゃりと撫でる。
吃驚したように目を瞬かせる三郎次あったが、次第に表情は柔らかくなり、照れながらも侑樹の手を払う事は無かった。

「よし池田。顔を洗ったら一緒に火薬倉庫へ行こう。」
「火薬倉庫ですか?」
「ああ。許可はちゃんと取ってあるさ。」
「補習で使うんですね?」

三郎次の言葉に侑樹はこくりと頷き井戸へと向かう。
あまり待たせてはいけない、と普段よりも手早く顔を洗い三郎次の元へ歩を進める。
侑樹の顔や髪には僅かに水滴が着いており、歩く度に水滴が小さく揺れ、毛先の水滴は地面に向かって落ちて行き、大体は侑樹の服の染みとなり消えて行く。
黒い装束にぽつりぽつりと小さな斑点が出来る。

「さ、行こうか。」
「…拭かなくても、宜しいのですか?」
「火薬倉庫に行くまでには乾くさ。何、今日は天気が良い。池田が心配するようなことは起こらんよ。」

侑樹の言葉を聞き三郎次はほっと息を吐く。
冒頭でも述べたが、火薬は湿り気に弱い。今現在湿り気を帯びる侑樹が火薬倉庫に足を踏み入れ火薬に水滴がかかってしまったら、と考えると冷や汗がすぅっと背筋を伝ったのだ。
流石に火薬を保管する場所にこのまま行く筈がないと頭では理解しながらも、言葉は喉から通ってしまったのである。

「池田は火薬委員会だったよな?」
「はい。」
「よし、なら火薬の準備を手伝ってもらおう。」
「いいんですか!?」

侑樹の言葉を聞き、あからさまに表情を明るくさせた三郎次の声は先程よりも幾分弾んでおり、興奮しているのが伺える。
三郎次がここまで興奮する理由。
其れは侑樹が今まで一度も見せなかった花火の材料が判るかもしれないからだ。

三郎次は特別火薬類が好きかと言われればそうでもない。もし火薬が好きであれば、三郎次は火薬委員会に属することは出来ないし、授業の一環として必要な知識を養う程度にしか火薬に興味という興味は無かった。
しかし、花火の火薬となれば別だ。
三郎次の故郷では夏になると毎年大きく鮮やかな花火が夏の夜空を彩る。
幼き頃より見ていたあの美しい大輪の向日葵のような花火は今でも目蓋に焼き付き、思い出すだけでも胸が暖かくなる。
父の肩車に乗り手を伸ばし、母の手を引き眺め、友達と騒ぎ、暖かく心地良い時を過ごしたあの夏の日は、一生忘れないだろう。

「まぁ、花火っつっても忍術用の花火だから花器が得意な六年辺りは知ってんじゃねぇかな?」
「忍たまの友には載っていないのですか?」
「ああ。好きなら調べればいいみたいな感じだったからな。」

どきどきと心臓が早鐘を打つ。
三郎次はにやける口元を必死に押さえようと手を添えるが、どうもにやけるのは押さえられず、実に微笑ましい様子に侑樹は三郎次の頭をがしがしと撫でた。

「花火、好きなのか?」
「はい!故郷では毎年見ていましたし、近くである時は必ず見に行っています!」
「そっか。」

三郎次の言葉は、花火を好きだと言う者に悪い奴は居ないし、花火好きは皆仲間だ、と豪語する侑樹にとっては非常に嬉しい言葉だ。

「今年は学園ででっかいヤツ上げるから楽しみにしてろよ。」
「っはい!」

にい、と笑った侑樹と嬉しそうな三郎次を見下ろす空は、何処までも澄み渡っていた。


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胸に焼き付くのだから