ロ相も変わらず


 茹だる様な暑さに重い溜め息を吐く。
 未だ6月だと謂うのに何て暑さなのだろうか、侑樹は木陰に腰を下ろしながら再度溜め息を吐き呟いた。
 連日続いた雨の影響で道端には幾つもの水溜まりが有り、夏の涼やかな暑さとは違いじめじめとした暑さに侑樹は顔を歪めた。

「此れならば雨の方がマシだよ。」

 持参した竹筒に口を付け喉を潤すと、ぷはぁ、と声を上げた。
 其れから少し休憩すると荷物を持ち重たい腰を上げ少しぬかるんだ地面を踏みしめ歩を進める。
 本来ならば今頃団子屋の娘のデートでもしているのだろうが、先日届いた恩師からの手紙にデートは中止になり、人里離れた山奥に有る母校に出向いているのである。
 体力には自信はある方だが、じめじめとした気温に湿って重たい土、重たい荷物やあまり気が進まないと謂った理由から早くも侑樹の足取りは重くなっていた。
 友人の一人や二人連れてきていたらまた違ったのであろうかと考えるも後の祭り。
 いち早く母校に到着し久方ぶりにおばちゃんのご飯でも食べよう、と呟き速度を速めた。





 空が茜色に変わった頃、侑樹は漸く母校である忍術学園に到着した。ぬかるんでいた地面はすっかり乾き生い茂る青々とした草や女人が好きそうな可愛らしい花はすっかり茜色に染まっている。
 久方ぶりに見る校門は自身が去った時と何等変わりはなく、懐かしさに口元を緩める。
 額に浮かんだ汗を拭い僅かに切れた息を整え校門の戸口を数回叩くと、中から男と判定は出来るが、高く可愛らしい声が聞こえた。見知らぬ声に首を傾げる。
 自身が居た頃はあんな若い声ではなく、もっと嗄れた男の声であった筈なのだが事務員が変わったのだろうか。

「学園長から呼ばれた磯谷でーす。」
「ちょっと待ってくださいねー。」

 数秒後、事務員用の制服に身を包んだ青年が戸口から顔を出した。

「こんにちはー。」
「こんにちは、何かご用ですか?。」
「学園長に少し。」
「それじゃあ、入門表にサインをお願いしまぁす。」

 笑顔を浮かべた侑樹に青年はにっこりと笑顔を返し、入門表を差し出した。
 侑樹は入門表にさらさらと筆を走らせ白い紙に自らの名前を記入する。
 この紙に名前を書くのも何年振りだろうか、と侑樹は人知れず目を細めた。

「新しい事務員さんですか?」

 青年に筆を返す序でに問い掛ければ青年は人当たりの良い笑顔を浮かべ肯定し、口を開いた。

「はい、事務員の小松田秀作です。」
「そうなんですか。事務員は大変でしょう?」
「そりゃもう。」

 ため息を吐く小松田に侑樹はけらけらと笑い肩を叩く。
 小松田は吃驚した様に顔を上げ、未だに笑いを治めぬ侑樹に口を尖らせぶつぶつと言葉を紡いだ。

「何が可笑しいんですかぁ?」
「いやぁ、学園長の思い付きに振り回される事務員さんを始めとした生徒や先生方を想像したら、つい。」

 侑樹の言葉を聞いた小松田は手を叩く。

「成る程、そういう訳ですね。」
「はい。気分を悪くさせてしまったなら、申し訳ない。」
「いえいえ、気にしないでください。」

 軽く駄弁ったところで、侑樹は本来の目的を思い出し小松田と別れた。
 もう何年も来ていない母校は相変わらず騒がしく、何処か暖かい雰囲気であった。
 侑樹を呼び出した学園長が居らっしゃるであろう場所に行く間、侑樹は学園の景色を楽しんだ。今は夕食時であろうか、食欲を唆る香りが鼻腔を擽り、侑樹は無意識に腹を擦った。
 漸く辿り着いた学園長の庵には二つの気配が有り、一つは学園長のものと判別出来たが、あと一つの気配はヘムヘムでも恩師でもなく、見知らぬ気配であった。
 新しい教師か、生徒か、はたまた来賓者か。
 侑樹は僅かに警戒しながら襖の向こうに居る学園長に声を掛けた。

「学園長先生、花火師の磯谷侑樹です。」

 学園長の気配が動いたのを確認すれば襖はスパン、と小さな音を発てて開く。

「よく来た!待っておったぞ。」
 笑った学園長の姿に侑樹は笑みを返す。
 学園長に通され入った室内には教員用の制服を見に纏う見知らぬ男が一人、じっと静かに座っており、侑樹と視線が合うや否やにっこりと人当たりの良い笑顔を浮かべた。会った覚えもなく、侑樹は首を傾げるが反射的に笑顔で返し出された座布団に腰を下ろす。

「疲れたじゃろう。」
「まぁ、其れなりに。」
「相変わらず素直な奴じゃの。彼処に座るのは教員の土井半助じゃ。」
「土井です、よろしく。」

 軽く頭を下げる土井に合わせ侑樹も頭を下げる。

「まぁまぁ二人とも、固くならずに。」

 学園長の言葉に二人は目を見合せ笑う。適度に緊張感が解れた辺り、学園長は狙っていたのかもしれない。
 学園長は楽しそうに口元を歪めながら二人を見る。
片や忍術学園の教師、片や有名花火師。
 学園に在籍していた侑樹は途中退学をした故か、土井が教員として来た時期とは上手い具合擦れ違ったのである。
 もし侑樹が途中で退学せず学園を卒業していて、土井がもう少し早く教師を志していれば、二人は顔見知り程度にはなっていたかもしれないが、もしもの話をしていても仕様が無いのでこの話は終わることにしよう。
 扠、話を戻すが、学園長が侑樹を呼び出した理由は、土井と侑樹を会わせるためと言っても過言ではない。
 土井は火薬委員会顧問、侑樹は有名花火師。分野こそ違うが、火薬を扱うのに変わりは無い。
学園長は花火の構図を利用した新しい火器を生み出せないか、又は火薬の幅が広まらないかと考えていたのだ。

「で、俺は何をすればいいんですか?」
「…そうじゃのお…。」

 侑樹の言葉に学園長は顎に手を添え考える。
 土井と侑樹は学園長をじっと見つめ答えを待っている楊子で、姿勢よく正座した身を僅かに前のめりにさせていた。

「侑樹、お主明日から数日、此処で火薬について教えてくれんか?」
「火薬についてですか?」
「ああ。」

 其処に土井が横槍をいれる。

「生徒に火薬類への向上心を持たせるためには火器だけでなく、花火もいいと思ったんだ。」
「…花火、ですか。」

 二人の言葉に侑樹は暫し表情を固くした。
 花火と謂うのは代々製法を受け継ぎ、他人には教えてはならないと謂うのが主流で有り掟のようなもの。
 花火関係の家に生まれたのならば、物心つく前から火薬類に触れ、父の姿を目に焼き付けているため、其処らの火器を得意とする忍者よりも知識も経験も豊富である故に城お抱えの花火師と謂うのも稀にではあるが無いこともない。
 侑樹の家系は割りと有名な花火師で、向日葵の様な花火を作ると評判なのである。

「…学園長、俺は花火師と云う職業に誇りを持っています。花火と云うのは、云わば伝統。幾ら学園長からの申し立てとはいえ、花火に関して生徒に教えることは出来ません。」

 きっぱりと断る侑樹に学園長は声を上げて笑う。
 そんな様子に侑樹は目を瞬かせ土井へ視線を遣ると、土井は侑樹に柔らかく微笑んだ。

「流石侑樹じゃ!花火について話せとは言わん。火薬や火器についてお前なりに楽しく話してやればよい。」
「…え?」
「拒否権などない!」

 侑樹は口を開け只々呆れたように学園長を見つめる。
こうなったら学園長は聞かないからな、侑樹は苦笑いを浮かべ頭を下げた。

「…判りました。」

この日から、磯谷侑樹の人生は大きく変わり始めたのであった。





相も変わらず

人の言う事は聞かないし、大人気ないお人。