「ちょっと、待って」

そう言い置いたイルミ様の声に続いて、衣擦れの音が響く。

また、この坊ちゃんはっ! 私の目の前で着替えを始めているのかっ?

天井に向けた視線を落とさないよう、私は必死で堪えた。あれ以上のものを見せられたら、理性なんてぶち切れそうだ。それは拙い。イルミ様に嫌われたくない。シルバ様から受けた恩を仇で返したくない。

「リア、着替えたよ」

イルミ様の声に視線を落とせば、そこには妖艶な色香を漂わせた一人前の男が立っていた
白いシャツは滴る水で所々透けて肌に張り付き身体のラインを顕わにしている。


何だか、裸より色っぽいっ! 見えない部分が色々と妄想を膨らませる。これは何か? 試練か。

試練なのか?

イルミ様は室内に据え置かれていた竹細工の揺り椅子に腰を預けて、足を組んだ。


肘掛けに腕を預け、頬杖をついた姿勢でイルミ様は小首を傾げた。

「それで?リア」

「はい、ええっと……今日の試合ですが」

「ああ、どうだった?」

「お見事でした」

「それ本気で言ってる?試合にもならなかったでしょ、弱すぎて」

「それでも的を外す者もいます。どのような場においても冷静に状況を見極めたからこその勝利でしょう」



幾ら私が手ほどきをしたからと言って、誰彼と強くなれるわけではない。毎日の稽古と才能、そしてどんなときにも揺るがない冷静沈着な理性があってこそと、私はイルミ様の才能を褒め称えた。

「リアは俺を褒め殺すつもりなの?」

抑揚はないが楽しそうに笑い声を響かせて、そう言うイルミ様の表情は普段見せない無邪気な笑みを浮かべていた。


日常で見せる人形のような無気性は欠片にも感じさせない。闇人形という異名は、私の中ではあまりなじまない。

イルミ様は私には無防備に子供のように甘えてくれる。それこそがイルミ様が私に預けてくれている信頼の証だろう。

だからこそ、邪な妄想などして、信頼を裏切ってはならない。



「そのようなことはありません。ところでイルミ様……」

はて、どうやって話を嫁探しへと持って行こうかと考えて、私は肝心なイルミ様の好みについて何も知らないことに気づいた。

嫁を探せと言ったところで、イルミ様とて困るだろう。

シルバ様としてもイルミ様に結婚を無理強いするつもりなどないのだ。イルミ様の意に沿う相手を探してきた方が手っ取り早い。

「イルミ様はどういった女性がお好みなのでしょうか」

「いきなり変なこと聞くね、何でリアがそんなことに興味持つの?」

じっとこちらを見つめる視線の強さに、私は手の内を明かす。無理です、イルミ様には逆らえません。

「……いえ、その。……何と言いますか。見合いの申し込みを受けるより、イルミ様の嫁に相応しい娘を探した方が、早いかと思いまして」

「うーん、そうだな。でも、母さんが提示したあの条件はまんざら的外れでもないよ。俺は自分より…、まぁ同じぐらい強い女にしか興味ない」

「……それは」

困る。今のところ、イルミ様より強い女なんて私しかいない。勿論、身分を問わなければ、世界中にはもしかしたらイルミ様より強い娘がいるかもしれないが、イルミ様の結婚に身分など関係ないとするなら、私が一番にイルミ様に勝負を挑むところだ。


「他には…そうだな。律義で真面目な女がいいな。融通が利かないような」

「融通が利かないですか……?」

「自分のことより、主を重んじる、忠義に篤い女が良いな。身を弁えて、裏方に徹しそうな女が好きだ」

ああ、それは確かに。イルミ様は将来立派な殺し屋となる身。妻となる女はイルミ様を支え、時には癒やしイルミ様を大事にしてくれる者でないと、私としても譲りたくない。

イルミ様の言葉に私は大きく頷いた。

「あとは、移り気な女は嫌だな。簡単に心を他人に移すような女は嫌だ」

グッと拳を握り、「そのような女は、ゾルディック家の嫁に相応しくありません!」と叫ぶ。

「なかなかなびかないというか、誘惑に屈しない女が好みと言えば好みかも」

当然だ! イルミ様以外の男の誘惑に負けるような女は私が許さんっ!

「イルミ様に嫁いでそれで他の男にうつつを抜かすような女は私が成敗してやりますっ!」

「……なびかないというより、鈍感なのかもしれないけど」

イルミ様はこちらの熱気に押されるように、小さく呟くのを私は聞き逃さない。

「女は敏いより、殿方に飼われるくらいでちょうど良いです、その方が幸せです」

下手に夫婦の主導権を女にとられては、イルミ様が不幸だ。

「そういうもの?」

「そういうものです」

うんうんと頷く。これは決して、イルミ様に強気に出られない自分を肯定するものではないから、間違えないように!


まどろっこしい愛しい気持ち

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