長い夜を温める




「あれ…いつものじゃないんだ」
 手渡されたいつもの赤いマグカップの中、湯気を揺らめかせるコーヒーを見て陸が言った。
「…普段なら、こんな遅い時間にカフェイン入りの飲み物は反対ですけど」
 自分も紺色のマグカップを持った一織が、気遣わしげな視線を陸に向ける。
「今夜は、眠れそうになさそうですから…」
「あはは…」

 苦笑いと一緒に、空咳がひとつ陸から零れる。
 今夜の陸はことさら辛いようだった。ここ最近季節が進んで、気温や気圧の変化が激しかったからだろうか。
 部屋の隅の大きなビーズクッションに身をもたせかけて、不安定な浅い呼吸を繰り返している。

「コーヒーは、収縮した気管支を広げる効果があるそうなんです。…少しでも楽になれば、いいのですが」
 陸の隣へ寄り添うように腰を下ろした一織が、陸自身よりも辛そうに目を伏せた。
「そう、なんだ。…知らなかったなあ」
「さ、飲んでください。冷める前に」
「うん」

 ほんの少し、陸はコーヒーを見つめた。
 苦いコーヒーは飲めないわけではないけれど、普段好んで飲むわけでもない。
 でも、せっかく一織が作ってくれたのだ――その優しさが嬉しいから。
 むせないように意識して呼吸のスピードを整え、陸はそっとマグカップに口をつける。

(……あ)

 口の中に広がったのはコーヒーの苦さだけではなかった。苦味の奥に、馴染んだ甘みがほんのり顔を覗かせる。
「もしかして、はちみつ入れた?」
 果たして一織は頷いた。
「ええ。喉にもいいですし…それに、七瀬さんは蜂蜜自体好きでしょう」
「……うん」

 はちみつは好きだ。ホットミルクに入れるのも、パンケーキにかけるのも。
 コーヒーに入れるのもありなんだなあと、陸は新しい発見に目を輝かせる。

「すごく美味しいよ。ちょっと大人の味だね」
「普段慣れてなければそんなものでしょうね」
「一織はこれ、砂糖も入れずに飲んでるんだもんな」
「目覚めにはそれがいいんですよ」
「あはっ、寝起きの一織はふにゃふにゃしてるもんなっ」
「やかましいです」

 ほんのり顔を赤くした一織が睨んでくるのを陸が面白がって笑う。すると一段と視線が冷たくなったので、陸は逃げるようにまたコーヒーを飲んだ。
 いつもと違うほろ苦い味が、陸の甘いものに慣れた舌の上を撫でてゆく。けれど苦味のその奥には。

「でも、いつもとおんなじ、一織の味だ」

 は、と一織の目が開いた。それに構わず、陸は一織の肩に身を寄せる。
「な、七瀬さん? …大丈夫ですか」
「うん、平気だよ。…ただ、あったかいな、って思ったから」

 苦くて、でも温かくて。苦いだけじゃなく、甘さを差し入れてくれる優しさもあって。
 まるでこの飲み物は、作った一織その人を映したようだ。
 そう思って、陸の頬に自然と微笑みが浮かぶ。

「ありがとな、一織」
 一織の肩に頭を預けたまま陸がつぶやくと、別に、とつぶやいた一織がマグカップに口をつけた。
 そのあからさまな照れ隠しがおかしくて、陸はひっそりと笑ってしまう。

 今夜はきっとまだ長いけれど、吐き出した息が温かったから、もう大丈夫。
 黙って傍にいる一織の優しさを感じながら、陸はそっと目を閉じたのだった。





end.


+ + + + +

寄り添って小さな世界に閉じこもるのが癒しだなって。
一織はコーヒー甘くして飲むって設定を見かけた気がするのでこのお話のいおりくは別の世界線なのだと思います…。

初出→’17/11/11
Up Date→'18/4/28

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