【同人誌サンプル】ツインルームの軌跡


<サンプル1>
 Chapter 1. はじめての二人部屋
 
「うわぁぁ、これがホテルの部屋かー!」
 ツインルームの扉を開けるなり、陸は声を上げてはしゃいだ。扉がついた短い通路の奥にはベッドが二つ。反対側の壁にはテレビが設置されていて、寝転びながらでも見られるようになっている。テレビの横には机と椅子があって、すぐ前の壁にはきれいに磨かれた鏡が設置されていた。身支度を整えるのに便利そうだ。
 そんな部屋の設備ひとつひとつに、陸はわくわくしてしまう。直前までライブの余韻で疲れ切っていたはずなのに、物珍しさでテンションがすっかり上がっていた。
 短い通路の扉を開けて、陸はまた声を上げた。
「わぁ、ほんとにユニットバスってトイレとお風呂が同じ部屋なんだな! オレ初めて見た!」
 目を輝かせて陸が振り向くと、後から入ってきた一織があからさまに呆れていた。
「子供ですか……そんな珍しいものじゃないでしょう」
「珍しいよ! だってオレ、ビジネスホテルって初めてなんだもん!」
「っ……そうですか」
「……何、今の間」
「別になんでもありません。それより七瀬さん、はしゃいでないでまず手を洗ってうがいしてくださいよ。この長丁場のツアーで風邪でも引かれたらリカバリーが大変ですからね。体調管理はしっかりしないと」
「もー、分かってるよ! 一織情緒ない!」
 電光石火で飛んできた小言に、陸はすっかり閉口してしまった。
部屋決めをしていた時には相手は誰でもいい、と言いはしたけれど、一織はやっぱりイヤだったかもしれない、そう思ってしまった。人がせっかくテンション上がっているところに、すぐこんな風にして水をかけてくるのだから。
 とはいえ一織の言う通り、体調管理はツアー中陸が一番気を付けなければいけないことではある。そこで陸は、おとなしくバスルームに設置された小さな洗面台で手を洗おうとした――が。
「ぎゃっ!?」
「七瀬さんっ!?」
 陸の悲鳴を聞きつけて一織がバスルームに飛び込んだ時には、陸はシャワーでびしょ濡れになっていた。
「なんで頭から水被ってるんですか……」
「オレが聞きたいよ! 洗面台の蛇口から水出そうとしただけなのに」
 陸が蛇口の方を指さした。それに従って一織が洗面台を覗き込むと、秒でため息をついてこう言った。
「この蛇口のレバー、ユニットバスのシャワーと共用ですよ。レバーに書いてあるでしょう」
「……あ」
 確かによく見れば、陸が最初に捻ったレバーは別のレバーと連動していて、シャワーと蛇口の切り替えはそちらでしなければいけないという構造だった。蛇口自体も動かせるので、向きを変えれば、水を洗面台にではなく湯船に出すこともできる、という代物である。
「まったく、そういうところですよ。よく見れば分かるでしょう」
「っ……こ、こんなちっちゃい表示じゃ分かんないって……!」
 陸は口を尖らせた。こんなの分かるはずがない、なんたってビジネスホテルに入るのは初めてなのだから、こんな独特な構造をしたものを最初から使いこなせる方が珍しいだろう。
 とは思うものの、ちょっと注意すればわかることなのも間違いない。だから余計に一織のジト目が癇に障って仕方ない陸なのであった。
 一織はまた軽くため息をつくと、バスルームの壁際に積んであったバスタオルを掴んで陸に押し付けた。
「ちょっ、一織……」
「いいから、もう七瀬さんはそのままお風呂済ませてください。初めての地方ライブで、体は七瀬さんが思っているより疲れているはずですから、ちゃんと温めてくださいね」
「え……」
 思いがけない、気遣った言葉に陸はちょっとびっくりした。いや、言葉というよりも声の調子に。なんというか、皮肉でもなんでもなくいたわってくれているみたいだ。
「……いや、でもそんなの一織だって同じだろ? 一織の方が年下なんだから、先に入れば……」
「どういう理屈ですか」
 途端、一織の瞳がすっと細くなる。
「だいたい、濡れた状態でそのままいたら風邪一直線でしょうが! その方が迷惑なのでとっとと入ってください」
「わ、分かったよ!」
 ――やっぱりいつも通りの一織だった、可愛くない!
 陸は足音高く部屋の方へ引き返すと、着替えを取り出してからバスルームにこもったのであった。また一織が何か息をついたような音は、敢えて聞かなかったことにして。

          ◆

「ふー、さっぱりしたぁ……」
 ほかほかといい気分で陸はバスルームを出た。確かに体は思ったより疲れていたようだ。温かいシャワーに当たったことで緊張が解けたのか、重力が増したように体が重くなっている。けれど、初ツアーの初ライブを経た今はそんな疲労すら心地よく、すぐにでもベッドに倒れてぐっすり眠りたくなる。
 だが、そんな欲求に忠実な陸の思考は、またもや一織の小言によって遮られた。
「ちょっと七瀬さん、髪がまだ濡れてるじゃないですか!」
「ええー」
 ちょっとは乾かしたよ、と陸は頬を膨らませた。びしょ濡れのままで寝てしまったら風邪を引くことくらい陸だって分かっている、だから多少はなんとかしたつもりだった。このままでも全然いいんだけど、と嘯いたが一織は聞き入れない。
「明日寝癖ついたと騒ぐのが目に見えてますよ。もう一回、ちゃんと乾くまでドライヤーしてきてください」
「やだよー、別に明日は明日でちゃんと起きるからいいもん。それに眠いしさー」
 言った先から陸の口からふわ、と欠伸が出る。今の自分が環なみにワガママを言っている自覚はほんのりあったが、勘弁してほしい。実際めちゃくちゃ眠いし、実際このまま寝たって平気なのだから。
 眠さにうなだれながら駄々をこねる陸を前に、一織は何度目かのため息をついた。そして。
「……分かりました。まったく、世話の焼ける人だ」
「へ?」
「私が乾かします。ベッドに座っておとなしくしててください」
「……ええっ?」
 陸は急に目が覚めた。話の展開に驚いて顔を上げた時には、一織が手にドライヤーを持って目の前に立っていた。
「い、一織!? そこまではいいよ!」
「遠慮は受け取りませんよ。これで風邪でも引かれたら困りますからね」
「で、でも一織だってお風呂」
「私は後で入りますからいいです。どうしてもというなら乾かされながら明日のセットリストでも復習してください」


 + + +


<サンプル2>
 Chapter 3. シングル・イズ・ザ…?

 とはいえ、はじめてのシングルルームへの感動はすぐに過ぎてしまった。部屋が狭すぎて、見るものがほとんどないのだ。
「はあ……何しよう」
 陸は荷物を置いて、履物を靴から備え付けのスリッパに履き替えた。手を洗って、うがいをして、それからベッドに倒れ込む。
 今日はまだ移動と、音楽雑誌からの簡単な取材だけで大したことはしていない。だから体力はまだ余っている感じがする。持て余したように、陸はベッドの上で寝返りを打った。衣擦れの音が微かにして、しかしすぐに止む。
 ひとりきりの部屋は狭くて、人の気配を感じないほど静かだった。――おかしいな、寮の部屋にいる時とあまり変わらないはずなのに。
 知らない部屋にひとりきり、ということが、こんなにも物寂しいものだと陸は知らなかった。
 ひとりなのだから、もう好きなようにのんびり過ごしていいはずだ。それなのに、何からしたらいいのかがよく分からない。
(いつもはどうしてたんだっけ……?)
 ホテルの部屋に入ったらすぐに羽を伸ばしたがった陸を諌めようとして、一織の小言でにぎやかだったいつもを思い出す。口でやかましく陸を叱りながら、一織はいろんなものを触って、部屋を居心地よくしようとしていた。
(……そうだ、空気清浄機つけなきゃ)
 部屋の隅に置かれた空気清浄機の電源をつけて、加湿モードもオンにする。自分の加湿器は持っていないから、代わりに備え付けのタオルを水に濡らし、絞ってハンガーにかける。それから翌日用の着替えを出しておき、チェックインの時に貰った朝食の食券をすぐ分かる位置に置いておく。
 そこまでしてから、陸はため息をつくように呟いた。
「これでやることはやったと思うけど……」
 そんな独り言に、応える者はいなかった。
 もしここに一織がいたら、まだなんとかが残ってるでしょう、なんて注意をしてくれただろう。けれど今はいないのだから、どこかしら抜けている陸の行動がフォローされるはずもない。
(なんか、やり残してる気がするんだけど……まあ、いいか)
 そう結論付けて、陸はバスルームへ入ってシャワーを浴びた。すると、ようやく「一人」がしっくり馴染んだ気がした。
 けれど、着替えてバスルームを出ると、なんとなくまたそわそわとしてしまう。静かすぎるせいだろうか、そう思ってテレビをつけてみる。いくつかチャンネルを回してみるが、運の悪いことに面白そうな番組はやっていなかった。TRIGGERが出ている音楽番組も、大和が出ているドラマも。
(つまんないの……)
 時刻はまだ九時半。いくら朝が早いとはいっても、寝るには幾分早すぎた。――どうしよう、すごく暇で仕方ない。
(あーあ、一織からラビチャとか来たらいいのにな)
 そうしたら、この退屈さもどうにかなるのに……と思って、陸ははたと気づいた。
(あれ、オレからラビチャしたらいいんじゃない?)
 どうして今まで思いつかなかったのだろう。陸は急にわくわくしてきた。そうだ、一織に話しかけてみよう、とスマートフォンを取る。でも、どんな内容で?
(暇だよー、でいいよな? さすがに一織寝てないだろうし。あ、でも一織のことだから、一人で何か勉強したりしてるかな。ああそうかも、環も小テスト近いって言って騒いでたもんな……それだったら、邪魔したら悪いよな)
 ラビットチャットのトーク画面を開いたまま、指が止まってしまった。もし何かの邪魔をして、一織が怒ったらどうしよう? そう思うと、とても送りづらい。一人で暇を持て余しているからといって一織に連絡を取るなんて、ただのわがままだ。
(本当は、一織ってひとりでいる方が好きみたいだもんな)
 だったら、今頃一織は一人の静けさを満喫していることだろう。それを邪魔するのは悪いような気がする――けれど。
(それはそれで、何かムカつく……!)
 なんだか自分の感情に収拾がつかなくなってきた。きっと疲れているのだ、こういう時はさっさと寝てしまうに限る。早く寝ればそれだけ早く朝が来る。そうしたら、またひとりじゃなくなるから。
 スマートフォンを枕元に投げ出して、陸がベッドの掛布団を被った、その時。
 ピコピコ、とスマートフォンが唐突に鳴った。
(え、ラビチャの通知?)
 もしかして、と期待に胸がドキンと震えた。被ったばかりの掛布団をがばっと剥ぐと、枕元で光っている画面を覗く。
『和泉 一織』
 差出人の表示を見て、一瞬息が止まる。――うそ、こんなことってある!?
 うまく動かせない指で、何度かミスしながら画面のロックを解除。すると、差出人らしいかっちりとした簡潔な文章が表れた。
『お休み中邪魔しますが、寝る前に確認です』
『スケジュール表がマネージャーからいっていると思いますが、ちゃんと読みましたか』
 それを見た途端、陸はぷっと噴き出してしまった。確かにそうだった、スケジュール表を見るのはすっかり忘れていた。――やっぱり一織はすごい、オレが抜けてるところをちゃんと分かってくれている!
 一織からきたメッセージはいつも通りの小言なのに、陸はなぜだかすごく嬉しかった。
『ありがとう! すっかり忘れてたよ!』
 すぐに返信すると、間もなく一織からパンチを繰り出す王様プリンのスタンプが返ってくる。
『やっぱり…』
『そんなことだろうと思いましたよ』
 ああ、きっと一織はすごく呆れた顔をしている。目の前にいるみたいに想像できて、それがまたおかしくて陸は笑ってしまう。


+ + + + +

サンプルは以上になります。お手に取っていただけたら嬉しいです!


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