カナリアの止まり木に 2/3



 途切れた演奏の音、遠いざわめきに気づいて、神峰は目を開けた。
 けれど、真っ暗で、何も見えない。

(…あー、部活、終わっちまったんだ…)

 他人事のように、胸の中で呟く。終わったと知っても、立ち上がる気になれなかった。
 もう、人に会いたくない。人の「心」に接する力が、どうしても出ない。
 ここは真っ暗だったが、それが心地よかった。
 みんなが帰ってから、ゆっくり帰ろう。そう思った時。

 焦ったような足音が、聞こえた。しかも、だんだん近づいてくる。
(やめてくれ、…誰にも会いたくないのに、なぁ)


「―――神峰っ!」


 勢いのまま、足音も荒く刻阪は教室の中に飛び込んだ。
 はたして、電気も点けずに真っ暗な教室の壁際に、神峰がうずくまっている。

「とき、さか…なんで」
「なんで、はこっちのセリフだよ。合奏来てなかったからどうしたのかって思って―――」
 言いながら、明かりを点けて神峰の顔を見た刻阪は、はっと口をつぐんだ。
「っ、」
 すぐに神峰は膝に顔を埋めてしまったが、刻阪にははっきり見えてしまっていた。


 彼の目元に、確かに、涙の跡がついていたのを。


「神峰、お前…」
「っ、来ないで、いい…オレは、大丈夫だから」
 神峰は制止しようとしたが、刻阪は無視してすぐ傍にしゃがみ込む。
「大丈夫な訳ないだろ、こんなとこに独りでいるのに」
 そして、小さく丸まった背中に、そっと手のひらを添えてみる。すると、神峰はびくっと身体を固くした。
「…どうしたんだ、神峰」
 いたわるように、ゆっくり優しく背中を撫でると、神峰がうずくまったまま震え出した。

「…やっぱ、オレには、無理なんだ…っ」
「っ…!」

 涙の滲んだ声に、刻阪の胸が痛む。それは、前にも聞いた言葉。
 あの時は、弱音の後に神峰はちゃんと立ち上がった。けれど、今は。

「ど、したらいいのか…わかんね…っ」
「…」
「なんとか、したいって思うのに…壁が、どうしても、固くて、」
「…うん」
「……疲れちまった、んだ…やっぱ、怖くて、辛くて…」


 それを聞いて、そうか、と刻阪は気付いた。

(そうだよな、やっぱり…キツくない訳が、ないんだ)

 向けられる拒絶や攻撃を、無防備なまま受け続けてしまう神峰が、たくさんの部員を抱える吹奏楽部の中で他人を変えようと頑張る事が、どれだけの力のいることか。
 傷付きながら、真っ直ぐに向かっていく神峰の勇気を、刻阪は当たり前の事のように受け止めかけていた。けれど。

 ―――だけど、それは相当力振り絞ってやってた事なんだな。

 その勇気が、当たり前の事などではないことに、気付いたのだった。


「ごめん、僕のせいだ。…神峰が、そんな辛い思いしてるのは」
 自分はなんと過酷な事を神峰に頼んだのだろう、と刻阪は後悔した。

 人を避けて生きて来た神峰を、ここに引き込んだのは―――無理に巻き込んだのは、僕だ。

 だから、責められても構わない。そう思った刻阪だったが。
「ち、違ェよ、刻阪には感謝してんだよ、オレ…!」
「は…?」
 顔を上げて返された意外な答えに、驚いた。
 涙を滲ませながら、けれどしっかり刻阪の目を見て、神峰は言葉を続ける。


「だって、ずっと潰れちまえばいい、って思ってた“目”にイミをくれたのは、お前だから…刻阪が指揮者になってくれ、なんて言ってくれたから、オレだって頑張る気になったんだ…」


「…そんな風に、思ってたのか」
 後悔を正面から否定された刻阪は、ぽつりと呟くように答える。
「そう、だよ…オレがもっかい人と関わろうって思えたのは、お前のおかげだ、でも…」
 ふ、と目を逸らして、神峰がぎこちなく笑みを浮かべた。


「ちょっと、もう…限界かも、しんね…」


 掠れた声で、小さく、零す。
 そんな神峰の姿は、今までで一番弱って、痛々しく見えて。

「―――っ、」

 抗いがたい衝動が、刻阪を突き動かした。




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