彼の幸せな受難 2/2




「お疲れ、神峰」
 楽器の片付けを終わらせた刻阪は、指揮台の椅子に座って待っていた神峰に声をかけた。
「おう、もー帰れるのか?」
「ああ。…今日は朝からごめんな」
「いいって!大変なのはお前だったんだし」
「ははっ、じゃあ帰ったらゆっくりしようか」
 二人は顔を見合わせて笑った。それじゃ帰ろう、と神峰も席を立ったその時。

「…おい、刻阪!」

「?」
 呼ばれて振り返ると、練習室の扉の前でオーボエの伊勢崎と九能が手招きしている。
「なんだ?」
「…見てみろ、アレ」
 九能が指した、申し訳程度に開かれた扉の隙間から刻阪と神峰が同時に外を覗いた。

「…うわぁ」

 隙間から見えた光景に、二度神峰が呻いた。
「出待ちかよって感じだよな」
 伊勢崎の笑いが引きつっている。しかし刻阪はもっと引きつっていた。
「…神峰、ごめん。これは逃げられない」
 刻阪は頭を抱えた。どうやらファンの皆さんは、練習の後まで待って声をかける作戦に切り替えたようだ。
「…お、おう…」
「たぶん、すごく時間かかると思う…先に帰っててもいいよ?」

 そう言った刻阪はもう覚悟を決めた、といった体だったが、神峰は首を振った。
「いや、オレは待ってる」
 きっぱり言い切る。戦場(?)に送り出される刻阪を置いて帰るなんて、そんな事は出来ない。したくない。
「…そっか」
 それを受けて、刻阪は微笑んだ。そんな刻阪の肩を、九能と伊勢崎が二人で同時に叩く。

「刻阪…がんばれ!」

 神峰も一緒に、三人で励ました。
 刻阪は無言で頷き、まさしく戦場に乗り込むが如く笑顔で手を振った。



「…何してんだろーな、オレ…」
 ひとりぼっちになった練習室の片隅で、神峰は膝を抱えてため息をついた。
 他の部員たちは全員帰った。九能と伊勢崎も、心配で顔を曇らせながらも帰って行った。でも、刻阪は帰ってこない。

(本当なら、側にいて刻阪を助けるべき、だよな)

 だって、刻阪はいつも隣にいてくれる。傍らにいて、口下手な自分を助けてくれる。こんな時くらい、お返しに助けてやりたい。
 でも、あんなにたくさんの興奮したハートたちを前に立ち向かうなんてことは、どうしても無理だった。きっとそれは、刻阪も分かってくれている。だから「先に帰っていい」なんて言ったのだ。

(今日はあいつの誕生日なのに、オレの方が刻阪に甘えてるんだ…情けねェ)

 はぁ、とため息がまた漏れる。
 本当は、ちょっと羨ましかったのだ、ファンの子達が。あんなにガッツに溢れて、刻阪に熱狂的な気持ちを訴えられる彼女たちが。
 肝心な時に側にいられない、情けないオレとは違うよなあ、と思うのだ。
 こんな自分より、かわいい女の子と付き合った方がいいんじゃねェかという思いが、ちらりと頭を過る。

(って言ったら、たぶん怒られるんだろうけど)
 僕はそんな事で神峰を嫌いになったりしない、バカな事言うな、とか言ってくれるんだろう──多分だけど。
 そう前向きに思えるのは絶対に、刻阪の普段から裏表がない態度のおかげだ。


 ぼんやり物思いに耽っているうち、夕陽がかなり傾いてきた。差し込んできたオレンジ色の光が、練習室に並ぶ椅子を鈍く照らす。
 誰もいないその風景が、神峰の寂しさを掻き立てた。

 刻阪はまだ、帰ってこない。
 ファンの子達といる方が嬉しいんじゃないか、なんて本気で思うほど、オレはバカじゃないと思いたいけれど、でも───

「ハッピバースデートゥーユー…」

 音の無い空間がやりきれなくて、半ば自棄気味な気分で神峰は歌い出す。

「ハッピバースデー、トゥーユー」

 ケーキを前に歌いたかったなぁ。
 プレゼントだって、ちゃんとオレ、用意したんだぞ?


「ハッピバースデーディア、ひーびきー…」


 ずっと、こうやって名前で歌ってやろうと思っていた。
「ハッピバースデー、トゥーユー」
 気づいたら、瞼の裏に刻阪の姿を思い浮かべて歌っていた。その刻阪に向かっているように、大切に最後のフレーズを紡ぎきった。その時。


「ありがとう、神峰」


 ガチャンと扉の開く音がして、神峰は飛び上がった。
「うおわぁあ刻阪!?」
「ただいま」
 にこりと笑う刻阪。顔にはちょっと疲れが出ていたが、キーガードの心象はキラッキラだ。
「え、お、終わったのか?」
「今しがたね。見て、こんなに貰っちゃったよ。さすがに多すぎるよな」
 両手に抱えたプレゼントらしい紙袋を、刻阪はいっぺんに床に置いた。
「それより神峰、今名前で歌ってくれた?すごく嬉しかった」
「う、…イヤ、それはその」

 神峰は慌てた。完全に油断していた、心の準備が全然出来ていない。
「…うー、聞かれんのもうちょっと後が良かったのに」
「あはは、何だよソレ」
「…つーか、その…大丈夫なのか?」
「何が?」
 心から何の事だか分からないよ、と刻阪が聞いてくるのに、神峰は所在無げに目をそらす。

「…だから、その…お前が大変なのに、傍にいられなかったから…」

 ずっと気にしていた事を言ってみた。でも、刻阪はなんだそんなことか、と首を振る。
「お前が最後まで待ってくれてたから、僕も頑張れたんだよ?そんなに気にすることないよ」
「や、でも刻阪だっていつもオレの傍に居てくれんじゃん? なんかお返しに出来なかったかなって思って…」
「…なるほど、そうか」
 刻阪は頷き、ちょっと首を傾げて考えた。そして。


「…じゃあさ、僕ちょっと昼寝したいかな。神峰の膝枕で」


「え?」
「さすがに疲れたからさ、ちょっと休んでから帰りたいなって」
「…で、オレの膝枕なの!?」
「ダメ?」
 刻阪は本気だ。キーガードの心象がきらりとニュートラルに光る。

「…べ、別にダメじゃねェ…」
 神峰は了承した。どのみち断れる訳がないし、断りたくない。
「それじゃ、お言葉に甘えて」
 あぐらをかいた神峰の足の上に、刻阪の艶やかな藍色の頭が乗っかった。いつもと違う体温の感じ方に、神峰は気持ちがドキドキし始める。

「寝心地悪くねェ?」
「ううん、最高。あったかくて」
「…そーかよ」
 ぶっきらぼうに返した神峰だったが、なんとなく膝の上の刻阪の髪に指が伸びる。

(わ、さらさらだ)

 見た目の艶やかさを裏切らない触り心地に、神峰は何度も髪を撫でる。
「…あ、それ気持ちいいな…しばらく続けてよ」
 うっとりとした響きの声で、刻阪が呟いた。なんだか今にも眠ってしまいそうな声だ。
 このまま本当に寝かしてあげようか。神峰はそう思った。

「…しばらくしたら起こすから、寝てていいぞ」
「……うん。ありがと」
 と言ったかと思うと、刻阪は本当に眠ってしまった。間もなく規則正しい寝息が聞こえる。


 ───マジで疲れてたんだなあ…

 実はそれなりに不器用な刻阪の、今日1日の苦労を神峰は慮る。ファンへの嫉妬に近い感情は、とっくに消え去っていた。
 今は、刻阪の方が自分に甘えてくれている。それが嬉しい。

「お疲れ。…誕生日おめでとう、響」

 膝の上の刻阪が、今日一番幸せそうに微笑んだ。






end.


+ + + + +

いつも神峰が刻阪に甘えてばっかだから、誕生日ぐらいは刻阪に甘えさせてあげよう!と思ったらこうなりました、刻阪ゴメンよ。
こんなんでも愛は込めたつもりです。刻阪大好きだ!

Happybirthday, dear 刻阪響!

Up Date→'14/4/12

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