The Wish 1/2
12月25日。黒子は一人、受験勉強から抜け出して電車に乗った。
駅前の装飾、電車の広告がはしゃぎ立てているのを見て、ぼんやりと今日はクリスマスだった事を思い出す。
(……そういえば……こういうのは、久しぶりですね)
電車の中、楽しそうにお喋りするカップルや若者を観察しつつ、黒子は思う。
──この時期に、あの場所にいないことが。
高校に入ってからは、クリスマスの時期はそんなイベントなど返上でバスケに夢中になっていた。
それぐらい、あの場所は黒子たちにとって至高の目指すべき場所であり、すべてを懸けて戦える熱き舞台であった。
それなのに、今年、自分は独りでここにいる。
たぶん、今夜はケーキでささやかにお祝いするのだ。家の冷蔵庫の奥に、白い箱が鎮座ましていた覚えがある。
それに、クリスマスプレゼントと言って、黒子の父親が前から黒子が欲しいと思っていた本をくれる、と言っていた。
高校3年生にして初めて迎える、「まとも」なクリスマス。しかし、だからといって、全然嬉しくなんかなかった。
だって、本当に欲しいものは、もう二度と手に入らないのだから。
電車を乗り継ぎ、黒子はとある駅に降り立った。わずかな人の流れに乗り、広い面積を持つ建物へと辿り着く。
──東京体育館。
黒子が、去年まで立っていた場所。
そして、今年も立っていたかった場所。
ここは、高校バスケットボール三大大会である、ウィンターカップの開催場所だ。
観覧席へ繋がる扉を押し開けると、そこは熱気で満ち満ちていた。
ちょうど、今日の二試合目が終わりかけるところだ。見下ろしたコートの上で、選手たちが息を切らせながら懸命に走っている。
その時、試合終了を告げるブザーが鳴った。
戦いを終え、コートを去る選手たちと入れ替わりに、扉を開けて見覚えのあるジャージの一団が入ってくる。
その中に、一際目立つ赤い髪の頭を見つけて、黒子は胸を詰まらせた。
(火神君…)
彼にとって、唯一無二の光。
だが、黒子がその隣に立つことは、もう叶わない。
+
「…えっ…」
「残念ながら、バスケはもうすべきではないでしょう……このままでは、走る事も出来なくなる」
黒子にそんな宣告が下ったのは、今年の春先のこと。
桜の蕾が綻びかけ、いよいよ最後の年が始まる、その矢先のことだった。
サイクロンパス、加速するパス、消えるドライブ。
そのほか、キセキの世代を始めとする強者と渡り合う為に──そして、火神と共に戦う為に磨いた技の数々が、皮肉なことに、元々スペックの低い黒子の体を蝕む結果になってしまっていたのだ。
それを聞いた時、黒子はああ、ついにこの時が来たのだと思った。
「そんな…!」
抗議の声を上げたのは、当の本人である黒子より、後ろに控えていた火神の方だった。
「だって、コイツはこれからも…!」
「火神君、いいですよ。お医者さんが言う事なら仕方ないです」
「黒子!!」
声を荒げる火神を、黒子はそっと微笑む事で遮った。
「それで…ボクは、いつまでならバスケが出来ますか」
医者から言われた期限は、今年の夏のインターハイまで。
だから、最後の夏を悔いのないようにと、黒子は全身全霊でバスケに取り組んだ。
──そして、そこで黒子のバスケ人生は、終わった。
部活を引退し、他の同級生と同じように、平凡な受験生としての生活に埋もれていく。
それだけなら、どこにでもある話だ。高校まででバスケを辞める者は、日本中に大勢いる。
黒子自身、いつまでもバスケを続けられるとは最初から思っていなかった。誰にも真似できない技を持っていても、自分は「彼ら」とは違うと分かっていたから。
そう、自分は火神とは違う。
だから、いつまでも彼の影であるわけにはいかない。そう思って、黒子は素直にバスケを辞めて、別の道を歩み始めた。
それなのに、今「あの場所」に手を伸ばしたいのは──
はっ、と黒子は顔を上げた。
ブザーがけたたましく鳴り、試合が始まったのが分かった。
12月25日はウィンターカップの3日めだが、これまでの活躍でシード権を獲得した誠凛にとっては緒戦の日となる。
そして誠凛バスケ部に、3年生としてただ一人残っているのが、火神だった。
火神は高校卒業後、アメリカに戻ってバスケを続ける事に決まっていた。
バスケのために生まれてきたような彼にとってはごく当然の事なのだろうが、それを本当に実現してしまうところが凄いと、黒子は思っていた。
「うおっしゃああ!」
得意のダンクを決め、火神が吼える。心から楽しそうに、バスケをしているのが伝わってくる。
試合展開はまったく危なげなかった。後輩たちを助けながら、火神は誠凛最強のエースとしてチームを引っ張っていく。
──分かっていた。火神君はちゃんと一人で輝けるんだってこと。
何かを期待して、試合を見に来た訳ではない。
しかし、それでも目の前に映る光景は、黒子にとって潔いほどに残酷だった。
きっと、自分はその事を思い知らされる為に、ここへ来たのか。そう思うと、胸を刺すような痛みが黒子を襲う。
やがて、試合が終わる。
『ありがとうございました!!』
誠凛は大差をつけて相手の強豪校に勝ち、3回戦へと駒を進めたのだった。
礼をして、コートを去る誠凛バスケ部の列を、黒子は上からそっと見下ろした。
もう、彼の姿はこれで見納めだ。もう二度と、会うことはない。そう思った刹那。
火神が、こちらを見上げた。
「──!」
火神の目が丸くなる。ぽかっ、と火神の口が開いたその瞬間、黒子は弾かれたように背を向けて駆け出した。
(なんで、なんで、どうして…!)
自分の影の薄さは知っていた。別にミスディレクションを使わなくたって、火神はよく自分の存在を見落としていることも知っていた。
それなのに、どうして。
どうして、こんな時ばかり火神君は、ボクを。
会場を出る人波の間を掻き分けて、黒子は廊下を走ろうとする。しかし、人が多くてなかなか思うようにはいかない。誠凛高校男子バスケ部チームは、それほどの注目株だった。
思うように前に進めないことをもどかしく思い、唇を噛んだその瞬間。
「黒子ォ!!」
空間を裂いて轟いたその声に、人波がざわついた。
影縫いにあったように、黒子の動きが止まる。
「……!」
恐る恐る振り返れば、火神が息を切らしながらつかつかと黒子に近づいてくる。
その背後に、まるで試合中のような覇気が漂っていて、黒子は唾を飲んだ。
火神は黒子の三歩手前に立つと、黒子を真っ直ぐに見下ろした。
「…いろいろ聞きてーことは、あるけど…まだミーティングあるから、聞けねぇ」
「……」
獣のようにぎらつく視線は、射すくめられれば誰もが震え上がるに違いない。にもかかわらず、なぜか黒子の胸はドキドキと高鳴る。
(ああ、火神君、だ)
遠い世界に行くはずの火神が、今はじっと自分だけを見ている。その事実に。
「けど、終わったらぜってー聞く。……だから、逃げんじゃねーぞ──逃げたら、許さねぇ」
それだけ言い捨てると、火神はずんずんと控え室の方に去って行ってしまった。
「……」
残された黒子は、呆然とそこに立つしか出来なかった。
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