世界で一番あたたかな君に
「…これが化学平衡ってやつなんだが、今日はこれを使って面白いもの作るぞー」
そうして出来上がった、透明なガラス管。
その中に詰まった色の変わる液体を、黒子は無心に眺めた。
- 世界で一番あたたかな君に -
はあ、と火神が大きくため息をついた。ノートに目を落としていた黒子が、それで顔を上げる。
「…堪え性の無い人ですね」
「だぁってよー、肩凝んだよこれ」
「まぁ、ボクもそうですけど」
といって、黒子は時計を見る。さっき少し休憩を入れてから、30分も経っていなかった。
今日はテスト勉強という名目で、火神が黒子の家に来ていた。
家の中に入ると見境なくくっつきたがる火神だが、今日に限っては勿論禁止である。
火神もテスト勉強に関しては黒子に口を出せる立場ではないから、渋々従ってくれてはいた。
とはいえ、苦手な教科書と取り組まされ、体を動かせないストレスに火神はイライラと不機嫌だった。
そんな彼に、黒子はしょうがないですね、と少し苦笑する。
「コーヒーでもいれましょうか?」
「…おー、頼むわ」
と言うと、火神はノートを開いた小机にだらしなくも突っ伏してしまった。
しばらくして、黒子が戻ってきた。お盆の上にふたつ並んだコーヒーカップから、ゆらゆらと湯気が立っている。
「おー、サンキュ。ホットか」
「はい。外、雨で涼しいですから」
そして、小机の上に黒子はお盆を置いた。
その中に、ミルクやスティックシュガーに混じって透明なマドラーがあるのを見つけ、火神は顔をしかめた。
「…お前、そのマドラー使ってんのかよ…」
「いけませんか? 温かい飲み物にぴったりだと思いますけど」
「化学式思い出してげんなりする…」
そのマドラー、とは、黒子たちが化学の授業で作ったものだった。
透明なガラス管の中に半分くらい薄紅い液体が詰まっていて、それは熱に合うと青色に変化する。
マドラー自体は『化学平衡』という現象を使ったお遊び的な実験だったのだが、当然その背後にある化学式の仕組みなどはテスト範囲のひとつである。
「塩化コバルト溶液のイオンが変化するんでしたっけね」
「やめろ頭痛くなるだろ」
「大丈夫ですよ、これ発展問題ですから。これが出来なくても基本が出来れば平均は取れます」
「ってもよー…」
またため息をついて、火神はコーヒーを何もいれずに一口飲んだ。
対して、黒子はミルクとシュガーをふたつずつ入れて、例のマドラーでかき混ぜ始める。
「オマエ、入れすぎだろ…」
「放っといてください」
そうしてひとしきり混ぜたところで、黒子はマドラーを出した。中の液体は、コーヒーの熱で全体が青く染まっている。
冷めるにつれて少しずつ液体の色が紅に戻っていくのを、黒子はじっと観察する。
すっかり戻ったところで、今度は半分だけコーヒーに浸した。少しだけ浸けてから出してみると、液体は半分だけ青く、紅と青の継ぎ目が不思議な紫色をつくっていた。
いつまでもコーヒーに口を付けようとしない黒子を、火神は怪訝に思った。
「…何してんだ? お前」
「綺麗でしょう、ホラ」
二色に染め分けられたマドラーの横で、黒子は曖昧に微笑む。
「まるでボクらみたいじゃないですか。上が火神君の色で、下がボクの色」
「…またワケわかんねーことを…」
付き合ってられるか、と火神はまたコーヒーをすする。まだ少し熱い。
「だって、誰かが熱をくれなきゃ、ボクはいないも同じですから」
―――火神は、コーヒーを飲むのをやめた。
黒子の表情を窺い、その笑みに曖昧さすら通り越して虚ろささえ覚え、火神はどきっとする。
「何考えてんだよ?」
黒子が突飛なことを考えるのは、別に珍しいことじゃない。
だが、今回は放っておいてはいけないと火神は直感した。
真っ直ぐ自分を見つめる火神の視線に構わず淡々と、黒子は言葉を零す。
「似てるって話です。熱が加わって、この青いイオンが初めて目に見えるようになるんですよ?
…ボクも同じです、火神君が光をくれなきゃ、ボクは」
「―――黒子」
思わず強く、火神は黒子の名を呼んでいた。
言葉を止めて顔を上げた黒子の腕を衝動的に掴み、火神はぐ、とその体を引き寄せる。
「…火神君?」
「頼むから」
黒子が見上げた火神の横顔は、いつになく切なげに歪んでいる。
「頼むから…お前、あんま自分のこと卑下すんなよな。…見てるこっちが辛ぇよ」
「火神君…」
答えるように、黒子は火神の胸に顔を擦り寄せた。すると、火神は抱きしめる腕を強くする。
「存在感薄くたって何だって、お前はちゃんとここに居るだろ」
言い聞かせるように。存在を否定することを、否定した。
たとえ本人の口からであっても―――そんな言葉は聞きたくない。
そんな火神を、黒子は見上げてそっと微笑んだ。
「…優しいですね」
「うっせ」
照れ隠しにまた腕に力を込める火神に苦しいです、と笑うと、黒子は自分も火神の背中に腕を回した。
(…あったかい)
とくん、とくんと、火神の心臓の音が聞こえる。
じんわりと全身に染み渡る温かさに、黒子はどうしようもなく安らぐ。
光だとか、影だとか。
そんな事はよく言われたし、所詮影でしかないのだと、自分でも諦めていた。
だから、黒子は黒子だと、ちゃんとここに在るのだと火神が言ってくれたのはとても嬉しかった。
(…でもね、火神君。やっぱり…君の熱に触れている時が一番幸せなんですよ)
こうして、火神に寄り添って、火神の熱を感じている時が、一番。
生きていると感じる。自分に色がある、と思える。
―――だから、黒子は火神無しでは生きられない。
熱が無ければ表に出ることのない、あの塩化コバルトの青さのように。
(こんなことを言ったら、君はどう思うでしょうね?)
呆れるだろうか。バカなことを言うなと怒るだろうか。
それとも―――笑って、頷いてくれるだろうか。火神もまた、黒子なしでは生きられないと。
(そうだったらいいのにな)
火神に気付かれないようにもう一度小さく笑うと、黒子はそっと目を閉じた。
生きている実感を与えてくれるその温もりに、全てをゆだねるように。
いつしか、コーヒーカップからはすっかり湯気が消えていた。
end.
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