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 彼女もお風呂上りらしく、上気した頬に薄くメイクをしていて、黄色っぽい浴衣に赤い帯を締めていた。

 ・・・・おお、似合うじゃないか。

 一瞬動揺してしまった俺は何とか笑顔を作って、ギャラリーを掻き分けて彼女に近づく。

「いたな、神野。これ持ってて」

 そう言うと、持っていたコートと鞄を彼女に手渡す。別に驚いていないようだった。きっと俺が参加することになったのは聞いていたのだろう。

 焦ったように手を出して受け取って、神野が微笑んだ。

「・・・お疲れ様です。頑張って下さい」

 俄然やる気が出た。我ながら単純だ。

 俺は腕まくりをして頷く。

「任せとけ」

 卓球台に向かって相手をみると、そこには不敵な気持ち悪い笑顔を浮かべた長嶺がいた。

 ・・・・・お前かよ。

 心の中でうんざりした。ここまできて、何でお前なんだよ。俺はギャラリーになって神野と観戦するほうを選びたいぞ。

 だけどそういうわけにもいかない、しな。

 こいつの気持ち悪い顔を見たくなければさっさと勝つことだな。

 よし、と気合を入れた。

「開始!」

 部長の声で歓声が上がる。

 先ほどの試合で一般支部は負けているらしく、俺の後ろの応援の声はかなり本気モードが入っていた。

 皆、仲の悪い職域担当には負けたくないのだ。

 俺は平常心を保って白い玉に集中する。段々と感覚を思い出してきた。高校生の頃、熱心な当時の担任に誘われて卓球部にいたことがある。元々卓球は嫌いではなかったし、受験勉強を始めるまでは部活を楽しんだんだった。

 軽やかな音と鋭い音が交差する。

 体が解れてきて気分も良くなってきた。すでに相手に対する興味は失っていた。誰であろうが、試合相手には負けたくない。

 ほぼ互角だったのを、数回スマッシュが決まったことで優勢に立つ。後ろで見ているだろう神野の存在を意識した。浴衣、良かったな。そうだよな、せっかく温泉に来たんだから、俺だって宴会前には風呂に浸かりたい。そのためには、さっさと――――――――

 バシンと台を打って、俺の打った球が弾き飛んで消えた。

 背後から凄い歓声が上がる。

 俺はそれに笑顔で応えて、息をついた。・・・よし、勝った。

 汗を拭って手を柔らかく振り、神野を探す。

 団体から少し離れたところで俺を待つ彼女を発見し、さっさとその場から抜け出した。

「ああ〜、疲れた〜!」

 体が解れていい気持ちだった。彼女もにこにこ笑っている。いいぞ、いい展開だ。

 俺は目を開いて、ここぞとばかりに彼女の全身を眺めた。

「・・・へえ、馬子にも衣装、だな、神野」

 途端に膨れた神野が噛み付いた。

「どうせ馬子ですよ。卓球まで強いなんて、嫌味ですね支部長!」

 ふむ。いいな、これ。気が済むまで眺めてから、口の端を歪めて笑った。

「実は、高校の時、卓球部だったんだ」

 神野がへえ、と呟く。そんなに意外だったかな? 首を傾げかけると、一緒に着いた支部長達が近づいてきた。

 俺の割り当て部屋の鍵をくれた。今日は柳川と同じ部屋らしい。いくぞ、と声をかけられたから、神野に片手を上げて笑う。

「じゃあ神野、また宴会で」

 そして、エレベーターへ向かった。


 宴会場では、残念ながら神野とは一言も話せなかった。

 俺は所謂上司席で、先ほど試合に負けた長嶺の隣という最悪な場所だった。仕方ないから専ら右隣の支部長と話す。

 温泉が久しぶりでお風呂も良かったし、人の金で飲める上に金融会社の行く旅館はランクが上で食事も美味しい。後はもうちょっと自由があればな〜と、周りの女の子達と笑い転げる遠くの神野を見てため息をついた。

 ・・・俺もあっちに行きたい。

 あまり酒に強くない長嶺が支社長達に媚びまくっているうちにガツガツと食事を済ませ、俺は早々に退散することにした。

 このままここにいたら、そのうち酔っ払いに絡まれるだろう。

 色んなところからカラオケや卓球のお誘いがくるのを笑顔で断って、最後にとビールを流し込んだ。

「・・・んー?・・・おい、モテモテの稲葉しぶちょ〜、どこに行くつもりだ〜?」

 あ、ヤバイ。

 酔っ払って目の据わった長嶺に、中座を気付かれてしまった。

 俺は素早く見回して、副支社長の姿がないのを発見する。そして絡み姿勢ばっちりの長嶺を振り返った。

「副支社長と話してくるよ。タバコだろう、多分」

 嘘だけど、気にしない。

 このオッサンを避けるためなら上司だろうが何だろうが使うぞ。

 副支社長の名前にぐっと詰まった長嶺の肩をポンと叩いて、立ち上がった。嘘がばれる前に退散すべし。

 ふと見回すと、女性のほとんどは既に宴会場から出てしまっていた。

 部屋で休むものもお土産を見に行くものもいるのだろう。神野は、どこだ?

 トイレ以外に見当もつかないし、彼女と仲の良い同期らしい職界の子はまだ笑いながら日本酒を飲んでいるみたいなので、その内戻ってくるかもな、と考えた。

 とりあえずと宴会場を出る。

 忙しい仲居さんの間をすり抜けて、庭に出れる通り廊下の方へ行った。

 少し酔いを醒まして、それから館内をうろつこうかな―――――――・・・

 外は寒そうだな、とガラス戸越しに庭園の方を見ると、ぼんやりと柔らかい光を庭に落としている外灯の明りに探していた姿を見つけた。

「・・・・」

 神野だ。何してるんだ?

 俺はガラス戸を開けて、声を上げる。

「神野」

「うひゃあ!?」

 彼女は驚いてピョンと飛び上がり、パッとこっちを振り返った。

「・・しっ・・・支部長」

 明りに照らされた神野は寒さとお酒に頬と鼻を赤くしてにっこりと笑った。

 吐く息が白く、彼女の周りでキラキラと光る。

「この寒いのに散歩か?風邪ひくぞ」

 俺もつい笑顔になって聞く。神野はパタパタと小走りでやってきて、ひょいと廊下に飛び込んだ。

 羽織りの中に隠していた両手を取り出してゆっくりと擦る。

 暖かい空気に肩の力を抜いていた。

「・・・支部長、ここで何してるんですか?」

 笑顔のままいつもより柔らかい声で、神野が俺を見上げた。

 ―――――――――探してたんだ、目の前にいる子を。心の中ではそう呟いた。だけど実際には、うん?と声に出して片手で目元を擦った。

「ちょっと逃げてきた。長嶺が絡むし、色んなところから来るお誘いとやっかみが鬱陶しくて・・・」

 すると神野はつんと唇を尖らせて言った。

「モテモテですね、支部長」

 ・・・おお、ヤキモチ?若干の嬉しさを込めて目を細めて笑う。

「色物なんだよな、俺は。酒のアテだ、言ってみれば」

「中身が鬼だとは、皆知らない・・」

 その呟きに思わず声を出して笑ってしまった。そして、その拍子に思い出した。

「そうだ、前、楠本さんとお茶したんだって?楠本さんが電話くれたんだ。キウィとオレンジの謎が解けたぞって言うから、何事かと思った」

 神野は困ったような顔になって爪先で頬を掻いている。

「いきなり目の前に美形が現れたんで、茫然自失しまして。無意識にオレンジジュースを注文してたんです。それで理由を聞かれまして」

 やっぱり茫然自失したんだな、神野でも無理だったか、楠本さんの美形度は。

「うん、言ってた。ちょっと面白い子だなって言ってたぞ」

 俺の言葉に神野はにやりと笑う。そして、同期に自慢しよっとと手を叩いた。

 ・・・自慢?楠本さんに見惚れて我を失い、面白いと評されるのが?

「どの辺が自慢になるんだ?」

 つい突っ込んでいると、丁度その時、明らかに泥酔している彼女の同期の子が現れて、廊下の先から叫ぶ。

「た〜ま〜!ここにいた、ん、だああ〜」

 驚いた神野が慌てて彼女に駆け寄る。フラフラで、顔も真っ赤で、一目でやばいなって判る状態だった。

「ちょっと!?飲みすぎだよ、菜々!」

 俺も近づく。やばいだろ、この子。急性アルコール中毒とかなったらどうするんだ。

「・・・明らかに飲みすぎだな。職界の子だよな、部屋まで帰れるか?」

 その前に水でも買って飲ませるか、と考えていると、ベロベロに酔っ払ったその子が俺を見上げてにへ〜っと笑った。

「大石菜々でーす、玉とは同期なんです〜宜しくお願いし、ま〜す」

 たらんと自己紹介をして、神野に抱きつく。そして自分が自己紹介した相手が俺だと気付いたらしく、また口を開いた。

「あれえ〜・・・いなばしぶ、ちょ〜・・・。何だ、玉と一緒にいたんですかあ〜・・・」

 ・・・何か、おかしいか?つい心の中で突っ込んだ。この旅行で一緒の支部なのは俺と神野だけなんだが。

 神野が酔っ払う同期を抱きしめて、懸命に話しかけている。

「な・・・菜々!部屋に戻ろう、あたし送って行く――――――」

 大石さんて子はケラケラと笑って神野の言葉を遮った。

「怒らないでよ、玉〜!あんたの大好きな支部長とったりしないんだからあ〜」

 頼りないフラフラの指先で俺を指して言う同期を抱きとめて、神野が必死で叫ぶ。

「菜々ってば!しっかりしてよーっ」

 ・・・ふむ、何だか面白いことになりかけてるぞ。

 俺は腕を組んで壁にもたれる。本人から聞いたわけではないが、神野が俺を好きなことは判っている。だけどやっぱりそうだったんだな、と思った。

 浴衣から見えている神野のうなじが真っ赤なのが判った。

 必死の神野に気付かず、酔っ払いはどんどん暴露していく。

「本当いーい男、ですねえ、いなばしぶちょ〜。彼女いないんだったら玉なんてどうですかあ〜?支部長への恋心を忘れるために仕事に没頭しているカワイソーな女なんですう〜」

 そうだったのか。俺は微かに頷いた。それで、9時から5時か?つまり俺と顔を合わせたら平常心で居られなかったってわけ?

 酔っ払いのわりには力も強く、神野が必死で押しているのにも平気で同期の子は笑っている。

「なっ・・菜々ってばー!!」

 神野は泣き掛けだな。のんびりと観察していた。

 その時、浴衣に腕を突っ込んで壁にもたれて見物している俺に、ハッキリと言葉が飛び込んできた。

「この子、支部の移動まで企んで・・・」


 思わず目を見開く。―――――――何だって?

 今、何て言った?


 彼女を押していた神野が固まっている。ほとんど化石のようになっていて、指で押したらガラガラと崩れそうだった。

「―――――何?」

 一瞬で変わった雰囲気に、さすがに酔っ払いも気がついたらしい。ハッとした顔をして、そろそろと口元に手を持っていく。

「支部の移動?移籍ってことか?」

「・・・いえ、あの、そうでなくて・・・」

 もたれていた壁から身を起こして、俺は神野の背中を見詰める。うなじの赤みは消えていた。

 俺に背を向けたまま、神野がハッキリと言った。

「菜々、部屋に戻ろう!」

「あ、うん。・・・判った、玉」

 かなり酔いが醒めたらしい同期の子が大人しく頷く。

 ちょっと、待て待て待て。

「神野?」

 俺の呼びかけに、キッパリと神野が叫んだ。

「あたし!彼女を部屋に送っていきますから!お休みなさい、支部長!」

 そしてそのままぐいぐいと同期を押してエレベーターまで早足で行ってしまった。

 残された俺は呆然と立ちすくむ。

 ・・・・移動、だと?企んだと言っていた。きっと本当なのだろう。それで副支部長が止めたのか。だから、俺を無視する計画に宮田副支部長も乗ったに違いない。

 舌打ちが出た。彼女が消えたエレベーターを睨みつける。


 ・・・・このまま逃がしはしねーぞ。





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