9、マーキング@


 俺はふらりと宴会場へ戻り、まっすぐに浮田営業部長のもとへ歩く。

「おう、稲葉。何だ、あまり酔ってるようには見えないな、飲んでるか?」

 上機嫌の部長が俺に気付いてこちらに向き直る。

 俺はにこりともしないで近づき、小さな声で言った。

「電話が入りまして。ちょっとやっかいな解約の要望が。それに関して神野と話したいので、部屋番号教えて頂けますか?ここでなんですが対話します」

 ぎょっとしたように振り返った部長が、ちょっと黙った後、頷いた。そして浴衣の袂からこの旅行の栞を出して、挟んでいた部屋割りの紙を渡してくれる。

「ありがとうございます」

 部屋を確認して頷いた俺の肩を叩いて、部長が聞いた。

「大丈夫なのか?やっかいな案件になりそうだったら言ってくれ」

 俺はにっこり微笑んだ。

「かなりやっかいですが、大丈夫です。何とかしてみせます」

 やっかいなあの娘さんは、必ず何とかする。

 嘘をついた上に上司の楽しい気分も壊してしまったが、良心はまったく痛まない。

 俺はそのまま宴会場を後にする。

 昔から言うだろ?「嘘も方便」ってな。そして俺個人の信条としては―――――――


 どうせつくならデカイ嘘。



 彼女に割り当てられた部屋の前で、一度大きく深呼吸をした。

 さて、進撃開始だ。

 ドアの横のチャイムを押す。ピンポーンと部屋に響く音を廊下で聞いていた。

 居ないのか?と不安に感じるくらい間をあけて、はい、と小さな声が聞こえた。

「稲葉です」

 またしばらく間があいた。

「・・・何ですか?」

「聞きたいことがたんまりとある」

「黙秘します」

 ・・・対話拒否ってわけ?俺はため息をついた。そしてドアを見詰めてノックする。

「―――――――とにかく、ここを開けてくれ」

「嫌です〜」

「・・・神野」

「もう、もう、もう10時過ぎですよ〜!消灯です〜!」

 くそ。本当にめげないヤツだな。消灯だと?まだ夜になったばかりじゃないか。

「まだ宴会場盛り上がってるぞ」

「ここは客室です〜!」

 泣き出しそうな神野の声が聞こえて、俺は自分の忍耐の限界が近いのを感じた。

 最近気付いたことがある。俺は神野に関しては――――――かなり、短気らしい。

 ゆっくりと言った。

「―――――確かに客室で、夜の10時18分で、静かだな。・・・暴れたら、目立つよな」

「あばっ・・・!?」

「ドア蹴っ飛ばしたら、旅館の迷惑だよな?」

 立ちはだかるドアを見詰めた。言葉通り蹴っ飛ばすつもりだった。大丈夫、うちの会社は大手だ。弁償くらい出来る。

 するとバタバタと音がして、ガチャリとドアが開いた。引きつった顔の神野が現れる。

 そして痛そうな顔をした。

 嵌められた、とか思っているに違いない。とんでもない。俺は実行するつもりだったぞ。

 彼女の横を通り抜けて部屋に入ると、既に布団が敷いてある小さな部屋には一人分の荷物しかなかった。

「誰と使ってるんだ?」

「・・・一人です」

 ああ、そうか。夕波さんと使う予定だったんだな、多分。

 納得して振り返ると、彼女はドアを凝視している。俺はスタスタと歩いて行って、施錠してやった。

 そして隣で小さくなって佇む彼女を見る。

「泣いてるのか?」

「泣いてません!」

 強情っぱりだ・・・。

 鼻も目も赤くしたバレバレの状態で、神野は俺に背を向けて勢い良く部屋に入った。

 俺も後に続く。

「・・・・支部移動ってなんだ?」

「―――――出来ませんから、大丈夫です」

「理由を聞いている」

 じっと俯いて、呟いた。

「職域営業に戻りたくなっただけです」

「どうして?」

「―――――――・・・」

 言葉が消えた。俺は舌打ちを耐えて代わりにため息を零す。畜生、イライラする。もう我慢の限界だ―――――――――

「本当に、強情っぱりだな・・・」

 言うや否や腕を伸ばして神野の腰を捉えた。

 引き寄せて、抱きしめる。そしてそのまま―――――――つい、キスをしてしまった。

 あ。これはヤバイぞ、俺。

 って、一応自分に突っ込みはした。したんだ、けど。

 その時にはもう神野の柔らかい体に腕を巻きつけてしまっていたし、それ以上に柔らかい唇を味わってしまっていた。

 だからアッサリ理性は退却して、頭の中は真っ赤な欲望の海で染まってしまった。

 潰さないように押し付けて、開けてくれと舌で舐める。

 彼女の唇はビールと涙の味がして、それがぐぐっと胸に来た。

 ・・・・あー・・・ダメだ。止まんねえ。

「っ・・・し、ぶ・・・」

 神野が言葉を零した拍子に開いた唇に、ギリギリの力で自分を制御して、ゆっくりと舌を侵入させる。角度も変えてむさぼり、キスに溺れていた。

 完全に余裕をなくしていた。

 彼女が零す吐息も唾液も全てが甘かった。

 足元に布団の感触を確かめて、そのまま段々と座らせて慎重に押し倒す。

 寝かせた神野の上にくると、やっと現実感が俺に戻ってきた。

 涙目で顔を赤くして、辛うじて呼吸をする神野が可愛かった。瞳があったとき、怒りにも似た暴力的な焦燥感が襲ってくるのを感じた。

 ダメだ。手放せないって、判らせないとダメだ。でないと俺が――――――――

「・・・ふっ・・・」

 神野が吐息を零す。

「―――――言えよ」

 俺は言いながら唇を軽く噛んだ。二人の唾液がまざって伝う。

「どこへ逃げるつもりだ?」

 リップ音まで立てて痕を残すつもりで強く吸う。頭の中で楠本さんの声が蘇った。

 ――――――――言葉は悪いけど、唾をつけとけって言ってんだ・・・・。俺は小さく笑う。ちゃんと、唾付けだ。

 そしてゆっくりと唇を離し、両手で彼女の顔を挟んで見詰めた。

「俺から・・・逃げられると思ってる?」

 潤む彼女の瞳に見惚れる。この正直な目は今、俺だけを見てるんだ、そう思ったら余計興奮した。

 ほとんど無意識で首筋から鎖骨までにキスをする。若い肌からのいい香りがして、頭がくらくらした。

 進む唇に神野が反応して手で俺を押そうとするから、片手で彼女の頭の上でまとめた。

 邪魔させない。俺は、もの凄く、これが欲しい。

 唇で浴衣の襟元を割ったら、ブラの肩紐にぶつかった。

 ・・・・まじで?こんな所に壁が。

「・・・浴衣に下着はご法度だぞ」

「は・・・はいっ!?」

 呟きながら空いてる片手で浴衣を広げると、いつかのオレンジ色小花柄レースが見えた。

「――――――あ。オレンジ小花柄のレース」

 途端に神野が目を見開いて更に赤面した。

 同時に去年のクリスマスを思い出したらしい。

 やっぱり似合ってる。想像通りだ・・・。レースに沿って唇を這わせると、神野がバタバタと暴れだした。

 押さえつけられてるのに身を捩るから、浴衣の乱れが酷くなった。

 俺を誘ってるんだ、と解釈したいけど、多分違うよな。俺の手に丁度いいサイズの胸を揉みながら、どうしようかと一瞬考えた。

 でも・・・止められるかな〜。

 頭の中で声はするけど、キスも手も勝手に動いて止められない。可愛いけど邪魔なブラのホックに手を伸ばすと、体重をかけられて阻止されてしまった。

「ちょちょちょっと、待って・・・支部長!」

「嫌」

 無理。顔を埋めて胸元の膨らみを確かめる。うーん、いい匂い。強くキスをしてそこら中にマーキングする。

 彼女は俺のって刻んどこう。

「嫌って・・・ひゃっ・・・あのっあのっ!一体何で・・・」

 ぺしぺしと肩を叩かれて更に身を捩るのに、神野の言葉が耳を掠めた。

 ・・・何で?何でって、何だ?どういう意味?

 とりあえず、抵抗してるよな。と仕方なく現実を受け入れて、手を無理やり止めて顔を上げた。

 ・・・何で?―――――――もしかして・・・嘘だろ、もしかして?俺は捕まえていた彼女の両腕を解放する。




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