A玄関先の明るい男・1



 玄関のたたきにずり落ちそうになりながら、私は凄い早さでチェーンを外してドアを開ける。

 既に真っ暗な夜の中に立ち、玄関灯に照らされながら男性が立っていた。白いフードパーカーに黒いダウンを着た、若い男の人。すらっとしていて、段差があるたたきの上に立つ私との差を考えたら長身だ。肩からは重そうで大きな鞄を提げている。

 彼は私を見て、白い息を吐きながらにっこりと笑う。目尻に皺がより、大きな口の端がきゅっと上がる。玄関灯の下で、その男性は明るい雰囲気を発散させていた。

「あなたが塚村凪子さん、ですか?」

「・・・あの・・・はい。えーっと・・・綾の弟、さん?」

 そうです、と相手が頷くのを見ながら、私の頭は高速回転した。弟・・・うん、確かに、確か〜に聞いたことがあるわ!二つ年下の弟がいるのって!あれは確か、お正月はどう過ごすかを二人で話していた時で―――――――

 彼が寒そうに体を震わせたのを見て、私はやっとドアから手を離す。

「あの・・・とりあえず、どうぞ」

「ありがとうございます」

 聞き慣れない低い声でそう言ってから、彼はまたにっこりと笑う。そのあっけらかんとした笑顔、大きく口元を広げて笑う顔はまさしく綾がするそれで、私はすっかり毒気を抜かれてしまった。

 深夜とは言えないが今や一人になってしまったこの家に、面識のない成年男性を招きいれたということにはちっとも気がつかなかった。とにかくここ数日そうだったようにちょっとした混乱状態にあったのだ。

 お邪魔します、と玄関に入り、彼はドアを閉めた。髪は伸ばしているのか伸びているのを放置しているのか、後頭部で一つにくくられている。清潔ではあるけど、ラフ。全身から自由な雰囲気がする人だ。私はじっと見ながらそんなことを思う。普通のサラリーマンじゃなさそう・・・。

 その時、台所でお湯が沸騰して、しゅんしゅんと音をたてているのが聞こえた。

「あ、お湯だお湯!」

 バタバタと台所へ駆けていって、ついでだからとカップを二つ出す。

「あの、コーヒー、飲みます?」

「ああ、嬉しいな、頂きます。凄く外が寒いし、コーヒー好きなんで」

 物珍しい顔でキョロキョロと家の中を見回しながら入ってきた綾の弟さんは、すすめる前に椅子をひき、鞄を床へ下ろす。

「どうぞ」

「どうも」

 小さなテーブルに湯気の上がるコーヒー。そのいい香りをかいで、私の神経が落ち着いてきた。

 前に座る男性をちらりと見る。彼は未だに周囲を見回していて、その表情は面白そうだった。綾と出会って4年、一緒に住んで3年、彼女から弟の話を聞いたことがあるのはほんの数回だけだったはずだ。何て言ってたかな、職業は、えーっと・・・。

「いい部屋ですね。あそこは姉の雰囲気だけど・・・こっちは違う。あなたの好みなんでしょうね」

 部屋の隅に置かれた小さなソファーを指差して、彼が言う。確かにそのソファーは綾が持ってきたもので、彼女好みの明るい配色のストールがかけてあった。目元はちょっと違うけど、顔の形、それに眉毛の辺り、確かに綾に似ている。本当に彼女の弟なのだろう。

 よし、と私はようやくその事実を受け入れて、コホンと空咳をした。

「水谷、さん。今日は一体どういうご用件でこられたんですか?あの・・・綾はいないんですが」

 私がそう口を開くと、彼は部屋を見回すのをやめて私に視線を寄越す。それから笑顔を消して、真面目な顔で頷いた。

「はい、知ってます。姉から今朝、電話が来たんです。それでここに来ました」

「え?綾から電話?」

 私は驚いてつい叫ぶ。何何?何だって?

「でで、電話って、えーっと綾は何て言ってました?今どこにいるって?」

 彼は申し訳なさそうな顔で、ゆっくりと首を振る。

「居場所などは言ってません。こっちが寝ぼけている間にべらべらと勝手に喋って、切られたんですよ」

「え」

「お・・僕、海外から帰国したてでまだ時差ボケがありまして、電話は昼間だったんですけど寝てたんです。で、かなり久しぶりな姉からの電話、それもいきなりだったんで混乱しましたけど、とにかく判ったんです。姉はあなたのお金を持ち逃げしたって言ってました。本当ですか?」

「あの・・・はい」

 私は力が入っていた肩を意識して下ろす。どうやらゲリラ的な電話で、彼も綾の居場所を知らないらしい。それならば私への置き手紙と同じレベルだ。なんだよー・・・期待させて、もう。

 ガックリ。私は椅子にもたれかかる。

 弟さんはため息をついて、申し訳なさそうな顔で聞いた。

「そのお金、いくらでしょうか」

「箪笥貯金なんです。約100万円。お金を入れていた鞄ごと、持っていかれました」

「100万も。・・・すみません」

「あなたが悪いわけじゃないですから」

 仕方なく私は苦笑する。だって存在を聞いたことはあったけれど、一度も会ったこともない人なのだ。綾のことなら弟である彼より私の方が詳しいのではないか、と思うほどだ。

「そうだけど、うちは両親ももういなくて、姉は唯一の家族だから。やっぱりこれは謝らないとと思って。だけどそのー、申し訳ないんですが僕にも現金はないんで、姉の代わりに返すってことは出来ないんですが」

 ・・・何だ、君が返してくれるんじゃないのか。実際ちょっとだけ期待してもいたのだ。綾が彼に電話したってことは、あんた悪いけど建て替えて、とかの話だったのかなー、なんて。でも違ったらしい。

 ああ、疲れた。私はぐったりと椅子に身を沈めながら言った。

「あのね、勿論私のお金は返して欲しいけど、それよりもとにかく綾に会って話を聞きたいんです。いなくなっちゃう前日まで普通だったし、蒸発するなんて思ってもなかった。何が起きたのかも判らないし。話してくれたら私だって何とかしようとしたはずだし、絶対、他のやりかただってあったと思うし・・・。相談もされなかったってことに私は傷付いてるんです。ってか、とにかく帰ってきて欲しい。今、綾が無事かどうかも判らないからめちゃくちゃ心配だし、このままだと本当にどうしようもなくて―――――――」

 話し出したら止まらなくて、私は一生懸命口を動かしていた。そうだ、多分私は、こんな風に誰かに話を聞いて欲しかったのだ。急激なショックで停止していた頭や心がまた動き出したようだった。

 泣きそうになるのを何とか堪えて私はひたすら話す。彼は前でうんうんと頷いて聞いていたけれど、そもそも来月の家賃が払えなくてどうしようかと思っている、というくだりになったところで頷くのをやめた。

「そう、えー、塚村さん、僕・・・いや、もう言い慣れないんで俺でもいいですか?今日はそれについて話しにきたんです」

「は?え?」

 それってどれ?

 私は急に話の腰を折られたことに不機嫌になって聞き返す。一人称が僕だろうが俺だろうがそんなことはどうでもいい!一体君は何の話がしたいって――――――――

 彼はテーブルの上で両手を組んで、またにっこりと大きく笑う。そして言った。

「俺が代わりにここに住むからさ。そうしたら、お金の問題は片付きますよ」

 
 ――――――――――――あ?


 一瞬、埴輪顔だったかもしれない。

 私は口をあけっぱなしにして、目の前に座る男を凝視した。

「―――――――え?」

「だから、俺が姉の代わりにここに住みます。そしたらあなたはここを出ずに済むし―――――――」

「は、えええっ!?ななななな何!?一体どうしてそういう話になった!?」

 椅子から飛び上がって私は叫ぶ。代わり!?綾の代わり!?って、あんた男じゃないのー!最初っから性別すら違うから!

「いやいやいや、代わりにならないでしょ!別にハウスメイトを募集しているわけじゃないのよ!それに募集したとしても、私は独身女性を希望したいっ!」

「俺は独身男性ですが、問題のその穴をあけた人間の家族ですよ。それに、ちょっと座ってくれませんか?ちゃんと話せば納得できると思うから」

 ちゃんと話したって納得出来ません〜っ!!私は心の中でそう思ったけれど、一人でぎゃあぎゃあ喚いているのは確かにみっともない。大体一つだけとはいえ、私は彼より年上なのだ。無意識に彼から距離を置こうとシンクにひっついていた体を、何とか元通りに椅子に押し込んだ。

 かなり緊張状態の私を見て彼はふ、と笑みを浮かべる。

「姉が迷惑をかけたのを、出来るだけ挽回したいんです。姉が持ち逃げしたお金を一括であなたに支払えればいいんですが、情けないけど俺もそんな現金はないのでそれは出来ない。だけど、収入はあるから出来る形であなたに返していきたいんです。家賃と光熱費を俺が払う、とかで」

 ・・・えーっと・・・。私は眉間に皺を寄せながら考えた。

「・・・一緒に住む、んですよね?ここで?」

「はい。だけど俺はカメラマンでほとんど家にはいませんよ。一人暮らしで借りてる部屋もたまに寝に帰るだけで、ほとんど使ってないのに家賃を払うのが勿体無いなーといつも思ってたんですよね。狭いのに立地のせいで高いし。スタジオで寝ることもよくあるので、月に2,3度自分の部屋で寝るかなーって状態の時もある」

 そういえばさっき、外国から戻ったばかりで時差が云々って言ってたな。それに彼が持つこの自由な雰囲気は職業からきていたのか。私は彼の言葉を頭の中で反芻しながら、更に眉間に力を入れる。

「あまり帰ってこないんですか?」

「そう。というか、旅行が多いんです、仕事柄。だから、どうせ家賃を払うなら、誰かが住んでる家がいい」

「・・・綾の分を支払うってこと?」




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