Bイオリの告白・1
春が来ると、我が家の裏手にある家の前に咲く桜の花が満開になる。
ヒラヒラと薄紅色の可憐な花びらは風にのって我が家の庭に入り込み、それを見るたびに季節を確認するのだ。
ああ、春が来たんだなあ!って。
伊織君と一緒に住み始めて、5ヶ月が経っていた。恋人同士になってからは、1ヶ月と少しが。そしてこの4月の最初に、伊織君は誕生日を迎えて私と同じ年になった。
「2ヶ月だけは、同じ年齢だね」
私はそう言って彼のビールグラスに自分のを当てる。
「かんぱーい。誕生日おめでとう、伊織君」
ありがとー、そう言いながら、彼はにこにこと笑っている。
縁側にいた。
春とはいえまだ少し風は冷たかったので、二人とも並んで座った膝の上には毛布をかけて。開けた掃き出し窓のところにさっき作ったばかりのお酒の肴を並べて、縁側で日向ぼっこをしているのだった。
去年までは、ここで一緒にお酒を飲んでいたのは綾だった。小柄で髪が長い、明るくて優しいお姉さん。それが今では年下の男性に変わり、そして彼は私の恋人なのだった。もう・・・本当に人生って何が起こるか判らないわ!
私と付き合いだしてから、伊織君は頻繁に家に帰ってくるようになった。旅行雑誌の依頼は相変わらず受けていたから出張はやっぱり多かったけれど、スタジオにいる時には、仕事が終われば速攻で帰ってきてくれる。
阿相カメラマンに認められて、人物写真も撮りだすようになったらしい。
だから普通の同棲みたいに、一緒の家に住んでいるって感覚にもなれた。別々だったご飯は出来るだけ一緒にとるようにしたし、家事の分担も再編しなおしたのだ。同居でなく同棲なら、お金を出してくれている伊織君のために、時間がある私は出来ることはする。何だかんだと私は結構上機嫌で二人分の家事をこなしていた。
そして今日は、久しぶりの休みが重なった土曜日だったのだ。
最初は伊織君の誕生日を祝ってどこかへ遠出しようか、と話していたのだけれど、あまりにいい天気で庭に光が溢れているのを見て、彼が言ったのだ。
縁側でお昼にしよう。二人きりで、ゆっくりしたいって。
「うーん。やっと29歳か・・・」
伊織君がぽつりとそう呟く。
私はビールを飲みながら彼を見た。
「えらくしみじみと言うんだねー。29歳になると、何かあるの?」
大して興味もなく聞いただけだったのだけど、伊織君は暫く前を向いたままで黙ってしまう。・・・あら?何かあるんだろうか、本当に。
私がグラスを置いて体を彼に向けると、伊織君は前を向いたままで、ぼそっと言った。
「29じゃなくて・・・来年にね。だけど、そうか・・・確か・・・」
「ん?」
「・・・あ、それ、いけるかも」
「おーい、もしもーし?」
「そうだよな・・・それだったら・・・」
一人で勝手に納得して頷く彼の腕を、私は人差し指でつんつんとつつく。会話になってないぞ。二人しかいないんだから、是非私にも参加させてくれ。来年なら何がどうなるの?
ようやく伊織君が振り返る。そして、にや〜っと大きな笑顔を見せた。
「え。・・・何なの、その顔は、一体?」
その笑顔が企んだようなものだったので、私は若干身を引いた。おいおい、どうしたのだ青年。
さっきまでのぼうっとした感じはどこかに消して今度はえらく上機嫌になったらしい伊織君が、あのさ、と私に言った。
「凪子さん、今って幸せ?」
「え?・・・うん、そうだねえ。かなり幸せだと思うよ」
私は今までの人生をちょっとばかり振り返ってそう答えた。ジェットコースターみたいな人生を歩んできたわけではないが、それなりに波乱万丈の29年間。その時々で幸福を感じることは勿論あったけれど、今みたいにしみじみと幸せだな〜なんて思える日々はそうそうなかったんじゃないだろうか。
仕事があって、家もあって、彼氏がいて、その優しい彼氏とは一緒に住んでいて。母も遠いけれど元気だそうだし、体は今のところ健康そのもので。あというとすれば、綾が戻って来て安心させてくれたら(ついでにお金も返してくれたら)、もう言うことないくらいだ。
私がそんなことを考えて、ほう、と息をついていると、伊織君が肩をぽんぽんと叩いて注意を引く。
「で、俺のことが好き?」
「は?・・・あの、どうしたんですか?」
私はいきなりの質問にわたわたと手を振る。何よ急にそんな!照れるじゃないですかー!
だけど伊織君はぐいぐいと顔を寄せてくる。ねえねえと何度も聞くのだ。俺が好き?って。
「ええと・・・うん、はい、はい〜!好きですよ、好きです!」
私はもうやけくそになって叫ぶ。それからハッとした。やだ、これってお隣に全部丸聞こえなのでは!?恥かしいったら・・・。
するとまたまたにっこー!と大きな笑顔をして、伊織君が言った。超至近距離で。
「じゃあさ、結婚しよ、凪子さん」
――――――――――へ?
私は目を見開いた。ついでに叫びそうになったけれど、驚きが強くて声は出なかった。
け、けけけけ、結婚ーっ!?
「・・・はっ・・・え、ええっ!?ちょっと、ちょっと伊織く・・・」
そんなサラッと簡単に!私は驚きが大きすぎて口をパクパクさせる。
「結婚しようよ、俺達さ。夫婦になって、本当の家族を作ろう。よく考えたら、最初からそうしたらよかったのかも。どうして俺は気がつかなかったんだ!」
「へ?ええと・・・君は一体何言ってるの?」
私は混乱したままで、体を仰け反らせて彼と距離を取ろうと頑張っていた。だけどぐいっと両腕を捕まえられて、体を固定されてしまった。上半身を傾けた伊織君はえらく色っぽい目で下からすくい上げるように見て、ねえ、と口付けをせがむ。
「凪子さん、ほら・・・」
「う・・・」
「ほーら」
彼の唇は目の前だ。くうう〜!恥かしいよ!だけど私はやっぱりやけくそモードで目を瞑り、自分の唇を押し付ける。キスをしたままで、伊織君がくくくと笑った。
「結婚、オッケー?」
私は顔を離して彼を見る。・・・ちょっと、困るんですけど、この状態・・・。
「ええっと・・・」
「ねえ。先に進みたいんだよ。29歳になった俺の、目標。好きな人と結婚すること」
「・・・それ、今考えたでしょう」
悪い?そう言って伊織君は体を起こし、私を引き寄せて抱きしめる。
「何が不安ではいって言ってくれないのか、教えて。解消につとめるから」
私はぎゅうっと抱きしめられて息が苦しかった。どうしたのだいきなり、この溢れる求愛行動は!?彼は元々もつ末っ子の性質全開で、恋人になってからは甘えん坊が炸裂していたけれど、こんなことはしなかった。
どちらかと言うと照れ屋だし、淡白な方だと思う。それに大人の男性であるということを意識して行動していた。
だけど今は何としても自分の思い通りにすべく全力を出しているようだ。
「ちょーっと待って。・・・よいしょ」
私は何とか彼の体を押しのける。そして、きっとめちゃくちゃ赤くなっているだろう顔を上げて、伊織君をしっかりと見た。
「ぷ、プロポーズ、は、嬉しいの。うん。君のことは・・・えと、好きだし、これからも一緒にいたいと思うから。まだ付き合って間もないから驚いただけ。だけどいきなりなのはどうして?さっき何を考えていて、私に急に迫りだしたの?」
伊織君が真顔になった。それから私の体に巻きつけていた手を放し、後ろの壁にもたれてビールを飲む。
「好きで一緒に居たいからっていう以外に、理由がいる?」
「いるでしょ。だってあまりにも突然だったもの。あの、ちょっと前の熟考だってかなり怪しいし」
私がそう即答すると、伊織君は指で頬をかりかりと掻いた。
「・・・うーんとね。これ聞いたら、凪子さんがどう反応するか判らなくて・・・」
「はい?」
「今の俺のままで、結婚を承諾して欲しいんだよね」
「はーい?」
謎だらけだぞ、おいおい。私は怪訝な顔をしたままで首を捻る。
「君は君でしょ。それとも結婚したら、いきなり性格が変わったりするの?」
DV男に変身するとか?それなら確かに考えなきゃだけど。私がそう言うと、そういう事じゃないと苦笑している。
大事な話が実はあるらしい。だけど、それを話す前に私にうんと言って欲しいらしい。それってワガママじゃない?
だけど、と、春先の風に吹かれて私は考えた。
隣の桜の花びらがひらひらと舞っている。温かいお日様。まだちょっと冷たい風。私はこの人が好き。それに、一緒にいたいと思っている。心温かくなるこの関係を、出来ればずっと、永遠に――――――――――・・・・・
空の青をバックに舞い踊る花びらを見ていたら、いつの間にか笑顔になっていた。
そうだよね。物事は、突き詰めたらシンプルなはずだよね。相手のことを好きで大切に思い、尊敬出来るかどうか。そして最後は多分これ。――――――――タイミングに尽きる。
私は伊織君の両手を取った。
「・・・うん、結婚しよう」
パッと彼が壁から背を起こす。今更になって恥かしくなったようで、伊織君の頬と耳が赤くなっていた。
「・・・ほんと?」
「うん」
「俺でいいの?」
「自分から言っておいて、何よそれ」
私はつい笑ってしまった。さっきまでの勢いはどこに?
伊織君は、うわ〜っ!と小さく叫んで、両足をバタバタと揺らしている。完全に照れているらしい。私はあははとそれを見て笑う。急に子供になったり大人になったり、忙しい人だ。君は今日29歳になったのだぞ。もう十分にオッサンなのだぞ〜。
「それで?何を考えていて、突然こんな話になったの?」
伊織君は両手で真っ赤になった頬をパンパンと叩いていたけれど、あ、そうだ、と呟いて私を見た。
「あのさ。・・・俺、実は金を持ってるんだ」
「―――――――は?」
「実はお金を持っていて、本当のところ、仕事しなくていいくらいなんだ」
・・・・・・・・・・・・・ええ?!
私はさっきまで抱いていたロマンチックな感情は一気に彼方へと飛ばして、文字通りに絶叫した。
「ええ〜っ!!?だって・・・だってだって、お金ないから綾が持ち逃げした分返せないけどって、言ったよね、私に!言ったよねえええええ!?」
あの時、そもそも彼がこの家にきて同居を申し出たとき、そう言ったはずだ。私は覚えてるぞ〜っ!!だから同居になったのだ。忘れてない!
「え!?じゃあ何なの、あれは・・・嘘!?」
私の反応を見て、伊織君は大いに慌てた。違う違うと叫んで、縁台の上でぐいっと近寄る。
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