A泣き笑い・1


 弘平と出会ってから色々あったこと、そして別れてからあったことも全部、すっきり解消したような気分になって心が弾み、私は途中で晩ご飯を食べてから帰宅することにした。

 駅中にあるカジュアルなイタリアンレストランで一人でワインで乾杯したのだ。普段は注文しない値段のスパゲティーと、サラダをとって、赤ワインを飲んだ。

 流されず、ちゃんと過去と決別!弘平を傷つけてしまっただろうことは心苦しいが、あのまま二人でやり直しを決めてたら前よりももっと酷い事になったかもしれない。

 自分達の本音を誤魔化したままで、二人ともお互いをもっと傷つけることになったかもしれない。だからこれで良かったのだ。

 よく頑張った、私。

 気分も軽く、ほろ酔いで上機嫌だった。

 そしていつものように駅から自転車で家まで疾走して家に帰る。夜も9時になっていた。

「・・・あれ?」

 玄関を開けてまず目に入った大きな靴に、私は驚いた。

 え!?伊織君、もしかして帰ってるのー?

 電気はついていた。暖房も。玄関入ってすぐの居間、それから続き間の台所。だけど彼の姿はない。洗面所のドア窓にも明りはないし、お風呂ではなさそう。ということは、自分の部屋?

 とにかく伊織君が私が起きている時間に家にいるということが、あまりにも久しぶりすぎて驚いたのだ。

 あの夜、彼が私に話しついでに告白する羽目になって以来、伊織君は徹底的に私を避けていたようだったから。

「・・・えー・・・と。伊織くーん・・・?ただいまー・・・」

 君は一体どこに?いきなり暗がりからばあ!なんてなしにしてよ〜。

 私は緊張して突如ドキドキと煩くなった胸を脱いだコートで押さえながら、一階の真ん中で周囲を見回す。

 台所、居間、階段前、ワンフロアーの一階はすぐに見渡せてしまう。・・・やっぱり居ない。ということは、自分の部屋かなー・・・。

 私はため息をついてコートをソファーにかける。だって自分の部屋にいるのだったらわざわざは訪ねてはいけない。そんな勇気はないのだ。

 弘平との事が片付いたって、私達はまだ微妙な立ち位置で、複雑な関係・・・。

 とにかくお水を、と思って台所に行きかけたとき、階段に通じるところの掃き出し窓のカーテンが開いているのに気がついた。

 ・・・もしかして。

 私はゆっくりと近づいて、庭に面した掃き出し窓をそっと覗く。

 そこには縁側にあぐらをかいて座る、伊織君の後姿が。正確に言って後頭部が、見えた。

 ・・・あ、いた。

 私は緊張しながらも久し振りに見る彼の姿に微笑みそうになって、それからふと彼の横に置かれた瓶を見て、ぎょっとした。

 伊織君はこの寒い縁側で、何と日本酒を飲んでいるらしい。毛布を体に巻きつけている伊織君の隣に置いてあるのは、日本酒の一升瓶とコップだった。

 ・・・え、ええっ!?あまりお酒強くないんじゃ―――――――――

 焦った私は思わず窓ガラスをコンコンと拳で叩いて開けてしまった。途端に冷たい風が吹きつけてきて、口から声が漏れる。伊織君が、ハッと振り返った。

「・・・凪子、さん」

「あの・・・ただいま。伊織君、どうしてこんなところで飲んでるの?」

 それも熱燗などではなく、日本酒を、冷のままで。それって風邪にまっしぐらのコースなのでは・・・。

 私はそろそろとしゃがんで彼と目線をあわせ、そう言った。すると伊織君は見開いていた目をパッと逸らして、小さな声でぶつぶつと言う。

「・・・そんな気分だったから」

「何か食べた?お酒だけ飲んでるの?」

「うん」

「寒くない?」

「・・・寒い」

 じゃあさ、と私はカーテンを押さえて掃き出し窓を全開にする。

「入っておいでよ。飲むなら中で飲んで。それに何か食べた方がいいよ」

「・・・いいんだ。俺のことは放っておいて」

 おや。酔ってる上にご機嫌斜めらしい。

 私はその冷たい感じの声にちょっと傷ついたけれど、こちらもほろ酔いなのでいつもより強気だった。

「何があったの?話、聞くよー」

「・・・」

 伊織君の表情は暗くて見えない。だけどムスッとしているようだ。私は風の冷たさに身を震わせて、縮こまる。

「おーい、子供みたいなことしないで。このままここにいて風邪引いたら、また仕事行けなくなるよ?」

 ちらりと彼が私を見た。だけどしばらくぼーっとした顔で夜空を眺めた後、一度頷いてゆらりと立ち上がる。

 よし、中にいれることは成功だ!

 私は手を伸ばして一升瓶を抱え込み、先に台所へと戻る。量を見るとそんなには飲んでなさそうだけど・・・。何か食べるものあったかな。それに、熱いお茶を用意していたほうがいいかも、そう思ってお湯を沸かしにやかんに水を入れた。

 窓とカーテンの閉まる音。それから、近づいてくる足音。私はそれを聞きながら、ヤカンを火にかける。

 すぐ後ろで止まった足音に振り返ろうとしたその時、右肩にどん、と何か重いものが置かれてビックリした。

「うひゃあ!?」

「会ってたの、元カレと?」

 叫んだ私の耳に、伊織君の低い声。

 台所に立つ私の右肩に、後ろから自分の頭を乗せたようだった。私より背の高い伊織君は体を曲げて、額を私の肩に置いている。彼の髪の毛が右頬を撫でる。右肩にずっしりと感じる重さ。私はよろけて咄嗟にシンクを両手で掴んだ。

「・・・え?ど、どうして知ってるの?」

 私は驚いたけれど、動けずにそのままで言った。お、お、驚いた〜っ!!全身から一気に冷や汗が出た気がした。今のショックでワインの酔いも覚めてしまったもしれない。

 私の肩にのせた頭をぐりぐりとこすり付けて、低い低い声で伊織君が言う。

「――――――見た。車で撮影からの帰り。駅前の交差点で・・・あの人と手を繋いでる、凪子さんを」

 ・・・げ。

 私は思わず目をぐるんと回しそうになった。・・・よりによって、そこを見たの!?たまたま!?あんなに人が多かったのに!?

 私の肩の上で相変わらずぐりぐりと頭を額を擦りつけながら、伊織君が唸る。

「一緒にご飯食べてきた?そんで、元通りに仲良くなってきたとか?」

「えっと・・・」

「やっぱりあの人が好きなんだ?もしかして、プロポーズとかされたりした?」

 このままではいけない・・・いけないよね?!私は右肩に重みと痛みを感じつつ冷や汗を出しながら、小さな声で話しだした。

「・・・あの・・・違うんだよ。ちゃんと断ってきたの。復縁の、話を」

 ぴたっと伊織君が止まった。

 私はドキドキと煩い心臓を無視するように努めて、深呼吸をする。

「それに、ご飯は一人で食べたんだよ。ちゃんと吹っ切れたことを、一人でお祝いしようと思って・・・ワイン飲んで」

 私はやかんの火を止めて、ゆっくりと振り向く。伊織君は外された頭を上げて両手をジーンズのポケットに突っ込み、目を細めて立っていた。

 切ない目だ。そう思った。泣きそうで、苦しそうで、感情が溢れ出すような。彼は、とても切ない表情をしている。

 その顔を見ていたら、突然、暴力的な気持ちが湧き上がってきたのを感じた。それに突き動かされるように、気がついたら私は言っていた。

「・・・伊織君が好きだから」

 シンクに腰を引っ付けて、私は彼を見上げる。

「あの人じゃなくて、君が好きだから」


 伊織君がくしゃっと顔を歪める。一瞬泣くのかと思った。だけど彼は、そこからゆっくりと笑顔を作る。ははは、と小さく笑い声が聞こえた。

 泣き笑いのような顔で、彼は呟くように言う。

「・・・凄く酔っ払って、夢みてる気分・・・」

 その一言で緊張感が部屋から消えた。ふふ、と私も笑ってしまう。

「凪子さん、それほんと?」

「うん」

「・・・もう一回言って」

「伊織君が・・・好き、だよ」

 今更になって恥かしくなってきた私は、両手で熱くなった頬を挟む。彼が私に近づいた。

「夢の方が良かった?」

 伊織君は首を振る。まさか、って。現実の方が断然いい、って。それからそっと手をとって、柔らかい笑顔を見せる。

「・・・すんげー嬉しい」

 彼が首を傾けて、口付けをした。

 さっきまで伊織君が飲んでいた日本酒の、甘い味がするキスを。





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