@ナギコの選択・1



 藍色だって思うのだ。

 人生ってね、色んな例え方をされるけれど、私は「青系の色」の繋がりだって思う。

 深いブルーになったって、真っ黒ってわけではない。たまに楽しいことや嬉しいことなんかがやってきて、ちょっと白色が足される。ゆらゆらと、明るさに近づいたり暗さに近づいたりするの。

 私達はその藍色の中を泳いでいっているんだよね。

 がむしゃらか、流れに身を任せるのかは人によって違うけど、泳いでるって、いつも思う。

 いつも、藍の中を。



 襖がとんとんと叩かれて、廊下から伊織君の声が聞こえた。

「凪子さん、起きてる?」

 私は枕元の携帯で時間を確認した。9時半。今晩は早く帰ってきたようだ。布団から起き上がって、うんと言う。

 襖が開けられて、伊織君が顔を出した。自動的に彼の口元に目が行ってしまう。ダメダメダメ・・・!あのキスは忘れるんでしょ!

 露骨にならないように視線を外して布団カバーの柄を見詰める。

「熱はどう?」

「うん。マシになったよー。多分、今は微熱くらい。今日は早かったんだねー」

「先生が早く帰れって言ってくれてね。ご飯何か食べた?」

 私は首を振る。頭痛はなかったし、体も軽くなったようだった。

「鍋焼きうどん買ってきたんだけど。一緒する?」

 お腹が鳴った。いいタイミングだと伊織君は笑う。私は照れてお腹をさすりながら、頷いた。

「ありがとう、頂きます」

「じゃあ気をつけて下にきてー」

 開けられたままの襖の向こう、暗い廊下が見える。階段を降りて、伊織君は台所に行ったようだ。

 ・・・お腹すいたな。伊織君と食卓につくのは実際勇気がいるけれど、ここは頑張るところだ。よし、食べて、元気と勇気を出そう。

 私は一人で頷いてベッドを降りる。

 そしてそして、ちゃんと彼と、話をしよう。伊織君の本音を聞かなきゃならない。私は、どうしても。

 部屋着に半纏を羽織って下に下りると、台所で伊織君がうどんを作っていた。その大きな体が小さな台所に似合わなくて、私はつい口元を緩める。そして、すぐにやってきた胸の痛みに顔を顰めた。

 これも、見れなくなるかもしれないのだ。

「どうぞー」

 スーパーで買って来たらしい鍋焼きうどんは、豪華だった。私はお礼を言って手をあわせる。熱そうで、やたらと美味しそうだ。彼も晩ご飯はまだだったらしく、同じものを作って食卓につく。

「ああー、温まるなあこれ!」

「本当だよね。風邪の時とか寒い時は最強のメニューかも」

 ふうふう言いながら、たまに鼻をかみながら二人で食べる。熱くてじんわりと出汁が染み込んでいて、美味しさが食べるそばから体に染み込んでいくような気がした。

 食べている途中で、伊織君がちらっと私を見る。ん?と顔を上げると、彼は真面目な顔で見ていた。

「どうしたの?何かついてる?」

 私がそう言って首を傾げると、伊織君はまたうどんをすすりながら言った。

「いや、もう普通だけど・・・。昼間、凪子さんちょっとおかしかった」

 お箸を止めてしまった。やっぱり変だって思ってましたか、ううーん、どうしようかな・・・。今話すべきなのか。

 ちょっと悩んだけど、あと少しのご飯を片付けてしまうことにする。話しだしたら絶対食欲はなくなるはずだから。

 無言のまま片付けて、やっと一息ついて椅子にもたれかかる。

「あー、美味しかった。汗でちゃったな」

 伊織君がそう言って笑う。私はパッと視線を外してしまった。笑顔を見るのは、ちょっときつくて。何となく気詰まりで、立ち上がって食べ終わったアルミ鍋を二人分流しに運んだ。

「・・・んー。やっぱり何か変だな。どうした?」

 後ろから、伊織君の低い声。

 私はため息をつくのを我慢して、流しを見下ろしながら言った。

「伊織君ね、もしかして、無理してここに住んでない?」

 返事がなかった。だから私は思いきって振り返る。すると、椅子に腰掛けて片肘をつき、ぽかんと口を開ける彼がいた。

 どうやら呆気に取られているようだ。

「・・・は?」

 そして驚いてもいるらしい。

「え、ちょっと待って。一体どうしてそんな話になった?俺、別に無理に住んでないよ。そんな風に見えた?」

 見えなかった。私は心の中で呟く。だから、そうかもしれないと思った時に、余計に傷付いた。

「本当に?綾に・・・綾のやったことで、仕方なしにここに住んでるのかなって。無理してるとかじゃなくても、えーっと、もし諦めの感情でやってくれてるならそんな必要ないって言いたかったの。ここに住まなくても問題ないし、なんなら家賃の負担だってもう十分だから―――――――」

「ちょっとちょっと、凪子さん」

 伊織君は立ち上がって、片手を上下に振る。落ち着けって言ってるのだろう。私はそこにつったったままピタッと口を閉じた。

 伊織君は両手を食卓について、覗き込むように私を見る。

「誰に、何を聞いた?」

 ぐっと詰まった。

 言いたくなかった。弘平や三上さんに言われたことは。無意識にごくりと唾を飲み込む。

 黙ったまま突っ立つ私を見て、伊織君は目を細める。だけどその内にため息をついて、こっちおいでよとソファーを指差す。

 私はそろそろと移動して、綾のソファーに足をたたんで座り込んだ。

「酒が欲しいところだけど、やっぱりコーヒーにしよう。凪子さんはまだカフェイン止めたほうがいいよね。お茶でも淹れようか?」

 伊織君がヤカンを火にかけ、棚を開けてマグカップを出す。私はありがとうと呟いた。

 緊張しながら待っていたら、伊織君はコーヒーと熱いお茶をローテーブルに運んでくる。そして自分は床に座り、ソファーに背を預けてこっちを見た。

「で、誰に何を言われたの。急にそんな話をしたわけが知りたい」

 伊織君はたまにする、例の「強い目」をして私を見ていた。

 ・・・オーノー。気まずくて、私は唇を噛む。話し出し方が悪かったのかな。こうなる予定ではなかったのに・・・。

 だけど彼は待っている。コーヒーを飲みながら、じっとこっちを見て。5分くらいで、私が負けた。

「・・・ええと・・・最近、多数の意見としてそのようなことを言われて、実はそうだったのかなあ〜と・・・。伊織君は無理にここに住んでいて、それは私のせいなのかなあ〜って・・・」

「そんなことないよ。大体ここに住むって言い出したのは俺なんだけど。覚えてる?俺が提案したら凪子さんは拒否したよね、最初?」

 はいはい、それはバッチリ覚えてますよ。私はお茶をすすって喉を湿らせる。

「うん。だけど、人から見たら綾の借金という弱みがある君に、私が意識なく強制しているように思えるそうで・・・」

 伊織君は呆れた顔をして、パッと片手を振った。

「意識なく強制?それって言葉がおかしくない?それにさ、他人にどう思われようと関係ないでしょ。放っておけばいいんだよ、そんなの」

 ・・・まあ、そりゃそうなんですが・・・。私が俯いて黙ってしまうと、前で寛いだ格好をして、伊織君がため息をついた。

「想像ついた。それ言ったの、凪子さんの元カレだろ。この前の。復縁を迫られたって言ってたよね?また現れたとか?」

 おお、何故わかるのだ!?驚いて顔を上げると、彼は珍しく眉間に皺を寄せている。機嫌を損ねたようだ。

「それで余計なお世話なことを言われたってわけ?住む前にも説明したけど、俺は誰も住んでない部屋の家賃を払うのが嫌だったんだよ。今は凪子さんが住んでいる部屋に払ってる。その方がお金も生きてると思うよ。捻挫の時だって助かったし、今だって――――――――」

「だって、じゃあどうして・・・」

 思わず声を出してしまった。ハッとして口を閉じたけれど、伊織君は首をかしげて先を促している。私は小声で言った。

「・・・あの、仕事が終わったあともスタジオに残ってるって聞いたの。家に帰るの遅らせてるって。・・・それは、じゃあ、どうして?そんなに帰るのが嫌ならここに住まなくてもいいのに」

 それを聞くなり、伊織君は片手で自分の額を叩いた。ぺしっと音がして、私はビックリする。ううう〜としばらく唸ってから、伊織君は片手で顔を隠したままで言った。

「―――――――三上が言ったんだな」

「・・・あの、うん」

「それでお昼の凪子さん、様子が変だったのか。三上はいい子なんだけど、言い方がちょっときついところがあるから・・・」

 ぶつぶつと呟くように言っている。あの子の言い方がきつい?というか・・・それは、多分。私はソファーにあげた足の膝に顎をのっけた。

「多分ね、三上さんは伊織君が好きなんだって思うよ」

「え?」

「だから私に攻撃的なんだろうって思うよ。好きな男の人と一緒に住んでる女だから。今日も車の中で、歓迎しませんって雰囲気出してたし。今考えたら、最初に会った時からあの子私に無愛想なんだよね。やたらとじろじろ見られたのも、もしかしたらあの写真・・・ほら、伊織君が撮った寝顔の写真、あれを見てたんじゃないかなって」

 伊織君は片手を顔から離して、目をまん丸にしている。

 言いながら私は確信に近いものを抱いた。そうだ、あの子、伊織君が好きなんだろう。憧れか恋愛感情かは知らないけれど、きっと伊織君に対して強い感情を持っているはずだ。

「・・・え?」

「いやいや、それって普通に有り得ることでしょう?そんなに驚かなくても」

 学生アシスタントが普段一緒にいるカメラマンに恋をする、そんなのよくあることだと思うんだけど。共に行動をするからこそ、馴染んで気になっていくものだろう。

 本気でそうは思ってなかったのだろう。伊織君は何度か瞬きをして考え込み、コーヒーを忘れている。

「まあともかく、ね。三上さんがそう言ってたの。あの子は私と綾がトラブったのも知ってるみたいだった。だから嫌がる君に無理矢理私が―――――――」

「え?そんなことも言ってたのか?どうして知ってるんだろう」

 言葉を遮って、伊織君は目を見開いた。

「あれ?それは伊織君が言ったんじゃないの?」

 私が首を傾げると、伊織君はいやいやと手を振る。

「学生アシにそんなプライベートなこと言わないよ。先生には引っ越したことは言ったけど・・・」

 口元に拳を当てて伊織君は考えこみ、やがて、あ、と言った。嫌そうな顔で。

「・・・鷲尾だ」

 ああー、と言いながら、伊織君はガックリと肩を落とす。

「そう言えば鷲尾には話したことあったな〜!出張続きの忙しい時期に何で引っ越しするんだ、て聞かれて、姉貴のこと話した〜・・・。くそ、あいつお喋りだな」

 鷲尾さんだったのか、三上さんにリークしちゃったのは。私としてもちょっと残念だったけど、もう仕方ない。

 それより―――――――――

「・・・で、話戻すけど。君がわざと遅く帰るようにしてたのは、ここに住むのが嫌だからじゃないなら、どうして?」

 彼はハッとしたように私を見て、それから今度は両手で顔を覆う。・・・一体この人はさっきから何をしてるんだ。

「それは・・・嫌なんじゃなくて。そうではなくて」

「うん」

「その・・・」

「うん?」

 うわ〜、と言いながら、伊織君は自分の両足の間に抱えた頭を突っ込むようにする。そしてぼそっと言った。

「・・・から」

「え、何?声が小さくて聞こえませんよー」

 しかも君の声は低いのだよ。私がそう言って体を乗り出すと、同じ格好のまま、さっきよりは大きな声で言った。

「・・・凪子さんに触れないからっ!」

 ―――――――――え。

 伊織君はガバッと体を起こした。どうやら照れて顔が赤くなっているようで、相変わらず両手で顔を隠している。

「そういう意味では確かに弱みなんだよ。お金を返すまで、俺は君とは対等になれない。だから手を出せない。前にキスしちゃったのは我慢できなかったからだけど、これ以上は、もう、先に進めない。だからっ・・・会ったら・・・顔みたら、辛いから」

「――――――――」

 伊織君の照れが、見事に感染した。

 そんなまさかの理由を言われたら、一体どうしたらいいのだろうか!あれ?こんなつもりじゃ・・・なかった。私は私でまた一人で混乱が始まってしまう。

「・・・えー・・・っと・・・その・・・」

「ああ、もう、何だってこんなに照れてんだよ俺は!」

 強い口調でそう言って、伊織君はばさばさと乱暴に髪の毛をかき回す。

「そういうわけだから!嫌だから帰ってこないんじゃない。もう頼むから、人から言われたことを気にして勝手に悲しんだりするのやめてくれ。俺は自分でここに来たし、今は―――――――好きだから、凪子さんが」

 耳まで真っ赤だった。それに不機嫌そうに顔を歪めている。伊織君はむすっとした顔で言う。

「凪子さんがどう思ってるか知らないけど、俺、軽い男じゃないよ。惚れっぽい人間なんかじゃない。だから一度誰かを好きになったら・・・かなり真剣だから」

 私は声も出せずに、ただじっと彼を見つめていた。

 ああもうダメだ!そう小さく叫んで伊織君は勢いよく立ち上がり、そのままバタバタと二階に上がってしまった。ぴしゃっ!と襖の閉まる音。

 残された私は一人、呆然としてソファーの上。

 体中熱くて、燃えるようだった。

『好きだから、凪子さんが』

 わお・・・どうしよう。

 ・・・折角下がったのに、熱・・・。

 今、また、上がったかも。






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