D長い夜・1



 家に逃げ帰った私は、その後――――――――――倒れた。

 ま、自分でもそうなるだろうって思ってたのよ。ほら、綾が失踪しちゃって伊織君が来て、とにかくお金を何とかしなきゃってなった時にも混乱と怒りから熱を出してついでに風邪も引いちゃったし。

 昔からそういうところがあったのだ。

 頭が急激に混乱したりショックを受けたりすると、熱を出す。

 遠足を楽しみにしすぎてっての発熱はなかったけれど、受験の翌日は倒れたし、友人の結婚式のスピーチをしたその夜だって倒れたし。

 だからきっとこれもあれだ。知恵熱ってやつ・・・。

 弘平からの申し出がほぼプロポーズだったこともきっと原因だろう。そんなビックリすることが起きるだなんて当然思ってなかったから、ショックのあまりまるで船酔いみたいになった私は気持悪くて、晩ご飯も食べずに化粧だけ落として自室で寝ていたのだ。

 考えすぎて熱を出すんだろうから、もう考えないぞって決めて。

 体を休めよう、それから、頭も。

 今はとにかく現実は見ないようにして――――――・・・・。


 夜中に、寒さと強烈な喉の渇きで目が覚めた。

 ハッと、いきなり。

 真っ暗な天井をしばらく見上げていて、それから携帯電話の画面を見てみる。1:33 A.M。8時過ぎにはベッドに入っていたはずだから、もう結構寝てるけれど・・・体が、熱いぞ。それにえらく寒い。

 あらー・・・これ、結構高熱なのかも。

 私はそろそろと起き上がる。気持ち悪さは消えていた。だけど晩ご飯を食べていないせいか、力がなくなってしまったような感覚だ。

「・・・ああ、やばい」

 だけどこれは水分をとらなきゃ。それに一度熱を測ってみなければ。

 私はそろりとベッドから這い出した。その途端にくらりと来て思わず壁に手をつけて体を支える。

 ・・・おっとお〜・・・。き、気をつけて・・・。

 古い家の急な階段は、こういう時に刃物よりも凶器に成り得る。そもそも階段に電気もないので、私は自分の部屋の電気をつけて襖を開けっ放しにし、足元を照らした。中腰で階段を覗き込むと、一階の電気はついているらしく、途中からは明るくなっている。

 ・・・あ、もしかして、伊織君が帰ってきてるのかな?

 耳を澄ましてみたけれど音は聞こえない。今はお風呂に入っているのかもしれない。だとしたら、あまり顔を合わせたくない私にはチャンスだ。

 ゆっくりと階段を降り始める。もうお尻をつけて、一段ずつ――――――――

 判っていたから手をついていたのが良かった。途中で急な眩暈に襲われた私は、足がうまく動かずに引っかかってしまい、2段ほどずり落ちてしまったのだ。

「うきゃあっ・・・!」

 ダダダン!と音を立ててお尻や腰を打ち付けてずり落ち、痛さに悲鳴を上げる。

「あいった・・・た・・・」

 ほぼ寝そべるような形で階段の途中で何とか止まる。その時、足音がして、階段下にパッと伊織君の頭が覗いた。一階からの光で逆光になって、彼の表情は判らない。

「凪子さんっ大丈夫!?」

「・・・あ、伊織君。はい、痛いけど、生きてる・・・」

 お風呂じゃなかったのね、君は。

 私は痛さに涙目になりながら、ヨロヨロと上半身を起こす。伊織君はたんたんと階段を上がり、両手を差し出して私を引き起こす。

「暗いから夜は危ないよなー、この階段。もう絶対手すりつけよう。ほら、俺に捕まって・・・手、ちゃんと背中に回さないとまた落ちるよ」

 あううう、すみません。心の中で謝りつつ、私は彼に言われる通りにゆっくりと体を預ける。抱きかかえられるような格好になった時に、頭の上で伊織君が言った。

「あれ?凪子さんえらく熱くない!?」

「うんー・・・ちょっと発熱したようで・・・」

「えー、そりゃ大変だ。ま、とりあえず階段降りて・・・」

 よっこらせ、と私を抱き上げて、伊織君は最後の3段くらいを軽々と降りる。痛さに顔を顰めながら、私はその力にビックリした。

 あらあら、君ったら、力があるんですねえ!やっぱり男の人なんですねえ!って。

「あ、ありがと。いいよもう。重いから・・・」

「凪子さん重くないけどさ、そんなことより結構熱高め?薬飲みに起きた?」

「いや・・・喉が渇いて目が覚めて・・・」

 自力で立って伊織君の腕から抜け出ると、私は冷蔵庫目指して歩き出す。体が重くて酷く重力を感じ、一歩踏み出すのにかなりの体力が必要だった。

 私の後からスタスタと歩いて追い越して、先に伊織君が冷蔵庫から水を出してコップに入れてくれる。私は食卓に体を預けて、お礼を言って受け取った。

 冷たい水が体を通る。それは美味しかったのだろうけれど、今はそのせいで余計に寒さを感じてしまった。

 私をじっと見ていた伊織君が言った。

「凪子さん震えてるじゃん。ちょっとそこ座って熱測ってて。俺毛布もってくるから」

「・・・はい」

 もういいよと言う気力もなく、とにかく私は従うことにする。二人用ソファーに何とか歩いていって、テレビ台の下から体温計を取り出して脇に挟んだ。

 ・・・寒っ・・・。ほんと、熱上がってるって感じ〜・・・。

 伊織君が上から毛布を持って降りてくる。それで私をくるくると巻いて、丁度鳴った体温計をパッと取った。

「――――――39度2分」

 伊織君が眉間を寄せる。

「立派な高熱だね」

 私はもう頷くだけにして、ソファーに頭を預ける。高熱だわ。ほんと、立派な。

 伊織君は体温計を直しながらうーんと呟く。

「インフルエンザかな?大人でここまでの高熱って滅多にないよね」

「・・・あ、多分、違う・・・」

 ん?と彼が振り向いたので、私は仕方なしににへら〜と笑った。

「知恵熱なの。よくあるから・・・」

 ここまで熱が出ると、さすがに複雑なことは何も考えられなくなる。だからこれは自分で自分を守るための方法の一種なのだ、多分。

「知恵熱?どういうことが判らないけど・・・まあ、確かに咳も出てないし、鼻水も出てなさそう。薬はどうする?」

「大丈夫、多分ね。・・・明日になれば、治ってるから。水飲んで寝るよ。伊織君もどうぞ寝て下さい。明日は早いんでしょ?」

 私がそういうと、うーん、とまた唸りながら伊織君は私を見ていた。だけどその内頷いて、じゃあ、上まで付き添うよと言う。

「階段上がれないでしょ、凪子さん。ソファーとかじゃなく、やっぱりちゃんとベッドで寝た方がいいし」

 出来るだけ、伊織君には触れたくなかった。だって熱が出ている今、私の理性はさほどないはずだ。現在勝手に混乱中だし、これ以上混乱するような要因は作るべきではない。それは判っていたけれど、体がどうにも動いてくれそうになかった。・・・あの階段を自力で・・・それは流石に無理か。

「・・・お願いします」

 しぶしぶ私はそう言って、彼の手を掴んで体を起こす。毛布を肩にかけたままでよろよろと階段に近づき、一段づつ上がることにした。伊織君が先に上がり、私を引き上げる。狭いので一緒に並べずそういう形で上まで行く事にしたのだ。

 急な階段は私の体力を更に奪っていく。途中で息切れがして、私はちょっとストップ、と呟いた。

「ああ、しんどい・・・」

「もうちょっとなんだけどな〜。一回休憩だ」

 狭い階段に、壁に背をつけて座り込む。荒くなった息をそうして落ち着かせていたら、丁度目の前にある壁の板が目に入った。

 ・・・あ、ここか。私はちょっと笑ってしまう。

 同じようにして2段上で座っていた伊織君が、ん?と首を捻った。

「何見て笑ってんの?」

 心配している声だ。熱が上がっておかしくなったと思ったのかも。

 私は指を伸ばして目の前の壁を触る。そこは壁板が傷んでいて、途中で割れている箇所だった。軽く押すと、割れた所が外せて中の空洞が現れるのだ。

「あ、そこ外れるんだ?」

 伊織君が上から覗き込む。携帯をポケットから取り出してライトを当てた。私はまたふふ、と笑いながら言う。

「・・・ここね、ちょっとした話があるの。年末か何かの大掃除の時に作っちゃった穴でね、東さんに言って怒られたら嫌だからって、綾と二人で内緒にすることにしたの」

 あれは多分2年前だった。

 2階から古い箪笥を下ろして捨てようって話になって、二人で下ろしていた時に角をあてて割ってしまったのだ。そして二人はオーナーには内緒にすることに決めて、板を判らないように嵌めなおした。

「その時に綾が言ったのよ。ここだったら何か隠せるねって。小さいものなら大丈夫だよねって。判子とか、大事なものでも隠しとく?って。私は笑ってそんなことしてどうするのって言ったけど、綾は真剣に考えてるようだった」

 伊織君が穴を覗き込む。

「うん、丁度木枠があってここに物が置けるのか」

「そうそう。それでね、その後のバレンタインで、綾が言ったのよ。家の中に凪のためのチョコを隠したよーって。さあ、探すのだ!って。その頃何か宝探しみたいなものに二人で嵌ってたのよ。家の中で遊んでたの」

 伊織君に話しながら、あ、そうか、と私は今更ながらに思った。

 あの宝探しの時期に、綾は私の貯金を見つけていたのかもしれない。もしかしたら、そうかも。

「でもね、綾がそう言う前に、実は私見つけちゃってたんだよね、チョコを、ここで」

 伊織君が笑った気配がした。

「姉貴、ここに入れてたの?」

「そう。しかも私、見つけたときに食べちゃってたのよ。それで綾に怒られて」

 あははは、思い出したら笑えてきた。折角楽しもうとしたのに、凪ったら先に見つけて、しかももう食べちゃってたのー!?って、綾が怒ったのだ。私が階段の同じ場所、ここで笑っていたら、最後は綾もつられて一緒に笑い出したんだった。

 それで二人で改めてチョコレートケーキを焼き、クリームやゼリーや砂糖菓子ででたらめにデコレーションしてワインを飲みつつ食べたのだ。

 大きなチョコレートケーキで、舌が痺れるくらい甘かった。

「結局食べ切れなくて、そのケーキ。会社に持っていって、派遣仲間に分けたのよ」

 私は壁の板を元に戻す。すっかり忘れていた。そんな楽しい思い出を。

 壁を指で撫でる私をしばらく見ていたけれど、伊織君が、さて、と言った。

「上がろう、凪子さん。早く寝ないと」

「・・・そうだね」

 よし、と気合を入れて体を持ち上げる。その後は休憩をせずに何とか階段を上がりきり、伊織君に支えられながらベッドへと入る。

「・・・ああ、疲れた。ごめんねー、伊織君。面倒をおかけしまして」

「いや、別に。水持ってくるよ。下の電気もつけっぱなしだし」

 伊織君がそう言って部屋を出て行く。

 私はベッドに横になって、ボーっとしながらカーテンが開けっ放しの窓の外を見ていた。

 ・・・綾・・・。今頃どうしてるかな・・・。



 私はそのまま眠ってしまっていたらしい。

 うつらうつらと眠りの入口を彷徨いながら、長い夢を見ていた。

 キラキラと星が輝く夜の草原で、一人で座り込んでいた。周囲には誰もいなくて、風は冷たく、私は体を震わせていた。

 どうしてここに。

 考えても判らない。私は不安になって、折角輝く星星を眺めることすら出来なかった。

 寒い。それに、ここは暗くて、寂しい―――――――――

 その時、遠くからゆっくりと近づいてくる人影を目にした。

 ・・・ああ、誰かいる。よかった。

 私は裸足で暗い草原を走る。その人に向かって。足に草露がついて濡れていく。着ている白いスカートにも雫がはねて、どんどん服が濡れていく。

 誰か、がそばに来た。

 私は言葉もなく手を伸ばす。

 その人も手を伸ばして、しっかりと握ってくれる。

 あ、温かい―――――――――

 私はつい笑顔になる。手のひらから伝わる温かさで、足元が濡れているのも気にならなくなった。

 その人が天を指差す。私は顔を上げて、夜空一杯の星に目をやった。



 朝日が差し込んで、その光が直接顔にあたり、眩しくて目が覚める。

 あ、朝か・・・。ごろんと上を向いて朝日から逃げると、私はそのままでふうと息をはく。いつもの私の部屋の白い天井がぼんやりと光で揺れている。

 長い夢を見ていた。熱が高い時ってよくわけの判らない夢を見るものだけど、昨日のは何だか良かったな・・・。幸せの匂いがするような夢だった。

 それに、良かった、あれからはちゃんと眠れたんだ。高熱の時ってよく目を覚ますから―――――――――

 と思って起きようとして、ぎょっとした。

 私のベッドの隣に、ベッドに頭をもたれかけるようにして伊織君が寝ていたからだった。

 掛け布団と毛布を自分の部屋から持ってきたらしく、それを体に巻きつけて、壁に背をつけて座ったままで眠っている。

「えっ?え・・・いお―――――」

 私は驚いて起き上がろうとして、更に気がついた。私の右手は、眠る伊織君の左手と繋がっていた。

 ―――――――お〜やあああ〜・・・・?

 両目を見開いて、一瞬で赤面したのが判った。

 ・・・あれ?ちょっと、これって・・・おいおい、私ったらまさか・・・。

 夢じゃ、なか―――――――――――――

 私が起き上がろうとしたからか、伊織君が目を覚ます。小さく何かを呟いて、目をゆっくりと開ける。何度か瞬きをしてから、顔を上げた。

「・・・あ、おはよー凪子さん」

「あっ!えっ!えっと、お、おはよう・・・あのー」

 私は急いで伊織君の左手から自分の右手を引き抜いた。

「こ、これは・・・」

 ん?と自由になった左手で目元を擦りながら、伊織君は欠伸をする。

 それから毛布をのけて、首を回したり腕を上げて伸びをしたりしながら、ぼそぼそと話す。

「あー・・・昨日、水運んできたら、凪子さんがうなされてたんだよ」

「え、わ、私が」




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