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「仕事、しばらく行けないんじゃないの?仕方ないけど大丈夫なの?」

 重度というわけではないが、軽度でもないらしい右足を見て私は言う。伊織君は情けないような顔になったけど、以外とさばさばと言った。

「不幸中の幸いというか、今はそんなに忙しくないんだよね。受けていた依頼も先生や鷲尾の予定を調節してもらったら断らなくても大丈夫らしいんだ。だから、俺は自宅安静でじっとしてなきゃならない。普通に歩けないにしても立つことすら自力で出来ない間は、スタジオにいっても役立たずだしねー」

「ふんふん」

 私は彼の前で別のソファーに座りながら、食べつつ頷く。

「だからまあ、神様から思いも寄らぬ休暇を貰ったって思うことにしておくよ。あんまりここには居ないからって凪子さんに言ったのに、まさか3ヶ月目でこうなると思ってなかったから、それが申し訳ないんだけど」

「ん?」

 あ、そうか。私はようやくそのことを理解した。そうだ、伊織君が自宅で安静ってことは、普段はずっと出っ放しの彼がここにいるってことなんだ!

 いつ帰宅したのかも判らない、そしていつ出て行ったのかも判らない、とにかく彼はいつでも家にいなかったか、居ても寝ていてすれ違いか、だった。起きたら一階が暖房で温められていたりコーヒーを飲んだあとがあったりして、あ、帰ってきてたんだな、とは判るものの、本当に顔を合わせることが少ない同居人だった。

 だから私も気楽〜に今まで通り、パジャマでウロウロしたり、テレビを見ながらパックをしたりしていたのだけれど・・・。あらー・・・これからは、成人男性がいつでも家にいるってことか!

 正直言えば、ガックリした。

 だけど仕方ないことではある。大体この家の家賃や水道光熱費を払っているのは彼なのだ。そして私は出て行くところもない。そして彼は―――――――現在、普通の生活すらも不自由なはずだ。

 出来るだけ暗い声にならないように注意して、私は言った。

「大丈夫だよ。とりあえず君が立てるようになるまでは、朝と夜は私がご飯作るようにするね」

「本当申し訳ないです。でもありがとう、凪子さん。これで一人暮らしだったら大変なことになるところだった。スタジオの狭いソファーに泊まりこんで、アシさん達の世話にならないといけないところだ」

 彼は自分でそう言って、想像したらしい。うわあ〜!と嫌そうに叫んだ。

 私は立ち上がって伊織君のお茶をコップに注ぎ、彼へと渡す。

「足、どのくらいかかりそうなの?」

「医者いわく、2週間くらいだろうって。まあ熱と痛みが引いても完治ではないらしいから、しばらくは出張の仕事はしないようにって言われてるけど。でも通院の必要はなくて、とにかくじっとしとけって」

 暇なのが嫌いなのだろう。彼は、一体何をしたらいいんだ〜とぶつぶつ言っていた。私もため息をつく。どうやら2週間ほど、私は臨時の介護職にならなけりゃいけないようだ、と思って。

 その夜からが、大変だった。

 食事や洗面は両手が使えるから問題なかったし、今晩は温めたらダメだからとお風呂もやめたものの、そういえば、個人の部屋は二階だ、と二人が気がついたのが寝る前だったからだ。

「どうしよう?2週間くらいなら一階で寝る?」

 私は困って、伊織君を見る。台所は食事をするテーブルや椅子、テレビなどがあってそんな余裕はないが、玄関入ってすぐのところ、居間としてつかっているここは、ソファーなどを退ければ布団を敷くスペースくらいは作れそうだ。

 うーん、と伊織君も眉間に皺をよせて悩んでいたけれど、腫れと痛みが引くまではそうしよう、ということになった。何せ古い一軒家で、健常者でも大変な急階段なのだ。右足を使えないままであれを上るのはキツイに違いないし、上がるのはともかく降りるとなれば、もう落ちた方が早いんじゃない?ってほどである。

 ごめんねーと謝る伊織君にはいはいと言いながら、私はここへ引っ越す時に友人から譲り受けた古い2人用ソファーも綾が持ってきた一人用ソファーも壁際に運んでテレビ台などをずらせるだけずらし、二階の自室の押入れから客用の布団を一組下ろす(階段の上から落としたのでこれは楽だった)。そして伊織君のベッドからシーツやら枕やらを持ってきて、即席で寝る場所を作る。

「布団がシングルで小さいと思うけど、しばらく我慢してね」

 私がそう言うと寝転がってみた伊織君が、手を顔の前で振った。

「贅沢はいいません。足を伸ばして眠れるだけ幸せだよ」

 捻挫したほうの足は上げておいたほうがいいから、というので、タオルを重ねて彼の両足の下にしく。

 さて、寝ようかって話になってから1時間近くかかって、ようやくここまで来たのだ。既に時刻は12時過ぎ。私は予定外の肉体労働に疲れ切って、やれやれと床に座り込んだ。

「ほんとありがとー、凪子さん。どうぞゆっくり寝て下さい」

 伊織君がそういうのに何とか微笑んでみせて、最後の力を振り絞って立ち上がった。

「夜中に喉渇いたらダメだから、一応ね」

 ペットボトルから水を大きめのコップに注ぎ、ストローもつける。それを手が届くくらいの床において、掛け布団の上から毛布を一枚足した。

「乾燥するからエアコンは消すよ?これで寒くない?」

「うん」

「水届く?」

「ん」

 晩ご飯のあとに飲んだ痛み止めが効きだしたのか、伊織君は眠そうに目を閉じたままで頷く。伸びた前髪が彼の額に落ちて目元をこすっている。毛布に半分ほど顔を埋めていて、子供みたいに見えた。

「おやすみ、伊織君」

「・・・んー・・・」

 私は電気とエアコンを消すと、出来るだけ静かに二階へと上がった。

 自分の部屋のベッドに倒れこんで、脱力する。

 ・・・・・・ああ〜・・・疲れた。

 だけど綾がどこにいるかが判ってよかった。無事なのも判ってよかった。伊織君も無事でよかった。これで入院とかになってたらもっと大変なとこだった。彼が家にいるのは微妙だけど、私には会社もあるし、自分の部屋もあるんだから別に問題ないよ、ね?

 そうだ、いいことの方が、多かったじゃない――――――――・・・

 何とかベッドの中に入り込んだら、そのまま眠ってしまった。

 夢も見なかった。



 朝、目覚ましをとめて起きる。

 寝ぼけたままで枕元の携帯のチェックをする。

 今日着る服を選んで鞄の中身を確認する。

 それを全部持って一階へと降り、洗面所へいくときに、それが目に入った。

 ――――――――ええっ!?何かがあそこに居る〜っ!!!うっきゃ〜・・・

 驚きで思わず叫びそうになったのを何とか飲み込んで、私は激しく音をたてる胸を手で押さえた。

「・・・あ、そうか」

 そうだ、伊織君が一階で寝てるんだった!

 台所の窓から入る朝の光では、玄関近くに布団を敷いた伊織君までは届かない。薄暗い部屋の奥に何かこんもりとしたものがあって、寝ぼけていた私を驚愕させたわけだ。

 私はまだ心臓をドキドキさせながら、何とか静かに洗面所へと駆け込んだ。

「・・・うわああああ〜・・・びび、ビックリしたああああ〜・・・・」

 はあ〜、そうだったそうだった!昨日あんなに苦労したんじゃん!どうして忘れるかな、全く。

 いつもは一階で一つしかないエアコンをつけて台所の足元を暖めるためにある小さなストーブもつけて、テレビを観ながら着替えたりご飯を食べたりするのだ。だけど、今日はそういうわけにはいかない。

 相手は綾じゃないのだ。まさか成人男性の前でテレビを観ながらブラをつけるわけにはいかないではないの!いくら眠っているとはいっても、それは出来ない。

 仕方ないから人が一人入ったら身動きも難しいほどの狭い洗面所で着替えをする。えらく寒い。それに、くそ、ここでストッキングをはくのは無理かもっ・・・下手したら破れちゃうよこれ!

 また二階に上がって着替えるのは面倒くさいので、何とかそこで着替え、洗顔をして髪を整える。あ、でもそうか!パジャマもソファーに置き去りってわけにはいかないんだよね!だってソファー退けて布団敷いたもんね!ため息をついて、結局私は自分の部屋まで上がり、パジャマを放り込んで下へと戻る。

 朝から膝が鍛えられるわ〜。

 規則正しい寝息をたてている伊織君を起こさないように、出来るだけ静かに朝食を作り、テレビの音量を下げてテーブルについた。

 行儀が悪いのは百も承知だが、朝食を食べながらの化粧はやめられない。だってこれをしないと電車に乗り遅れるのだから。

 軽く焼いたパンを口に突っ込みながら化粧水を塗りこみ、乳液も塗りこみ、日焼け止めを兼用している化粧下地を塗る。ファンデはしない主義だ。粉だけを軽くまぶして、眉に墨を足す。アイシャドーもなしでマスカラだけ。これで私の毎朝の化粧は終了。

 手を洗ってから昨日の残りのご飯でお握りを作り、ラップをしてお茶と一緒にテーブルに置いておく。伊織君が起きたら食べるだろう。

 コートを着て鞄を持ち、テレビを消す。そして出来るだけ静かにパンプスをはいて、玄関のドアをしめた。

 ドアを閉めた瞬間に、は、と詰めていた息を吐き出す。

 ・・・あ〜・・・気を遣うわ。ま、今日は初めてだから仕方ないかもだけど。きっと慣れたらそんなこともなくなるよね。

 私は自転車に乗って駅へ向かう。これからは、いつもの平日の朝と同じはずだ。



 会社にいる間は、さほど気になってなかった。

 いつもの通り回されてくる書類のデータ化をし、整理し、必要部数コピーしたりメールしたりして上司に振り分けていく。今日の昼食は同じ部署の正社員の人と一緒に食べて仕事の話をし、午後もバタバタと倉庫の整理や来客のお茶だしなどもして、きっかり6時に会社を出た。

「じゃあまた明日〜!」

 そう言ってデートに向かう、華やかな格好の菊池さんに手を振ったとき、はた、と思い当たった。

 ・・・そういえば、伊織君、昼食はどうしたんだろう。

 電車に乗りながら考える。彼も一人暮らしには慣れているはずだ。何せ綾が私と住んでいた3年間は、間違いなく家族とは一緒に住んでいなかったのだから。それに旅にも慣れている。炊事は出来る・・・んだよね?

 よく考えたらそこをまだ知らない。そう思って、私は一人で頷いた。

 いつもは自分用の食材だけでいいのだけれど、これからはそういうわけにはいかないんだった!今晩から二人分いるのだ。それに、彼の昼食だってあまり足に負担をかけなくていいように、台所に立たなくても食べられる何かが必要だよね?

 地元の駅についてから、キャッシャーによってお金を下ろす。

 よし、買うぞ。

 人のために家事をするのは面倒くさい。だけど綾がいなくなってからずっと一人を感じていた私は、若干嬉しかったのかもしれない。案外笑顔で買い物をしていたようだ。会計が終わったときにふと前にある鏡の柱にうつった自分が笑顔だったので、ビックリしたくらい。

 やだ私ったら・・・。気持ち悪いでしょ、にやにやしながら買い物して。

 大量の食材、それに伊織君が昼に食べられるようにインスタント食品も。飲み物類や、暇つぶしにって読みそうな雑誌も。お菓子も。色々買い込んでしまった。

 だけど、別に伊織君は彼氏じゃないし。

 正しくはハウスメイトだし、これだって仕方なくだし、それに的確な表現を探すなら、家族に近いわけだし!だって綾の弟だし!

 よく判らないままに自分に散々言い訳をして、私は思い買い物袋を自転車にのっけて走る。

 空気は冷たく空はどんよりと曇っていて、今にも雪が降りそうだった。

 だけど、何かワクワクしていた。

 それは普段と違う状況だからなのだ、と自分に言い聞かせる。

 心の中で、何度もそう言い聞かせていた。





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