@ハプニング・1



 2月に入ったその日、郵便受けにポストカードが届いた。

 郵便葉書よりちょっと大きいカード。裏面は更紗を着たインドの少女が花畑で遊んでいるような風景で、表面はブルーインクの細い文字。

『塚村凪子様』

 綾からだった。

「・・・あ」

 私はそれを他のチラシや情報紙なんかと一緒に掴み、急いで玄関を開ける。通勤に使っているパンプスを脱ぎ捨てて居間に駆け込み、電気をつけてポストカードを取り上げた。

『ハロー。凪は怒りながらも心配してくれてるのじゃないかと思って。とりあえず落ち着いたので、これを書くね。私は元気です。お金を返しに、必ず帰ります。綾』

 AIR MAILの隣にはINDIAの文字。

 ・・・綾ったら・・・インドにいるんだ・・・。何してるのよ、そこで一体・・・。

 私は居間の床にそのまま座り込んで、しばらくじいっとしていた。暖房をつけてない木造の家はしんしんと冷え込み、その内寒気がしてようやくノロノロとエアコンをつける。

 多分、というか、これはもう絶対、彼氏といるんだろう。そしてとりあえず、無事のようだった。

 筆跡は間違いなく綾だ。彼氏といなくなったのだからインドにいるかもしれない、とは思っていたのだ。綾たちの店の店長さんもそう言ってたし。だけど何が起こったのか判らないし、もしかしたら綾は怪我をしてたりするのかも、もっと悪ければ監禁されてたり、殺されてたりするのかも、と思っていた。

 はあ〜・・・と大きなため息をついた。ようやく安心できた、そう思ったのだ。

 警察には失踪として連絡していて、ある程度の足跡は辿る努力をしてくれたようだけど、結局よくわかりません、てな結果が報告されていたのだ。書置きがあったことから事件に巻き込まれたとは思えない、とかで。

 でもとにかく、インドだろうが、綾は元気でいるらしい。

 ああ良かった。

 私はしばらく放心して座り込んだままだったけれど、携帯が鞄の中でぶるぶる音を立てているのに気がついて、玄関先に放り出していた鞄を取りに行く。

 何だ何だ?今度は何だ?

 そんなことを思いながら、携帯の画面を見る。―――――――おや?

「はいー?もしもしー?」

 通話ボタンを押して言った。携帯の画面にかかれていたのは水谷伊織の文字。伊織君が電話なんて、あの忘れ物の時以来だ。

 すると向こう側ではガサガサと通信状態の悪そうなノイズが。その後、やりますから、と女の人の声が聞こえてきた。

「んー?もしもーし、伊織君ー?」

 ちょっと、そっちからかけてきといて無視しないでよ、そう思いつつ私が再度呼びかけると、もしもし、と女の人の声。

『すみません、水谷さんのハウスメイトの方ですよね?私はスタジオ阿相の学生アシスタントの三上です』

 へ?私は首を捻りながら、そうですが、と返す。学生アシさんが、一体何の用だ?そして伊織君はどこに行った?

『あの、今日水谷さん、撮影で怪我をしまして』

「――――――えっ!?怪我?」

 驚いてつい叫んでしまった。相手の女の子はちょっと早口で喋り続ける。

『それで歩けないので、直帰ってことで送ってきたんですが、道が狭くてタクシーが中まで入れなくて。あの、今、家にいらっしゃいましたらちょっと手を貸してもらいたいんです』

 ええ〜っ!?何よ歩けないって?私は仰天しながら、それでも玄関に走って靴を履く。

「すぐ行きます!」

 携帯を切ってドアに鍵をしめ、暗い道を走り出した。

 一体何だ〜!水谷弟!君はどうなったんだ〜!

 やっと綾が大丈夫だって判ったばかりだったのに、今度は弟がトラブルらしい。もうあの姉弟、本当に私の心臓を傷めつけてくれるんだから〜っ!

 この間弘平に送られた細い路地を走り抜けたら、その路地への入口を塞ぐようにタクシーが止まっていて、いつかの茶髪ロングヘアーの女の子がこっちを見て立っている。

 私が息せきって駆け寄ると、彼女はにこりともしないで頭を下げた。

「ありがとうございます。私が水谷さんに肩をかすので、悪いんですけど荷物お願い出来ますか?」

「え?はい、判りました。いお・・・水谷さんは、大丈夫なの?」

 周囲が暗くて窓の中が見えないぞ、と思っていたら、タクシーの運ちゃんが出てきてドアを開け、伊織君に肩をかして下ろさせた。

「ごめんねー、凪子さん。お騒がせして」

 車内灯に照らされた伊織君が、顔を顰めながらそういう。顔面が歪んだように見えたのは、もしかして笑ったつもりかもしれない。結構痛そうだ。

「うわあ、一体何事なの?」

 言いながら、私はタクの運ちゃんが開けてくれたトランクから、彼のものと思われる旅行鞄や紙袋、カメラケースを取り出す。・・・お、重いな、これ。ずっしりと肩に食い込む鞄や紙袋を両手にもって、ヨロヨロと路地へと回る。

「いやー、仕事中に床で滑って、バランス崩しちゃって――――――」

「水谷さんは捻挫されたんですよ。病院での処置は済んでますから、後は自宅安静です」

 学生さんが、伊織君の言葉を遮って私にむかってぴしゃりと言った。私は一瞬呆気に取られたけれど、ああそうですか、と心の中で返す。この女の子、美人なのに愛想がないのは相変わらず・・・。ちょっと勿体無いと思うよ、あなた。

 伊織君は学生アシスタントさんに体を支えて貰いながら、ゆっくりと歩き出す。

 私はタクの運ちゃんにお礼を言って、見送ってからその後に続いた。

 暗い夜の中、前を行く二人の、白っぽいコートがぼんやりと浮かび上がっている。吐く息も白く、曇った空へとあがっては消えていく。たま〜に前から伊織君の唸り声が聞こえてきた。きっとかなり痛いのだろう。

 重い荷物のせいで厳しい5分ほどを歩いたあと、ようやく家についた。

「たたき、段差がきついから気をつけてね」

 そう言いながらドアを開けて、彼らを通す。伊織君は大きく息を吐き出しながらたたきの上にドスンと座った。見ると顔は険しい表情だし、汗もかいているようだ。よっぽどきつかったのだろう。

 学生アシスタントさんが靴を脱いで上がろうとすると、伊織君が、あ、と手で止めた。

「もうここまででいいよ、三上、ありがとう」

「いえ、私、手伝いますよ。着替えとか大変だし。水谷さんの部屋までお連れして――――――」

「いや、そこまではいい。ここは俺だけの家じゃないし。ごめんね、色々面倒かけて。で、面倒ついでに申し訳ないんだけど、暗室もそのまま放置してしまってるんだ。スタジオの方を頼める?」

 伊織君は座ったままで、彼女ににこりと笑いかける。三上さんというらしいアシスタントはしばらく不満そうに口を閉じていたけれど、その内頷いた。

「・・・判りましたー。じゃあ、絶対安静にしてくださいよ、水谷さん」

「はいはーい。先生には後で電話するけど、会ったら宜しく伝えてね」

「了解です」

「駅までの道判る?道が暗いから気をつけるんだよー」

 大丈夫です、と彼女は言って、私をちらっと見て御辞儀のようなものをぱぱっとしてから出て行った。

 ・・・うーん、愛想がない。私ったらさようならを言う暇もなかったぜ。

 私はとりあえず彼の鞄を居間に押し込んで、伊織君の所へ戻る。

「大丈夫?伊織君。肩貸そうか?」

 アシスタントの彼女と違って私はそんなに背が高くないから、きっとあまり役には立たないだろうけど・・・。そう思いながら言うと、伊織君はいやいやと首を振る。

「家に戻ればこっちのものだよ。折りよくこの一階はたたきを上がればワンフロアーだし、這いずっていくから大丈夫」

 実際そうするのが一番いいのかも、と私も思ったので、たたきを降りて狭い中で彼の靴を脱がせる。

「ありがと、凪子さん。よし、いくぞ」

「頑張って〜!」

 伊織君は巨大な芋虫のように這いずりながら居間へと入って行った。笑うところじゃないのにちょっと笑えてしまって困った。彼は痛みと戦いつつなんだろうけれど、大の男がこんなことをしている風景はそんなに見られるものじゃない。

 私は後ろからじいっと見ながら考える。うーん、もそもそ動くあの背中に上から乗っかってみたら、一体どんな反応をするだろうか!・・・まあきっと、絶叫あげるよね。そのまま動かなくなっちゃうかも。ダメかやっぱり、イジメだよね、それって。

 つい口から漏れそうになる笑いを噛み殺して伊織君のあとをついていく。すると、居間に置いてある小さなテーブルのところで力尽きたのか、伊織君が腹ばいのままでじっとしている。

「どうしたー?もしかしてテーブルで頭でも打ったの?」

 私が覗きこむと、伊織君は床に置きっぱなしにしていた綾からのポストカードを読んでいた。

「あ、それ今日来てたの」

「・・・インドにいるんだな」

「そうね。彼氏と一緒なんだろうしね」

「・・・これ、警察に言う?」

 伊織君が床に這い蹲ったままで私を振り返る。私はちょっと考えて、首を振った。

「伝えたほうがいいのかもだけど、言わなくていいかなー・・・。帰ってくるって言ってるし、まあ今のところは君が私にお金を返してくれてるし、そういう意味では問題がないから。綾が元気だってわかれば、とりあえず、いいの。でも店には居なきゃダメかも。あの人達売り上げ持ち逃げしてるわけだし」

 しばらく考えて、伊織君は頷いた。それからまたよいしょよいしょと這いずって、何とかソファーへと辿り着く。腕の力だけで体を持ち上げて、大変しんどうそうだったけれど、二人用の方ではなく、一人用の綾のソファーへと座った。

「お疲れ様」

 私は床に座って彼にそう言う。

 伊織君はコートを脱いで、額から垂れる汗を腕で拭う。そしてまた全身で息をついて、小さな声で言った。

「・・・あー・・・やれやれだ」



 8時になっていた。

 伊織君を椅子に座らせたままで帰宅してから出来てなかったアレコレをして、私は部屋着でやっとソファーへ落ち着く。

 それでようやく話を聞いたのだ。怪我のことを。

 スタジオである撮影をしていたら、カメラを構えたままで後ろに下がったさい、床に落ちていたビニール袋で滑り、右足首を捻挫してしまったらしい。

「あらまあ〜」

 私がそう同情を込めてそういうと、伊織君は苦笑する。

「来てたモデルさん達の事務所の人のポケットから落ちたものらしくって、阿相先生はカンカンに怒ってたけど、俺は痛いのを堪えてるばかりで何とも言えなくて。とにかく撮影は鷲尾に交代ってことになって、病院に行ったんだ。氷水のバケツの中に足を突っ込まれて、死ぬかと思った」

 そうだろうねえ!私はつい想像して、その死にそうな冷たさに身震いをする。だって今2月だよ!

 伊織君の負傷した右足は居間の小さなローテーブルの上にタオルつきで置かれ、彼はお腹のところでお皿を持って私が取り急ぎ作ったドライカレーを食べていた。




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