B・2



「加納、有難う。聞いた話だと、加納は去年会社辞めたんだって?どうりで見ないなーと思ってたんだよ。辞めて、今は何してるんだ?」

 津田さんがそう言ったから、私はえ?と隣の彼を見る。会社辞めたって?それってマジで?

 弘平はあははは〜と楽しげに笑って頷いた。

「そうなんですよ。もう営業は十分やったかな、と思って。会社にいる間にえらく鍛えられましたし、もう他のことしようかなと思って辞めたんですが、特に何かしてるわけじゃなくて。最近は株とか投資や不動産をみてます」

「へえ・・・。まあ、加納は器用だし、何でも出来ると思うけど」

 津田さんはそう言ってから、人差し指でぱっぱと私達を交互に指差した。

「君達って、まだ・・・?」

「あ、結構前に別れました。ここで久しぶりに会いまして」

 私が即答する。保険会社を出てから破局したので、津田さんは知らなかったのだろう。保険会社は社内恋愛がえらく多い上に特に禁止されてなかったので、社内の人間はお互いの交友関係の情報を結構知っているのだ。

「そうだったのか」

 津田さんが意味ありげにちらりと弘平を見た。それから、私も。その目は、それで正解だよといっているように思えたけれど、それは私のただの願望かもしれない。そう思いたいだけだったのかもしれない。

「今日は失礼しますね。津田さん、頑張って下さい〜!お仕事のお誘いでしたらいつでも歓迎ですので一声下さいませ」

 私がそう言うと、津田さんは優しい顔で頷いてくれる。

「有難う。塚村さんも、色々あるだろうけど、頑張ってね」

「はい!」

 よし、ここに来た目的は完達した。私は津田さんと弘平に頭を下げて、入口へと向かう。すると後ろから柔らかく腕を掴まれた。

「待って、ナギ。送るから」

「へ?」

 何だって?キョトンとしていると、弘平も津田さんに挨拶をして頭を下げ、私の腕を持ったままで歩き出した。

「ええ?いやいや、大丈夫ですよ、私酔ってないからー」

「うん、でも人には酔ったって言ってただろ?ちょっと顔色もよくないし。どうせ方向同じだし、タク拾うから来いよ」

 そう言って、弘平は懐かしい強引さで私を店から連れ出した。

 いえいえ、送ってもらわなくてほんといいです〜!と私が叫びだす前に、弘平はタクシーを捕まえてしまう。わたわたしている内に車内へと放り込まれて、彼は運転手さんに行き先を告げていた。

「引越しとかした?」

「へ?あ、ううん。まだ・・・あそこに住んでる」

 動き出したタクシーの中で、私は出来るだけ窓際に引っ付いて弘平と距離をあけながら、しまった〜!と思っていた。

 もう少しアルコールいれときゃよかった〜・・・。ほとんど素面の状態で、どうして良い別れ方をしなかった元彼と一緒にタクシーに乗らなければならないのだ!くそ。

 相変わらずの強引さで。もう既にタクシーの中。だから、こっそりとため息をついて早々に諦めた。20分くらいだろうし、黙っておこう、そう思って。

 だけど弘平は黙って20分の乗車をするつもりはなかったらしい。窓枠に片肘をおいて手で頭を抑えながら、彼がこっちを見たのが判った。

「ナギ」

「・・・」

「おーい、ナギってば」

「何ですか」

 疑問視をつけずに言ってやった。話す気はありませんって態度で。だけどめげずに、弘平は、ははっと小さく笑い声を上げた。

「そんなツンツンすんなよ。俺さ、謝りたかったんだよ、別れたときのこと」

 ・・・ん?

 私は思わず横目で彼を見る。・・・謝る?謝るだって?嘘でしょ、いつでも俺様で余裕たっぷり、世界は自分中心にまわってるって思っていた弘平が、私に謝る?

「え、どうしたの?子供じゃないんだから、性格ってそんなに変わらないと思うけど」

 私が思わずそういうと、おお、と弘平が呟いた。

「きっついなあ〜・・・。それって俺の性格が悪いって意味?直球で、そういうところは相変わらずだな。まあ前はもうちょっと優しい言い方だったと思うけど」

 私は黙って前を向いた。

 そりゃあベタ惚れしていた時とは違う。あなたには私は散々傷つけられて振り回され、大変だったのだ。最高の幸福と最低の気分、そんな状態が交互におとずれるような付き合いだったのだ。凄く幸せだと感じた次の瞬間には、地獄の底へ突き落とされるような。彼の表情や言葉にいつも一喜一憂していた。

 別れたことは、正解だったと今では思っている。

 だけど、そう思えるまでには辛い日々がいくつも必要だったし、それに綾がいてくれたから乗り切れて、そう思えるようになったのだ。

 綾はよく言っていた。『ぐいぐいって引っ張ってくれる人は頼もしいし素敵に思えるかもしれないけど、あれってちょっとモラハラだと思うよ。俺に任せとけ、お前は黙っとけ、なんて、明治時代じゃないんだから』って。『凪には凪の意見も大事にしてくれる優しい男が出てくるよ、その内、絶対に』って。

 何度も何度もそういわれるうちに、そうかもしれない、と思い出せたのだ。言い方は悪いけど、弘平の洗脳が解けて綾の洗脳を受けた感じ。だけど私が誰かに振り回されるのはもうやめようって、ちゃんと思えたのは綾のお陰だ。

 しばらくお互いに黙っていたけれど、弘平がまた、ゆっくりと喋りだした。

「物足りないからって言って、別れただろ、ナギと。あれをさ、あとでずっと後悔してたんだ」

 無視する。彼はちらりと横目で私を見たようで、ため息をついたけれどまた口を開く。

「俺の環境とか、営業トークとか、外面のそんなものじゃなくて、俺っていう人間をちゃんと見ててくれたのはナギだったんだなあって、よく考える。会社を辞めてしがらみや肩書きがなくなったら、付き合う人間も一気に減るんだよ。出会う女の子も。会社の時は違ったんだなあ、って判った。俺じゃなくて、大手保険会社の営業だった俺が好かれてたんだなって」

 そうか、会社を辞めたと確かさっきも言っていた。私と別れたあと、ここ1年やそこらの話なのだろう。

「でもきっとナギだったら・・・そんなことは気にしなかっただろうなーって・・・」

 私はじいっと前を見ていたけれど、弘平が黙ったので彼に言う。

「・・・肩書きが好きな子だって確かにいるだろうけど、そんな子ばかりじゃないし、弘平はまだモテるでしょう?どうしてそんなにシュンとしてるの?俺は格好いいって自分で言ってたじゃない」

 彼は苦笑した。

「うん、だから、外見ね。会社辞めて、でも実家が金を持ってるって判ったらまた連絡がくるようになった子もいた。ハッキリ言われたよ、『外見が良くても無職じゃどうしようもないって思ったけど、実家がお金持ちなんだってね?だったら何も問題ないよね!』だってさ。それを本人に言うところが凄くない?」

 ・・・それは凄いよね。呆れて、私は頷いた。何て露骨な人なんだ・・・メンタルも強そうな女性だ。

「さすがに腹が立った。祖父や親父の力で大きくなった会社は、俺には関係ない。兄弟も多いし、跡だって継がない。投資がそこそこ上手くいってるから確かに金銭的には困ってないけど、それって俺じゃなくてもいいってことだよな?って。外見なんていつかは崩れるし、金に困ることになったら捨てられるわけ?って。だけど――――――」

 弘平が窓枠から肘をおろして、体を私へ向ける。

「俺だって、そういう面を利用してたんだよなって思った。それで、お前に―――――ナギに、凄く失礼なことしたんだって。お前が俺を褒めてくれるのは、いつも内面の良いところだったのに。性格とか、行動とかだったのに。だから謝らなきゃってずっと思ってたんだ。―――――――ごめんな。別れたときのこと、酷かったと思ってる」

 びっくりした。

 私は驚きのあまり、タクシーの座席でカチンコチンに固まってしまったようだった。

 いつも自信たっぷりで上昇意欲が強く、上の世界ばかりをみているような人だった。

 仕事の事でなかったら滅多に自分の非は認めない。そんな強い態度で生きてきただろう弘平が。

 謝った。

 私に!

 気が済んだのか、弘平は前に向き直る。私はまだ固まったままで、窓の外を景色が流れていくのを呆然と見詰めていた。

 ・・・ごめん、だって。

『申し訳ないけど、お前といると退屈。金銭感覚とか価値観とかもちょっと違うし、もう会うのやめよう。お互いもっと合う人がいると思う』

 そう言って、一方的に去って行った彼。

 まさか、その時の事を謝られる日がくるとは。

 ドキドキと心臓がうるさい。弘平に聞こえたら嫌だから、私はゆっくりと深呼吸をする。

「・・・えっと、うん」

 小さかったけれど声を出した。隣で彼がこちらを見る気配。

「私は大丈夫。だから、もう気にしないで」

 とにかくそう言った。胸が一杯で、これ以上はとても。今はともかく、綾に会って話したかった。ねえねえ聞いてって。何と弘平がね、謝ってくれたんだよ!って。きっと彼女は飛び上がって驚いて、アルコールの準備をするはずだ。ちゃんとおやつも準備しよう、凪、今夜は徹夜で話そう、そう言って―――――――――

 タクシーが止まってハッとした。

 財布を捜してワタワタしていたら、弘平がさっさと払ってしまった。そして一緒に降りてくる。

「え?帰らないの?」

「いや勿論帰るけど。ここの路地細くて長い上に暗いだろ?もう最後まで送っていくよ。タクはまた呼べばいいし」

 いいよ、そんな、と言い出せないままに、弘平はスタスタと我が家に向かって歩き出す。急いで追いかけた。

 私が借りている家は下町の、ぐるぐると細い道が入り組んだ路地の端っこなのだ。タクシーで大通りにとまり、そこからは5分ほど歩かなくてはならない。何度も来たことがある弘平はそれを知っていた。

 冬の夜で冷たい風が吹き、人気が全くない細くて曲がり角の多い道。ぽつんぽつんと外灯があるけれどやっぱり暗く、実際夜に一人でここを歩くのは怖いので、私は有難く受け入れることにした。

「ありがとー」

「ん」

 ぶらぶらと歩いていく。誰かとここを歩くのがとても久しぶりだった。いつもは自転車で疾走するこの道。この前誰かと歩いたときは、やっぱり相手は弘平だったのだ。あの時は手を繋いでいて、春だった――――――――

「着いた」

 玄関灯の光をみて私はホッと息をはく。そして、弘平に向き直って頭を深深と下げた。

「どうもありがとう。お陰さまで無事に辿り着きました」

 弘平はははは、と軽やかに笑ったあとで、ちょっと悪いんだけどさ、と言う。

「水一杯くれないか?ちょっと酒が回ってるんだ」

「え」

 私は思わず後ろを振り返って家を見た。2階の窓、今は伊織君が使っている部屋は真っ暗で、誰もいないようだ。だけど、伊織君の予定はどうだったっけ?彼は今日本にいるんだよね?今日はいつ帰ってくるんだっけ?

 予定が思い出せなくてうーんと悩んでいると、弘平が呆れた声で言った。

「水だけ飲んだら帰るよ。今日は綾さんは?」

 一瞬、ぐっと詰まった。

「綾は・・・居ないの。じゃあどうぞ」

 言いながら鞄から鍵を取り出して、上も下も開ける。

「えらく鍵を頑丈にしたんだなー。まあ防犯面ではそのほうがいいよな。ちょっと物騒だって前から思ってたんだよ、この家」

 弘平がそう言いながら玄関へ入る。私はヒールを脱いで台所にいき、エアコンをつけてから冷蔵庫からミネラルウォーターを出してコップに注いだ。

 台所の電気はいつもつけっぱなしでいくのだ。その他は真っ暗で、部屋は冷え切っている。どうやら伊織君はいないらしい。

「はい」

「あ、サンキュ」

 弘平は前に立ち、そのままでゴクゴクと飲む。言い飲みっぷりだ。本当に喉が渇いていたらしい。

「もう一杯いる?」

「うん、頼む」

 そう言って彼がコップを渡す。それをシンクに置いて、私はもう一度冷蔵庫を開けようとして、そのままで凝固した。

 急に後ろから回ってきた大きな手が、私を抱きしめたからだ。

 ――――――――え。

 弘平はぎゅうっと私を後ろから包み込んで、息を大きく吸う。彼の口元が私の耳の側にあって、その感触に思わず体が震えた。

「う、わっ・・・わあ!?」

「あー、やっぱりいいかも。ナギの香りだ」

「え・・・ちょっとちょっと!?」

 慌てた私が離れようと体に力をこめると、弘平も力をいれて抱きしめてくる。

 うっきゃああああああ〜っ!!!





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