B鉢合わせ・1


 段々と寒さが増してきて、そろそろ冬の底か、と思える1月の最後の土曜日の夜、私は珍しく着飾って、都会へ向かっていた。

 今、派遣されている銀行の前に行っていたのは保険会社。そこで私は綾や菊池さんと知り合ったわけだけど、同じようにそこでお世話になった保険会社の社員さんに、津田さんという男性がいる。その時の彼の役職は課長だったはずだ。まだ若いのにやり手のファイナンシャルプランナーで、彼の机が私と同じ部屋の中にあったことから、色んなことを指導してもらったのだった。

 すらっとしていて銀縁の眼鏡をかけ、そして控えめ。インテリ雑誌専門のモデルさんのような外見をしているが、滅多に口を開かない上に笑わないので最初はものすごく近づき難い印象だった。だけどいざ話してみるとゆっくりと丁寧に話す男性で、話上手で愛想も調子もいい営業ばかり大量にいる保険会社の中では、色んな意味で目立つ人だった。

 その津田さんが、この度独立することになったらしい。

 保険会社に今でも勤める内勤の友達経由で電話がまわってきて、お世話になった皆でお祝いをしようということになったのだった。

 津田さんは同じ保険会社に勤める事務職の女性と結婚したらしく、子供さんも生まれて生活が安定した上に様々な人脈からの応援もあって、独立を決めたようだった。

 まあ、あの人なら何でもうまくやるだろう。私は一人で電車の中でうんうんと頷く。

 夜はやっぱり冷えるけれど、今晩だけは冷えよりも見栄えを優先させなければならない。というわけで、私は膝丈の紺色のシンプルなドレスをきて、アクセサリーで飾り、ストッキングにヒールをはいていた。

 大きな駅へ電車は滑り込む。ここで、菊池さんと待ち合わせだ。

 彼女の可愛い笑顔を思い浮かべながら、私は改札口へと降りて行った。


 パーティーは繁盛していた。

 最近出来たばかりというバーを借り切っていて、薄暗い照明の中、着飾った男女が談笑している。途中でやってきた主役である津田さんに皆で歓声をあげ、花束を渡し、拍手する。

 今では37歳くらいだろうか。私生活が充実しているからか、前よりもよく笑うようになった津田さんは、印象が柔らかくなっていた。皆さん、ありがとうございます、と簡単に挨拶をして、友達にカウンターへと誘導されていく。

「うーん、相変わらずいい男だわ〜!!」

 菊池さんが私の隣で、他の人と話す津田さんをじいっと見詰めながら言う。彼女は3杯目のカクテルを飲んでいて、すでに十分酔っ払っていた。声が大きくなっている。

「本当だねえ。前から格好良い人だったけど、なんか優しい雰囲気になって更に男っぷりが上がってるよね〜」

 私は会場の暑さと人の多さに酔ってしまって、お酒はさほど飲まずにカナッペを齧る。菊池さんは津田さんから目を離さずに言った。

「ほら、津田さんの奥さんてあの北支社の宝物とか呼ばれた仲間女史でしょ?本社でも別の支社でも有名だったもんねえ。有能で、馬みたいに働くのにえらく美人で、ちーっとも焦らないとか。津田さんが射止めるなんてって皆で盛り上がったよね〜!覚えてるわ〜!色々聞いたでしょ、塚村さんも!」

「うーん・・・。仲間さんって名前は何となく覚えてる。綾から何度か聞いたことがあるような・・・。でも津田さんが結婚なさったときは、私もう居なかったからねえ。お祝いの電報は打ったけど、奥さんを直接みてないのよ。・・・そんなに美人?」

 ようやく津田さんから目を離して私に向き直り、菊池さんは大きな声で言う。

「そりゃあもう!!バービー人形が生きてたらあんな感じじゃない?っていう人がいたくらい」

 ・・・その例えはイマイチわからない。

 首を傾げる私から視線を津田さんに戻して、菊池さんが言った。

「いいのよ。とにかく美女なの!というか、あの時北支社って美男も美女もごろごろいたのよねえ。ここは金融会社じゃなくてモデル事務所なの?って思うくらい姿形のいいのが、あっちにもこっちにも」

 あの人とかあの人とかあの人とか!私は興奮して名前を次々にあげる菊池さんに苦笑して、何か食べたら、と誘う。これ以上この子にお酒を飲ませたら、酔いにまかせて何かをしでかすかも知れない。

 夏に我が家での小さなパーティーに招いたときも、最後は酔っ払って前後不覚になっていたものだった。それで菊池さんの彼氏に綾が彼女の携帯で電話をして、迎えにきてもらったんだった。

「ほら、アルコール以外のもの、何か口にいれて」

 私がもう一度いうと、彼女ははいはいと呟いて、ビュッフェテーブルの方へと向かっていく。それを見てから、私は窓際へと移動を開始した。

 津田さんの人望の結果なのだろうから素晴らしいことだけど、こうも人が多くちゃ暑いしうるさくてたまらない。ちょっと外の空気でも吸って――――――――――

 その時、後から肩を叩かれた。

「ナギ!」

 ―――――――う。

 ・・・この、カタカナに変換されるような独特の呼び方は・・・。私はピタッと止まって、それでも振り向かずにちょっと顔を顰める。全身が一気に緊張したのが判った。

 そうか、あなたも来てたのね。そしてこの人ごみの中でも見付かってしまったのね。

 相手が私の肩に触れたままで、前に回りこんでくる。私は渋々顔を上げて、彼を見上げた。

 元彼の、加納弘平だ。

「・・・あ、久しぶり・・・」

 微笑むことはしなかったけれど、しかめっ面はやめておいた。

 この人と別れたのはもう1年半前の夏の話で、その時出来た傷は誤魔化し誤魔化しした挙句塞がっていたけれど、再会を喜べるような終わり方ではなかったのだから。

 この世で一番、出来るなら会いたくない人だった。

「やっぱりお前も来てたんだな。津田さんにはお世話になったもんな」

 弘平はにやりと笑った。

 さきほど菊池さんが言っていたように、私が保険会社に勤めていた当時、都心の北にあることから北支社と呼ばれていたところほどではなくても、会社には美男美女が大量にいたのだ。

 付き合っていた加納弘平もその一人。私や津田さんと同じ本社の6階、第4営業部で働く、2つ年上の営業職員だった。

 今では31歳になっているはずだ。別れたときから比べるとちょっとふっくらしたようだけれど、相変わらず自信に満ち溢れ、元々端整なその顔が一番魅力を発揮すると知っている、やんちゃな笑みを浮かべている。

 美男子で、自信満々。そして実家がゴム工業で大成功して、その後不動産にも手を出し、どんどん資産を増やしている、お金持ち。彼には兄弟が4人いて父親のあとを継ぐわけではないそうだが、それでも立場としたら大企業の社長の息子で、庶民の私から見たら雲の上のお金持ちなのだ。

 判るでしょ、イケメンでお金持ちの彼氏と、平凡で庶民中の庶民である私の付き合いが、あまりうまくいかなかったことは。

 弘平は営業としても出来るほうだったからあちこちでモテまくっていたのに、派遣社員で目立たない私を彼女に選んだ。

 それを、当時の私は宝くじが当たったようなラッキーだ、と思い込んでいたけれど、物事にはちゃんと理由があるんだって後に思い知ることになったわけだ。

 彼は簡単には自分になびかなかった私が珍しかっただけ。

 私が彼に対して普通もしくはそっけない対応だったのは、それはまさか自分が相手をしてもらえるとは思ってなかったという自信のなさから来ていた行動だっただけで、いざ付き合ってみれば他の女と同じように彼にぞっこんになり、それなら美人で社会的地位も自分と同じくらいの女がいい、と気がついた彼によって捨てられたわけだ。

 ・・・痛い記憶だ。弘平は私をぞんざいに扱ったわけではないが、やっぱりシンデレラストーリーなんてないんだ、と私は頬を引っぱたかれたような気持ちだったのだ。見分不相応だって耳元で絶叫された気分。

 その彼が、目の前に立っていた。

 私が心底好きだった笑顔をして。

 それはやっぱりとても格好よくて、懐かしさと共に痛みも思い出す。完全に心が壊れてしまった、と思えたあの頃の痛みを。

 私はそっと体をまわして彼の手を肩から退け、心の中で10カウントして、ようやく笑顔を浮かべる。そして言った。

「そう、津田さんにはお世話になったから。・・・加納さん、元気そうだねー」

「加納さん?弘平でいいよ、今更だろ。お前はちょっと痩せたか?髪がのびていて一瞬ナギだって判らなかった」

 そりゃ、1年半も経てばちょっとくらいは変わるでしょうて。私はそんなことを心の中で思いながら、周囲を見回す。

 津田さんの広い人脈の、あちこちから来ているらしい人々。保険会社の人達は顔を見たことがあるっていう人も何人かいたけれど、それでも大多数は知らない人ばかりだった。

 呼んでくれた元同僚とは話して招待のお礼も言ったし、弘平と一緒にいても居心地が悪いだけだ。そろそろ津田さんに挨拶して帰ろうかな。

 私がそう思って津田さんの姿を探していると、こっちへやってくる菊池さんが目に入った。お、いいところに!弘平と二人なのはあまり嬉しくないので、彼女を巻き込もう。

「菊池さーん、ちゃんと何か食べた?」

 声を張り上げて彼女を呼ぶ。菊池さんはキョトンとした顔で周囲を見回して、私と弘平を発見した。

「あ、いたいた塚村さん!それに加納さんもいるー。お久しぶりです」

 さっきよりは興奮がさめた様子で菊池さんはこちらへ歩きながら、にっこりと微笑んで弘平に言う。私の後ろに立つ弘平が、よお、と挨拶をした。きっと片手を上げているはずだ。

「菊池さん久しぶりー。元気そうだな。今はどこで働いてるの?」

「あ、銀行ですよ〜。塚村さんと同じところ。たまたま派遣先が一緒で嬉しかったです。お昼一人で食べるのって寂しいから」

「知らないところでだったら余計そうかもね。あのラグビーの彼氏とはまだ続いてる?」

「はい、まだ仲はいいですよ」

 彼らがニコニコと世間話を始めたので、私はよしここが頃合だ、と思っていきなり口を挟んだ。

「ごめんね、話してるとこ悪いけど。もう暑いしちょっと人にも酔ったから、私はこれで帰るね」

 え?と二人が同時に私を見る。

「もう帰るの?えー、私はまだ飲み足りないのに〜」

 菊池さんがそういうのに、私は彼女の肩をポンポンと叩く。

「まだ居て飲んだらいいと思うけど、チャンポンするのはやめといてね。月曜日に職場で失敗談聞かされるのは嫌だから」

「うっ、言い返せないのが辛いっ・・・!でもまあ気をつける〜」

 じゃあね、と彼女に言って、弘平はスルーして歩き出す。すると後ろからヤツがついてきたから、立ち止まった。

「・・・どうしてついてくるの?」

「いや、俺ももう帰ろうと思ってたんだよ。お前が津田さんに挨拶いくなら俺も、と思って」

「・・・あ、そうですか」

 小声で呟いたところで、弘平が、あ、と言った。

「津田さーん!居た居た」

 振り返ると今日の主役、実は結構近くにいたらしい。

 津田さんはダウンライトの灯りの下、眼鏡の奥で目を細めて私達を見た。

「ああ、塚村さんに加納だ。久しぶりだな」

 おお、私のことを覚えてくれている!そのことに嬉しくなって、私はウキウキと津田さんへ近寄る。

「津田FP!・・・じゃもうないのか。わーい、覚えてて下さったんですね、役立たずの派遣のことを!」

 そう言うと、津田さんはあはははと軽く笑った。・・・やっぱりかなり柔らかくなってるよね。前は、かなり冗談を言ってもにこっともしない人だったのに。

 質がいいものだと一目で判る黒いジャケットに、ノーネクタイで白シャツの前をあけてさらっと着ている。随所に余裕が溢れていて、大人の男性だった。

「塚村さんは役立たずじゃなかったよ。しっかり仕事をしてくれてた。今日もわざわざ来てくれたのか、有難う」

 おお、何て優しい言葉を!嬉しいぞ!私はテンションを上げながら言う。

「いえいえ!津田さんが独立するって聞いたから、もう是非と思って。おめでとうございます!一国一城の主ですね〜!」

「そんな大したものじゃないんだけどね。でも小さくても自分の名前の事務所もつってなったら、やっぱり背筋が伸びるよね」

 以前より男っぷりが上がっている津田さんが、そう言って微笑む。うーん、いい男だ!以前のクールビューティーだって素敵だったけれど、やはり外見のよろしい男性が微笑むのはもっといい。その奥さんを一目見てみたかったなあ〜。それぞれが素晴らしいなら、その二人が並んだら一体どうなるのだ!

「おめでとうございます。流石ですね」

 弘平が隣からそう言った。浮かべている笑顔は女性に見せるやんちゃなものではなく、憧れの先輩に見せるそれだ。




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