バウンス・ベイビー!後編


 明るく輝く駅前に行きたくなかった。

 だってこんなに悲しいのに。

 あんな明るいところへなんて。私、一人で。一人っきりで――――――

 鼻が詰まって、涙がこぼれる。うわあ〜・・・私ったら泣いてるよ〜・・・。ダメよ、そんな。情けない。余計惨めになるじゃない・・・。

 だけど涙が止まらなくて、私は夜の公園で一人途方に暮れる。

 ・・・ああ、どうしたらいいんだろう。

 その時、手に握り締めていた携帯電話が突然振動をはじめたので、私はびっくりして悲鳴を上げた。

「うわあ!」

 マナーモードにしている携帯がブーブーと震えている。心臓をドキドキ言わせながら画面を見ると、知らない番号だった。

 不審に思って一度は無視する。だけど一度切れたあともまたかかってきたから、これは私に用がある人なんだろうな、と思って恐る恐る通話ボタンを押した。

「・・・はい?」

『あ、千秋?えーっと、俺、平野です』

 あ。

 私はその場でがばっと立ち上がった。平野?平野ーっ!??

「え、平野!?え、だって電話番号・・・」

 混乱した私がそう叫ぶと、電話の向こう側でヤツはせかせかと話し出した。

『昨日不注意で水につけちゃって、電話壊れたんだよ。ごめん、それでずっと連絡出来なくて』

「え・・・あ、そうだったんだ・・・」

 力が入っていた全身がすっと緩んだのが判った。平野は続けて話している。

『千明の電話番号うろ覚えで、どっかに書いたよなって探すのに手間取って。えーっと、それで今どこ?俺、作業場の前に来てるんだけど、もう閉まってるじゃん』

「え!?会社に来てるの?」

 私はつい叫んでしまった。あっちはあっちで私を迎えに行ってたとか!何よこのすれ違い〜!

「あの・・・今日はリーダーが張り切って仕事してね、かなり早く終わって・・・」

 あははは、と電話の向こうで平野が笑っている。高峰さんてこういうの可愛いよな、なんて言って。そのいつもの平野な感じに私はホッとしながらも、今更ながら怒りが湧いてきた。

「で、私は今、平野の家に来たのよ」

『え?』

「そしたら部屋は空っぽで、君とはずっと連絡がとれず、これはきっと振られたってことなんだなって思って、まーっくらな公園で打ちひしがれていたところ」

 電話の向こう側が沈黙した。

 私は突っ立ったままでその沈黙に眉をひそめる。どうするの、平野。一体なんて説明するつもり―――――

『ごめん』

 低くて小さな声が聞こえた。

『本当、悪かった。タイミングがあわなくて、知らせられなくて』

 返事が出来なかった。だけど、電話から聞こえてくるその声は、心底そう思ってるんだって伝わる真剣さがあった。

『駅で待ち合わせしよう。手間かけて本当に悪いけど、こっちまで戻ってきてくれないか?』

「・・・わかった」

 私はそれだけを言って電話を切る。そして、鞄を引っつかんで歩き出した。キラキラと輝いている、楽しそうな駅前に向かって。何がどうなっているのかはいまだに判らない。だけど、どうやら平野に嫌われたわけではないらしい。それが判れば嬉しかった。とにかく会いたかった。顔を見て、話を聞きたかった。

 期待していたクリスマスとは全然違う。だけど、会えるなら―――――

 私の会社の最寄駅のホームで、平野は待っていた。

 黒いコートの下はまだスーツ姿で、どうやら仕事帰りに直接きたらしいとわかる。電車の窓越しに、手も振らずにしばらく見詰め合う。

 ・・・何か、久しぶりだ。髪がちょっと伸びてる。真面目な顔。きっと私が怒ってるんだって思ってるんだろうな・・・。怒ってるけど。ドアがあいて、私は他の乗客と一緒にホームへと流れ込んだ。じっと見ていた平野が近寄って、私の手を取り、そして微笑んだ。

「・・・やーっと、会えたな」

 私は泣きそうになって言葉に詰まる。もう、ここは駅のホームなのに・・・。やめてよこんなところで・・・。人ごみの中、私を引き寄せた平野がふんわりと抱きしめる。私はゆっくりと彼の背中を手でさすった。

 ああ、平野だー・・・。この匂い、やっぱり嬉しい。

「おいで。連れて行きたいところがあるから」

 体を離して手を繋ぎ、平野が先に歩き出す。

 私はぼうっとしたままでそれについていった。

 彼が私を連れてきたのは、駅から歩いて10分ほどの小奇麗なアパートだった。そこの2階へあがって、一つのドアの鍵を開ける。

「平野、ここって・・・」

 ドアを開けて通してくれながら、平野はにっこりと笑う。

「新しい部屋。おとつい引越ししたばかりで、バタバタだったんだ」

 前の部屋とは広さが全然違っていた。2LDKで、お風呂と洗面所も別々についていて、広い台所がある。

「・・・ここ?えらく広いところにしたんだね。それに―――――・・・あ」

 先に通されて進んだ私は、ダイニングと思われる部屋の入口にきて、声を失った。

 ダンボールが端に詰まれたその部屋の真ん中に、新しいダイニングセット。そのテーブルの上には、数本の蝋燭に照らされた、ケーキが置かれていたのだ。

 白くて太い蝋燭に挟まれて照らされる、大きなホールケーキ。贅沢にホイップがのせられて真っ赤な苺とサンタの砂糖菓子が飾られている。

 ―――――クリスマスケーキだ・・・。

 私はゆっくりと近づいて、その可愛いケーキに見ほれる。・・・サンタまでついてる。金色のリボンの細かい装飾にため息が出た。

「サプライズにするつもりはなかったんだけど」

 後ろで平野の声がして、私は振り返る。

「結果的にそうなっちまったな」

 彼はニコニコ笑っていた。暗くて寒い、しかもダンボールが大量においてある部屋で、えらく幸せそうな笑顔だった。

 私は体から力が抜けるのを感じた。そして、ようやく笑顔になる。

「・・・ケーキ、だけ?夕食は?」

「あー、それは用意できなくて、えーっと、一緒にスーパーに行こうかなあ〜と・・・」

「ふふふ」

 鼻の頭をかく平野が可愛かった。私は頷くと、とりあえず蝋燭の火を吹き消してケーキは冷蔵庫にしまう。それから平野にエアコンをつけてもらって、一緒に買い物に繰り出した。

 時間の遅いスーパーには食べ物はほとんどないかと思いきや、まだ売れ残っていたクリスマスディナーがたくさんあって、私達はあれこれ悩みながらいくつか買う。それにワインも。そしてまた平野の新しい部屋に戻ってきて、ちょうど温められたその部屋で、乾杯をしたのだ。

「色々、本当にごめん」

 平野は何度もそういって謝った。この部屋が見つかって、気に入って即契約したら、もうすぐに住みたくなったんだ。そう言って苦笑する。それでバタバタして、色々手配して仕事も半日休んで引越しできたと思ったら、掃除している間に携帯が沈没して。

「千明に連絡できないし、よく考えたら全然話せてないって気がついて。きっと怒ってるだろうと思って、今日は直接迎えにいくことにした」

「うーん・・・。だけど見事なすれ違い!」

「本当に見事だったな。申し訳なかった。本当はこんな予定じゃなかったんだ。でも結局こんなことになって・・・」

 私はもういいよ、と手を伸ばして彼の肩を叩く。この数日、彼が死にそうに多忙だったことはもうよく判ったから。

「蝋燭つけに一回戻ったの?」

 気になっていたことを聞くと、うんと頷く。私の会社までいったらもう閉まっていたから、私に電話をかけたあとで、ここに戻っていたらしい。

「とにかく蝋燭だけでも!って。真っ暗な中にケーキだけ置いてても、見えないだろ?」

「まあそりゃそうなんだけど。ちょっと危ないよ」

 無人の部屋で燃える蝋燭。アレコレと必死な様子の平野を想像してつい笑う。

「それにさ、ここちょっと広すぎない?それに家賃も高いんじゃない?大丈夫なの?」

 ようやく空腹からも開放された私が、ワインを飲みながらぐるりと見回す。部屋も二つあるし、それはどれも6畳くらいありそうだ。これって新婚さん用のアパートなんでは―――――と思った時、だからさ、と前から平野が私の手を握った。

「・・・一緒に、住まないか?」

「え」

 驚いて顔を上げると、ばっちりと目が合った。

 平野が椅子の後ろに置いていたらしい小さな紙袋を持ち上げて、その中から綺麗な小袋を取り出す。

「プレゼント」

 渡されたそれを手のひらの上で逆さにむけると、銀色の鍵が落ちてきた。

 ――――あ・・・。

「中々会えないから、一緒に住めばいいんだって思って。千明と同じ部屋に帰りたいって思って」

 平野は照れたのか、小声でそう言って視線を外す。

 あたしは手のひらの鍵をしばらく見たあと、顔を上げた。

「・・・それで部屋を探してたの?」

「そう」

「私の意見もきかずに?」

「う・・・そう」

「それでここに決めちゃったの?」

「・・・う、うん」

「私の了解もないままで?ならどうして始めからそうだって言わなかったの?」

「・・・・ごめん」

「もう平野ったら!」

 やっぱり私は笑ってしまった。その凹んだような顔を見ていたら、どうしても笑いがこみ上げてきたのだ。一緒に住もうと部屋を探していた?全く、それならそうと、どうして言わないのよ〜!

「ここだと千明の職場はすごく近いだろ?ここは最寄り駅が二つあるから俺の通勤も楽になる。それにお風呂欲しいってずっと言ってたから、いいかなと思って・・・」

「あははは、お風呂って。うん、そりゃお風呂があったら嬉しいんだけどね、それはそうなんだけど。でも、ねえ、私に断られたらどうするつもりだったの?」

「え?」

 ヤツはぽかんとしている。そんなことは思ってもみなかったようだ。

「――――嫌か?」

 全く。その自信は一体どこからくるのよ〜。私は涙が出るほど笑ったあと、立ち上がって鞄を取る。それから、困った顔で座っている平野にはいと差し出した。

「プレゼント、だよ」

「え、あ・・・ありがとう」

「開けて」

「うん。今?」

「そう」

 私は微笑む。プレゼントはキーケース。このタイミングで完全なプレゼント。彼からは鍵、そして私からは鍵入れ。これって奇跡?もしかして、これがクリスマスの神様の粋なはからいってやつなのかもね。ちょっと酔って赤くなった顔で、平野がプレゼントをあける。そして箱の中身を確認して、嬉しそうに笑った。

「これって―――」

「私とお揃いなんだよ。・・・これで同じなのは鍵だけじゃないね」


 これからは、同じ部屋に帰れるね。

 二人のファーストクリスマス。完璧じゃなかったかもしれないけれど、でもそれでいいのだ。笑顔と優しさ。それがちゃんとあったから。

 平野が立ち上がってテーブルをまわる。

 そして、笑いながら私を抱きしめた。

 私は彼の胸に顔をうずめ、思いっきり平野の香りを吸い込んだ。


 カーテンがまだかかっていない窓の外には白い粉雪。とうとう降り出したそれは、明日の朝にはちょっとは積もっているだろう。

 私達は二人でそれを眺めるはず。


 同じ部屋から、手を繋いだままで。




「バウンス・ベイビー!」クリスマス編終わり

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