山神様にお願い 前編





 「コントロールしようとしないでくれ」

 そう言って、店長・・・もとい、トラさんは部屋を出て行った。



 その時の、無表情が忘れられない。

 狐目の切れ長の瞳が、厳しい色を浮かべて私を見ていた。いつもの軽口もなくて、厳しくて冷たい雰囲気を背中にまとって行ってしまった。

 私はパジャマのままで、両手を脇におろして拳を握り締め、立っていたのだった。

 ―――――あんな顔、するなんて。

 驚きで呆然となったあとには、迫りくる寂寥感に対処するのに精一杯だった。・・・私は、そんなに悪いことを言ったのかな?


 大学生の最後の年に1年足らず働いた居酒屋「酒処 山神」の店長である夕波虎太郎と同棲を始めて半年経っていた。最初は店が休みの前の晩から来るくらいだった彼は、5月には部屋の更新が来たからちょうどいいかと思って〜などと言いながら完全に一緒に住むようになったのだ。今は12月で、外の世界は秋から冬に変わろうとしているところ。よく考えたら今日は23日なのだ。あと二日でクリスマスがやってくる。そのせいで、街中煌びやかに装飾されていたし、クリスマスキャロルなんかも流されていた。

 恋愛が盛り上がる季節。しかも私には恋人がいる。なのに――――――どうして一人でいるんだろう。

 私は自分が休みの日曜日、泣きたい気持ちでクッションを抱いて転がっていた。トラさんが、いない部屋で。

 多分、変わったのは私だったのだろう。新社会人として会社でもまれ、朝の通勤電車から始まって夜の電車まで、今までとは違った世界が広がっていて、私はそこにどっぷり浸かってしまったのだった。スーツを着て働く男性に慣れたし、日本社会での「一般常識」にも慣れてきた。TPOにあわせて服を変えるとか、いつでも腕時計で時間を確認して行動するとか、そういうことに。

 だけど、付き合っている男の人は所謂サービス業の人。仕事するのは夜だし、休みは基本的に平日。仕事着がTシャツとジーンズで、仕事帰りに待ち合わせしてちょっとお洒落なレストランで夕食をってわけにはいかない。

 気にしてなかった。学生のときは、勿論。大体店長は私より6歳も年上で、全てにおいて彼の方が余裕があったのだ。私はいつも手のひらで転がされるだけで、憧れをもって彼を見つめていたのだった。

 それが、最近では気になりだしてしまったのだ。彼の色々なところが。

 ・・・というか。もっと、ちゃんとして欲しくて。

 毎日着ているだらーんとしたTシャツじゃなくて、たまにはキチンとした格好をして欲しい。髪の毛が伸びてるのも気になるし、休日に友達と遊んだりしないのかって気になる。会社のメンバーで飲み会があったりすると、行くなとは言わないけれど高確率ですねるし、男性が混じっていたら不機嫌になる。それも最初は嬉しかったけれど、何度も続くと鬱陶しくなってくる。

 私がそういうことを言うと、トラさんは決まって呆れた顔をして言ったものだ。『だって、シカ、それ無理でしょ。そのキチンとした格好で俺、一体どこにいくわけ?』って。たまの休日があえば二人で家でまったりすることが多いし、確かに言うことはもっともなのだ。それにこれも『服装規定がある店じゃないからねえ〜。だって龍さんなんか、どうするの。また長髪になってきてるし、今では茶髪でなくほぼ金色だよー?』とか、『俺の友達って・・・そんな上等なもんいないけど、いてもつるんで行くのはキャバくらいだよ。行っていいわけ?』。

 勿論そんなことはない。だけど、どうしても比べてしまうのだ。普段一緒に行動している会社の同僚や先輩の男性たちとの違いをつい口に出してしまうのだ。私の中での普通がそういう風になってしまって、元々自由な店長とは波長が合わなくなってきたのかもしれない。

 だけど。

 私は涙をぬぐって携帯電話を見つめる。

 こんなに連絡がないとは思わなかった――――――


 私が付き合っている男性は、居酒屋で店長職をしている。自然の愛好者で、彼は自分で信仰の対象「山神様」をつくって店に祀り、他の店員も皆それにならって手をあわせて拝むのが習慣になる店なのだ。幼少時から荒れていたらしく、一時はヤクザの跡取りになるかって話まであったと聞いた。そんな一癖もふた癖もある彼が、小娘の私の言いなりになんてなるはずがないのだ。

 俺をコントロールしようとしないでくれ、そうトラさんが言って二人で住む部屋を出て行ってから、5日が経っていた。

 毎日心配して携帯電話をひたすら見つめていた。トイレに行くときにももしかしたら連絡があるかも、と思って携帯するほどに。だけど自分から電話もメールもする勇気がなかった。電話をかけて、『何?』って冷たい声で言われたら?別れようって言われたら?そう考えたら泣けてきて出来なかったし、本人に会いに店に行く勇気もなかった。あの優しい笑顔で見てくれないかもしれない。今度冷たい目で見られたら、それだけで死ねるかも、と思うほどだったのだ。

 だけどこれ以上長引くと、私が壊れる、そう十分に思い知った時、私は酒処山神の料理人、龍さんに電話した。

 山神で日々その腕を振るう板前、右田龍治その人に。

『おー、シカかーっ!お前、どうなってんだよ〜』

 開口一番でそういわれて、思わず私は謝ってしまう。

「え・・・っと、その・・・すみません、龍さん」

『虎と喧嘩したんだって?あいつ今ず〜っと森にいるけどさ、こういっちゃ何だけど、邪魔なんだよ!寝起きが悪いのは知ってるだろ!?誰にでも喧嘩ふっかけてきて、こっちは皆で迷惑してるとこ!』

 べらべら〜っと一気に龍さんが喋って、私は眩暈がした。・・・・トラさん、やっぱり森で寝てたんだ。

 森というのは、酒処山神の2階のスペースをさす。そこは店長として就任してすぐのトラさんが壁も天井も緑色に塗り、観葉植物をところ狭しと置いて育てている、一種温室のような場所なのだ。山神で働く人はそこで休憩したり食事をとったりする。緑に遠慮しまくって人間がすごす場所だけど、やたらと落ち着いて、皆好きだった。

 私は一度唇をなめて湿らせて、電話の向こうに頭を下げた。

「・・・すみません・・・」

『何があったんだよ、シカ?鬱陶しいから、さっさと虎を迎えにきてくれ。毎日ぶっすーとして八つ当たりされたんじゃ、こっちがもたねーよ。悪魔だぜーマジで!』

 料理人である龍さんは、ボクサーでもあった人だ。そしてトラさんよりも先輩にあたる。居酒屋山神においては店長であるトラさんに意見や主張が出来る、唯一の人間であるといっていい。だけど、かなりもてあましているようだった。

「あの・・・店長何か言ってましたか?」

 私の質問に、龍さんは不機嫌に『ああ?』と返す。

『しらねーよ。とにかく不機嫌で面倒くさいんだよ!――――あ、コラ、何だよツル。やめろ〜、俺が話してんだろ!おい!・・・あ―――』

 電話の向こうで色んな声が聞こえて、それから携帯電話が奪い取られたようだった。今度は頼りになるフリーターのバイト頭、ツルさんの声が聞こえた。

『シカちゃーん?ハロー、久しぶり〜元気してる〜?』

「あ、ツルさん!お久しぶりです、元気です〜!」

『ごめんね、龍さんがグダグダと。だけど今回はほんとトラさんちょっといただけないのよ〜。昨日もさ、仕事上がりの龍さんの稲荷寿司を食べるまで動かないってごねたのよ!』

「へっ!?あの・・・稲荷寿司?!」

『そうそう。朝の1時にさ、あるわけないっつーのよねえ!それで龍さんが無理だっていったら、店壊すって半眼になってさ〜!』

 えええっ!?み、店を壊すの!?稲荷寿司が食べられないから!?私は電話を持ったままでひきつって、声を失う。

「えっ・・・あの・・・それで結局・・・?」

『ウマ君も色々と頑張っていったんだけど、トラさんに喧嘩売られてビビッて泣いてたわ、可哀相に。たまたま通りかかったウサちゃんにも八つ当たりするしさあ!で、仕方ないからって龍さんが冷蔵庫に作って置いてあった秘蔵のレアチーズケーキを出したのよ。何かそれは自分の彼女に持って帰ろうと思ってたやつらしいんだけどね。そしたらとりあえずおさまって』

 ・・・迷惑な話だわ〜・・・。私は脂汗をたらしながら相槌を打つ。すみません、龍さんの彼女さん。申し訳ないです・・・。

『だからさ、今日あたりでも、シカちゃん休みなら迎えにきてくれない?これだとその内仕事にも支障が出そうだから―――――あ、ちょっと龍さん〜!!』

『ようやく取り返したぜ!俺の電話だっつーの!・・・あ?ウマも喋る?ダメダメ、まだ俺はそんなに話してないんだからな』

 今度はウマ君が電話をかわってくれと言ってるらしい。電話の向こう側は色んな人間の声が入り混じって騒がしかった。店長がしでかした迷惑の苦情をこれ以上うけるのはごめんなので、私は乾いた笑い声を残して電話を切ることにした。龍さんが最後何か怒鳴っていたけれど、無視だ無視。

 再び静かになった私一人の部屋の中、切れた携帯電話を床に転がして、私は頭を抱えた。

 ・・・・・・・・・・・あああああ〜・・・・どうしよう・・・。


 だけど、仕方ないよね。

 だって自分が蒔いた種なわけだし。

 そう思って、私がついに山神へ行くことにしたのは翌日の月曜日だった。

 月曜日は酒処山神は定休日で、それはクリスマスイブだからといって変わらない。だから店にいるとしたら今は森で暮らしているらしいトラさんだけだろう、そう思ったからだった。他のメンバーにも会って謝りたいが、その前に数々の質問を受けるはめになりそうだし、今の私にそんな元気はないのだ。

 というわけで、月曜日は必死で仕事を終わらせ、何とか就業時間すぎてすぐに退社する。バタバタと走っていたら、会社のロビーで前から原さんがやってくるのが見えた。同じチームの男性の先輩で、春から私に仕事を一通り教えてくれた人だ。

「あれ、今日は早いんだな、上がるの。鹿倉、今日は予定あるのか?」

 原さんはニコニコして片手を上げる。

「イブだけど、お前まだ彼氏と喧嘩中なんだろ?独身組みで飲みにいかないか?」

 私は走りから歩きに変えて、出入り口を目指しながら答えた。

「あの・・・今日はすみません。ちょっと用事がありますので」

「用事?ああ、そういや急いでるな。どうした?」

「ええと・・・その、彼氏を・・・」

 原さんが、私の前で立ち止まって、ああ、と呟いた。私も立ち止まる。原さんには一度、店長とのことで相談に乗ってもらったことがあるのだ。俺より年上の彼氏かよ〜なんて散々はやされて。

「例の?どこにいるかわかったのか?」

「はい、店で寝ているみたいで。それで迎えに・・・」

 原さんが腕を組んで、ちょっと首をかしげた。

「鹿倉、そんな必要あんの?迎えに行ってどうすんの?」

「えっ・・・」

 私は驚いて立ち止まる。

「迎えにいってうまくいくのか、それ?ちょっと子供っぽいだろ、いや、俺はその人のことよく知らないけどさ。鹿倉ばっか頑張ってないか?」

 私は一瞬言葉を失って、目の前に立つ男性を見つめる。・・・私ばかり頑張って・・・?えっと・・・いや、そんなことは――――――

「経験が増えたら付き合う人だって使う時間だってかわるのは普通だろ。しんどいなら、付き合うのやめろよ、その彼氏」

 私が黙っているのを、同調して考えているのだろうと思ったらしい。原さんは肩をぽんぽんと叩いて、私に笑いかけた。

「な、もうちょっと放置しとけ。大人なんだから相手に動かせろよ。大体ちょっと情けねえ彼氏だよな。クリスマスだからって彼氏にこだわる必要ないと思うし、今日は楽しく飲みに行こうぜー、他のやつらも誘ってさ、いつもの店で」

 無意識に、私は後ろに下がって原さんと距離をとった。それから一瞬呆気にとられたような顔をした彼に、頭を下げる。

「とにかく、今日は無理なんです。すみません、お先に失礼しますね」

 ああ、と後ろで声が聞こえる。だけど私はもう振り返らずに出入り口目指して駆け出した。

 腹が立ったのだ。

 あの一瞬で。

 だって店長のこと、何にも知らないのに。彼は優しいし、とっても魅力的な人なのだ。なのになのに、今あの人、彼をバカに―――――――

 だけど電車に飛び乗ってから気がついた。原さんにそういわせたのは、私なのだ。今までの私が話すトラさんのことで、原さんの中にはイメージが出来ているはず。ということは、店長を酷く言わせたのは私なのだ。・・・ああ、何てこと。

 私はぐっと唇をかみ締める。

 何て酷い彼女だったんだろうって思って。


 商店街の端っこ、ちょっと奥まったところに山神はある。

 私は暖簾の出ていない店のガラス戸を覗き込んだ。すりガラスだから中は見えないけれど、明かりが小さくともっているのがわかった。やっぱりトラさんいるんだ。段々緊張してきた。一つ深呼吸をして、私は裏口へと回る。

 ここを使うのは従業員とオーナーだけ。鍵はしまってるかもしれないから――――。拳でどんどんとアルミのドアを叩いた。

 誰かが近づいてくる音。私は緊張で全身が震える。それからドアが開いて―――――

「―――お」

「あ・・・龍さん!」

 ドアを開けたのは板前の龍さんだった。裏口にひとつだけある裸電球が彼の髪をきらめかせる。

 あ、そういえばトラさんが龍さんは金髪にしたって言ってたっけ・・・。見慣れた茶髪ではなく、今の色はプラチナブロンドに近かった。またのびて肩を超えている。耳にはブルーの3連輪のピアス。それもキラリと光って揺れる。何か・・・前より迫力が増したような?更に太くなった首筋を見て、私はちょっと緊張する。

「シカ、ようやく来たのか〜・・・」

 ドアを片手であけたまま、龍さんはホッと息をはいた。

「ええと・・・あの、トラさん、います?」

「おう、虎野郎は森だ森」

「あ、まだ寝てるんですか?」

 私は龍さんと会話をしながら店に入る。龍さんは厨房で何かをしていたらしく、厨房だけに明かりがついていた。

「食材もってきたら寝てるみたいだったぞ。起こしてまた八つ当たりはごめんだから、声かけてないけど」

 そうですか、と私はいって、森へと上がる階段の前で立ち止まる。二階への階段は暗く、しーんとしている。龍さんがカウンターの中から私を見て言った。

「一人で上がるか?それとも、俺が起こす?」

 一応言ってみただけ、という感じの、かなり嫌そうな声だった。トラさん、よっぽど皆を困らせたんだよね、これ・・・。私はちょっと苦笑して、首を振る。

「大丈夫です、行ってみますね」

 それから店の奥、壁のほうを向いた。そこに飾られているのは山神様。私は久しぶりに目にしたその祭壇にむかって、両手をあわせて頭を下げる。

 山神様―――――どうか・・・山神の虎が暴れませんように!!

 ちらりと龍さんを見ると、親指を上にたてて頷いている。頑張ってこいって言ってるんだろうと思い、私は頷いてみせて、そろりと階段を上がりだした。




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