バウンス・ベイビー!前編





 来週は何としても早く仕事を片付けよう!そう高峰リーダーが拳を握って声高らかに言ったので、私と田内さんは作業の手を止めて上司を凝視した。後ろでパートさん達2人の声もぴたりと止まったから、やはり部屋中に聞こえたらしい。

「あらあら?どうしたの〜リーダー?えらく気合が入っちゃって」

 パートの前園さんが笑って声をかける。私なんかより長いことこの会社で働いているパートさん3人はベテランで、口を動かしながらでも高速で仕事を片付けることが出来るのだ。だから今も笑ってリーダーを見ながらも、手元は動いているはず。私はちらっと振り返ってみる。・・・ほらね、神業の速さで砂ズリを串刺しにしている。

「ええ、いや、その、ですね」

 高峰リーダーは今更恥ずかしくなったのか、無駄に空咳をしながら小さくした声で言った。

「来週は寒くなるらしいし、雪も降るかもしれませんから。えー、早く帰れたほうがいいですよね、皆さんも?」

 私は隣の作業台で手を動かしている先輩の社員、田内さんに視線を飛ばす。同じようにこっちをみていた田内さんが、にやりと笑ってみせる。全く、リーダーったらそんな下手な言い訳しちゃってさ〜。何が雪なのよ。そんなの今までだって同じだったのに、今年に限ってそんなこと言い出すなんて。大きな声で突っ込んでやりたいが、繁忙期の上司の神経を逆撫でしていいことなど何もない。下手に怒らせて残業なんかになったら大変だ。だから私はニヤニヤを押さえ込もうと顔の筋肉を押さえつけることに集中した。

 その時、後ろから笑い声とともに北浦さんの賑やかな突っ込みがとんだ。

「またまたリーダーったらあ〜!彼女とデートしたいからって張り切ってるんでしょ!去年まではそんなこといってなかったじゃないですか、嫌だわもう〜!あはははは!」

 一瞬、リーダーの体が石みたいに固まったかと思った。

 ついでに私と田内さんも。

 そろそろと顔を上げて高峰リーダーの方を見る。そこには照れからかひきつった顔の上司が。ばっちりと目があってしまって、高峰リーダーの切れ長の瞳がメガネの奥でキリリと上がるのまで見てしまった。

「・・・んだよ、藤。言いたいことがありそうだな?」

 ひょえーっ!!

 私は真顔でぶんぶんと首を横に振りまくる。

「ありませんありません!何も言ってません!」

「だから言いたいことがあるなら言えっつーんだよ!」

「ないですって!あるのは、ほら、き、北浦さんでしょ。ですよね!?北浦さーん!」

 私は地雷を踏みまくったパートさんを恨みを込めて振り返る。駄菓子菓子、高峰リーダーの可愛い希望を笑い声で吹き飛ばした張本人は、もう既に前園さんと夕食の話をして盛り上がっていた。こちらの騒動なんてアウトオブ眼中で、肝を切り分けながら話に夢中のようだった。・・・ちょっと、おばさん!

 仕方ないから私もリーダーのことは無視することにする。ぎゃあぎゃあと喚きながら八つ当たりで威嚇をするリーダーを見ないようにして、頭の中で書きかけの小説作品を追いかけることにした。

 私が働くこの焼き鳥屋の仕込み工場での上司、高峰リーダーは今年に入ってすぐ、小柄で美人の彼女が出来たのだった。

 去年の暮れはちょっとばかり私と気まずいことがあったのだけれど、それを何とか解消しようと努力している過程で出会ったその別嬪さんと、目出度く恋に落ち、この一年は幸せいっぱいだったようだ。それは素晴らしい。

 長身に、メガネをとれば実は端正な顔をしている高峰リーダー。短気で口が悪いのが難点だが、性格は気遣いだし、よく周囲をみている優秀な人なのだ。怒鳴り散らすことが多いのでビビッていた入社当初の私には、「大丈夫よ、声が大きいしちょっと怖い雰囲気だけど、実はいい人だから」と伝えたいくらいだ。

 そのリーダーは、今年のクリスマス、彼女と過ごす最初のクリスマスなわけで。だからきっと張り切っているのだろう。男性のほうがロマンチストが多いとはよく聞く話だが、それはリーダーにも当てはまるのかもしれない。職業柄この時期は毎年繁忙期でほぼ休みなどないが、夜は勿論時間を作ることが出来る。だからきっと早く帰りたいのだろう。それが判ったので、田内さんと私は目配せをしたのだった。

「おーい、藤、無視すんなー!コラ、お前だって一緒だろ?早く帰りたいだろ?!」

 リーダーがそう言ってなお絡むので、私は仕方なく顔を上げる。

「そりゃ勿論早く帰りたいです。というか、むしろ2,3日休みが欲しいです」

「あ、俺も欲しいです。休み休み。いっそのこと閉鎖しないですか、来週だけでも」

 田内さんがそう言って会話に入ってきた。最近は残業も多いし、休みだって交代で取るほどなのだ。皆疲れている。だけどリーダーは持っていた包丁の先を光らせて、バカか!と怒鳴る。

「このクソ忙しいときにここを閉めたら本社のやつらに殺されるぞ!田内、お前、自主的に休んでみろ、永遠にここにはこなくていいようにしてやるからな!」

「・・・はーい」

 田内さんは心底残念そうだ。そういえばこの人、去年は降ってきた雪を見て、これで転んで骨を降りたいと呟き、リーダーを脅していたな。

「そういうことを言ってんじゃねーんだよ。藤だって平野と会うんだろ?」

 リーダーが私に向き直ってそう聞く。私はとたんにため息をつきそうになって、慌てて飲み込んだ。

「ん?約束、ないのか?」

 リーダーの眉間に皺がよる。田内さんもこちらを向いた気配がした。私は慌ててにっこりと微笑み、いやいやと胸の前で手を振る。

「してますよー、約束。だけどあっちも忙しいので、確約ではないんですが」

 むっつりとした顔でリーダーは黙ってしまった。やれやれ。私はバレないようにこっそりとため息をはいて、包丁を握りなおす。

 去年ここでバイトに入った私の高校のときの同級生、平野啓二と、付き合って一年近くなる。実は高校生のときに私は彼にぞっこんで、ストーカーのようにつきまとっていたのだけれど、告白するもあっさりと振られて大学から別々に。それが社会人になって再会したら、何と付き合えることになってしまったのだった。その話は長くなるからまた別で。とにかく、高峰リーダーカップルと同じく、私達だって今年が二人で過ごす初クリスマスなのだ。

 だから私だって、期待していた。

 お互い一人暮らしだから泊りあうことも多かったけれど、だけどクリスマスは特別でしょ?今まで独り身でずっと友達と騒いで過ごしてきたその特別な日は、恋人が出来た今は世間と同じような恋人らしいことを気分を盛り上げてしてみたいって。私は平野と付き合う前に恋人が出来た経験がないので、大体の初めては彼が相手なのだ。そしてもうすぐ初クリスマス。期待したって、いいよね?普通だよね?

 だけど、うまく運んでないのだ。

 社会人になって忙しくなった平野は、刺激的な毎日を送っているらしい。そりゃあ今までとは違う世界へ入ったのだ。覚えることもいっぱいだし、新人なのだから一生懸命働くのは大事なことだ。でも元々滅多に合わない休みの日を返上して仕事に行くこともあるし、それにどうやら彼は引越しを考えているらしく、その部屋探しのスケジュールまで入ってきた近頃は、デートらしいデートなんてしてなかった。

 バタバタと夜遅く部屋にきて、抱き合って、朝ごはんも食べずに出て行ってしまう。もしくは、折角外であってご飯を食べても、彼の新しい部屋探しに同行するとか。そんなことが増えていた。社会人の恋人ってこういうものなのだろうか。私は最初は気にしないようにしていたけれど、もうそろそろ2ヶ月近くそんな状態で、先日クリスマスについて話を振った時だって、平野の返事はこうだったのだ。

『あー、うん、多分、あけられる』

 多分って何よ多分って!?私はそう思ったけれど、その時は何も言えなかったのだ。受け止める平野の唇は温かく、はじめに抱かれたときと同じ情熱を持って優しく扱ってくれる。それで満足すべきなのかも、って思ったからだった。

 だけど―――――ラブラブなリーダーを見ていると、やっぱり寂しいっす・・・。

 私は重くなってしまった気持ちを無視しようとして、串刺しにしているせせりに集中する。冷たい肉に指先が冷える。・・・同じように心まで冷えたらどうしよう。つい、そんなことを考えてしまった。


 クリスマスの待ち合わせも出来てないのだから、プレゼントだって、勿論決まってない。

 何が欲しいのかとこの一年付き合ってきた中で探そうにも、平野にはこれといったこだわりはないようなのだ。決まっているブランドがあるわけでもなく、服なども基本的にはTPOにあっていればそれでいいと思っているらしいし、何かの収集癖があるわけでもない。だから悩んでいるのだ。ネットで調べたところによると、彼氏へのプレゼントは手作りも多いようだ。だけど平野は、手作りのものにさほど感動を覚えるタイプだとは思わない。うううーん、どうしたらいいの〜!?もうこんなことになるなんて、10月までは思ってなかったよ〜!

 今晩もなにやら忙しいらしく平野は会えないようなので、私は一人でスーパーへ寄り、買い物をして帰ってきた。一人の時間は好きだ。それに趣味で書いているネット小説もあるし、時間をもてあますことなどない。だけど面白くない気分を抱えたままではパソコンを開いても一文字だって打てなかったので、ため息をついて立ち上がった。

 お風呂にいこう。それで、もう色々自分で決めちゃおう。それを平野に通告するのだ。こんな予定を考えてますよ〜って。ヤツに主導して欲しいが、それが無理ならこっちで好きにすればいいのよ。そうよ!大事なのは、あの聖なる日を笑って機嫌よくすごすことなんだから!

 手早く用意をして近所の銭湯へと向かう。私の一人暮らしの部屋にはシャワーブースはついているが湯船がないので、寒くて寒くて寒い作業場での仕事を終えて戻ってきたときには、湯船が恋しくなる。だから冬はほぼ毎日銭湯へと通っていた。部屋にお風呂、欲しいけど・・・。でも今の部屋に他の不都合はないし、引越しはお金もかかるしね・・・。そういえば、平野はどうして引っ越すのかな。そんな話すら出来てない、と気がついて、私は更に凹みモードへと突入する。

 頭をふって銭湯へ行った。外は寒くて一面の曇り空。リーダーが言うように、雪でも降りそうな天気だった。

 ちゃんと色々考えたのだ。

 私一人で。

 だけどそれを「こんなのどお?」って聞こうにも、平野が中々捕まらなかった。やっぱりメールではなくて、せめて会話で決めたいと思った私は意固地になってメールでの通達はしなかったのだ。だから着信のタイミングがあわない限り通達は出来ない。いつも捕まらず、深夜に平野からくる出れなくてごめんって一言のメールを朝読むだけ。

 散々悩んだけど、先日の休日の夜は、プレゼントを買いに行った。それも、一度平野にメールで聞いたみたのだ。「何か欲しいものある?」って。だけど返信は4時間待ってもこず、翌朝ようやく届いた返事は「特になし」だった。・・・はあ。もうため息しか出ない。一瞬泣きそうになったけれど、とにかくと自分を奮い立たせてショッピングへ行ったのだ。いいものがあったら買おうと思って。

 で、私が選んだものとは。

 キーケースだった。

 自分のキーケースがもう古びてボロボロになっていたので買い換えようと思って色々見ていたところ、気に入ったのが見つかったのだ。そしてその時、手に取った女性もののキーケースの隣にある、男性用のを見てしまった。

 ・・・お揃い、とか、買っちゃう?

 一瞬躊躇した。だけど、私のそのまま二つとも持ってレジへと向かった。そして男性用のはラッピングもしてもらう。渡せたら、渡そうと思って。ヤツが喜んでくれるかは判らない。だけどこれなら使うだろうし、って。

 そしてイブの前日の23日がきて、私は一人部屋の真ん中で絶叫していた。ガーン!!って。

 何と、今日は留守電にすらならなかったのだ。いやいや、そんなものじゃない!電話が出来なくなっていたのだった。着信音が鳴らない。つー・つー・と耳元で繰り返される音に、私は眩暈がして座り込む。

「・・・え?これってもしかして、着信拒否・・・?」

 まさかの?まーさーかーの!?私は呆然と繋がらない携帯電話を眺めたけれど、さすがにそれはないよね、と首を振る。多分電波障害が何かなのだ。タイミングの問題。ここ最近はずっとタイミングは最悪なんだから、これで自分を更にへこませるのはやめよう。私は首をぶんぶん振り、惨めな思いをしないようにと携帯電話を引き出しにしまいこむ。見えなければ問題はないのだ、と思い込もうとしていたのだろう。

 だから、結局クリスマスの予定は何もたてられないままで、翌日、12月24日が来てしまった。

 イヴだ。そして明日はクリスマス本番。恋人がいる今年は女友達との約束もないから、私は仕事が終わったあとは真っ白な夜が待っている。


「終わったー!よし、ちゃっちゃか戸締りするぞ!お前らさっさと片付けろー!」

 高峰リーダーがそう叫んで、パートさん3人と短期の学生バイト君、それから私と田内さんは苦笑して従う。今日のリーダーは朝から鬼のような形相で、超高速で仕事をやっつけていたのだ。気合が入りまくりで倒れるかと思ったほどだった。なので毎年7時半ほどにもつれ込む終業時間が、今日はまだ6時すぎ。これじゃあ晩御飯の支度してくる必要なかったわ〜などとパートさんたちが笑うくらいに早かった。

 リーダーがバタバタと点検作業している時、エプロンを脱いで手を洗いながら、田内さんが私に言った。

「藤さん、結局、平野君と約束出来た?」

 私は田内さんを振り返って、苦笑してみせる。それから帽子を外し、自分も手を洗いにいく。

「いやあ、それが・・・。連絡がつかなくて」

 というか、存在すら確認できてなくて。これは心の中で言うだけにした。

 田内さんはちょっと考えるような顔で頷く。

「俺の印象では・・・平野君ってそういうの大事にしそうなイメージだったけどな。じゃあ今晩はどうするの?」

「とりあえず部屋に戻って、それから行ってみようかなって思ってます。もう直接、家まで。プレゼントだけでも渡そうかなって」

「ふーん」

 私は手洗いを完了し、コートを着る。じゃあお疲れ様でした、と田内さんに言うと、彼は頷いて言った。

「会えるといいね」

「はい、ありがとうございます」

 予定よりもかなり早く帰れそうだ。私はイルミネーションで眩しく飾られた駅前を、早足に歩く。そうなのだ。決めたのだ。今にいたっても携帯に平野からの連絡はなかった。だけどもう今日は、私からも連絡はしてない。それよりも会いにいこうって。もう期待したようなラブラブハッピーなクリスマスナイトは無理だろうけど。もしかしたら、会うことすら出来ないかもしれないけど。でも、私はいこうって。

 大丈夫、追いかけるのは、私は慣れてるんだから。


 部屋に戻り、まずはシャワーを浴びた。それから温かいだけではなくて出来るだけ可愛いコーディネートを選び、軽く化粧をする。どうなるか判らないから何も食べないでいこう。いつもの木曜日なら、そろそろ平野の仕事も終わって帰る頃だ。

 最後に携帯をチェックする。画面に変化は何もなし。

 ため息を飲み込んで、私は出発した。

 彼に会うために。


「・・・え。ええっ・・・?」

 私の住む部屋から一つ隣町の平野の部屋について、その廊下で、私は愕然と立ちすくんだ。

 ・・・部屋が、賃貸募集になってるけど。

「ええーっ!??」

 3階建てのアパートの端っこ、平野が借りていたはずのその部屋の前には、閉められたガス栓のお知らせやガムテープが貼り付けてある郵便受け。勿論チャイムを押しても応答はなしだし、どこからどう見ても、無人の部屋になっていた。

 え・・・?あれ?平野ってばもしかして、もう引っ越したのかな?あれれ?だってまさか・・・。まさか、そんな。

「私・・・何も聞いてないんだけど・・・」

 風が吹いてコートや髪をはためかす。冷たいその感触にも動けないほど、私はショックで呆然としていた。・・・とりあえず、ここには、彼はいないってこと、だよね・・・。

 いつまでもその場に立っているとただの不審者なので、そろそろと動き出す。あれ・・・?部屋決まったって言ってたっけ?そんな話したっけ?ううん、してないよね。だって最近は全然あえてないし・・・電話だってメールだって――――――

 手袋をしているのに凍えてしまった手で、鞄から携帯電話を取り出す。

 ・・・メール、なし。着信、なし。

「ちょっとお・・・平野〜・・・」

 一体これはどういうことなんだろう。もしかして、私、振られた?これってそういうことなの?

 黙って引っ越してしまって、連絡もなし。携帯は通じず、一体どういうことかも判らない。

 私はふらふらと歩き出す。そして駅へ向かう間に見つけた小さな公園で、ベンチに座り込んだ。




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